第21話『甘えぼけ』

 キスをしている美来と有紗さん。

 美来の方はいきなりキスをされたことに驚いている様子だけれど、有紗さんの方は気持ち良さそうに美来とキスをしている。

 美来は何とかして有紗さんと唇を離し、


「はあっ、はあっ。智也さん、見ないでください! こんなはしたない状況を! これは何かの間違いなんです!」

「……いや、それはよく分かっているよ」


 おそらく、有紗さんが寝ぼけて美来にキスをしたのだと思われる。


「もう、こんなところを見られてしまったら……責任を取って智也さんに私のことを嫁にもらってもらう他はないですね!」


 こういう場でもそんなことを言えるとは。どうやら、有紗さんにキスされてしまったこと自体にはさほどショックは受けていないようだ。


「あれ? 智也君ってこんなに可愛い顔してたっけ。髪の色も何か違う……」


 えっ、もしかして……有紗さん、僕とキスをしているつもりだったのか? これはかなりまずい状況なのでは。

 部屋を見渡す有紗さん。僕と目が合うとに笑顔を浮かべ、すっと立ち上がって、


「智也く~ん」


 まずい、後ろは壁だからすぐには逃げることができない!


「智也さんの唇は私が守るんですっ!」


 すぐさまに美来も立ち上がり僕の前に立つ。僕を有紗さんから守るように両手を広げる。


「どこの誰かは知らないけれど、そこをどきなさい! 智也君とちゅーするんだから!」

「それは絶対にさせません! 智也さんとキスをしていいのは私だけなんですから。それに、智也さんのことをあなたから守ると決めたんです!」


 美来と有紗さんは取っ組み合っている。このままだと2人が怪我をしてしまうかもしれない。


「こらっ」


 僕は美来と有紗さんの頭に軽くチョップ。


「2人とも、他の部屋に住んでいる方の迷惑になるから、ケンカは止めなさい」


 まだ外は暗いんだ。時刻を確認してみると……午前2時過ぎ。まだ夜中じゃないか。有紗さんは……まだ酔いが醒めていないんだな、この様子では。


「有紗さんは早く寝ましょう」

「智也君と一緒じゃないと嫌なのっ!」


 そう言って、有紗さんは僕のことを抱きしめてくる。


「えっ」

「なっ!」


 おそらく、酔っ払っているからそういう我が儘を言っているんだと思う。

 けれど、美来は理由がどうであれ、僕に抱きついてくる有紗さんのことがどうやら許せないようで、


「う、ううっ……この女、恐るべし……」

「美来、有紗さんは酔っ払っているだけだよ。だから、その……許してあげてほしいな」

「……智也さんがそう言うのであれば許しますけど、でも……悔しいです」


 そう言って、美来は本当に悔しそうな表情を見せて、頬を膨らませている。帰ってきてから、今のような美来を何度見てきただろう。この週末で思い切り甘えさせよう。


「有紗さんもベッドに戻りましょうね」

「……その前にお手洗いに行きたい」

「じゃあ、お手洗いはこっちですから。用を済ませたら、寝ましょうね」

「……うん。でもね、智也君……あたしが寝ている間にどこかに行っちゃったら嫌だよ。智也君にはずっと、ずぅっと側にいてほしいの……」


 僕に口づけをしようとしたり、今の言葉だったり。どこまでが本音なのかよく分からなくなってきている。


「僕はここにいますから、安心して眠ってください」


 僕は有紗さんをお手洗いに連れて行き、用を済ませた後に彼女をベッドまで連れて行って眠らせた。また、眠る際にスーツのジャケットが邪魔だと言ったので、ジャケットを脱がして、クローゼットに掛けておいた。


「月村有紗さん。どうやら智也さんのことが好きなようです。もちろん、恋愛的な意味で」

「そうなのかな。酔っ払っているし、さっきのキスだって、寝ぼけていたからじゃないかな……」


 しかし、2人で呑んでいたときに付き合っちゃおうかと冗談も言われ、僕が付き合いたいって返事したらどうするかって言ったらドキドキしていた。彼女の本音がなかなか見えてこない。


「いいえ。よく、人の本性はお酒を呑んだときに現れるものだと言うじゃないですか。それに、普段とは違うんでしょう?」

「そうだね」

「きっと、智也さんが自分の側にいたりキスしたりしてほしいのが月村さんの本音なんですよ。本当そうだったら強大な敵です」

「僕にとっては先輩なんだから、敵とは言わないでほしいな」


 仕事上、僕にとっては大切な仲間の1人でもあるんだ。美来の気持ちも分からなくはないけれども。


「月村さん、可愛いですし、お酒を呑むことでギャップも生まれるようですし、これは……私にとって強大なライバルです」

「敵からライバルに変わったんだね」


 僕のことが好きだと決まったわけではないのに。でも、さっきの有紗さんを見たら僕のことが好きなんじゃないかと思われても仕方がないのかも。


「智也さん。私、智也さんが他の誰かの恋人になってしまうのは嫌なんです。もし、そうなってしまったら、私、どうすればいいのか……」


 美来の目からは大粒の涙がボロボロと零れ始める。有紗さんが家に来たことで、美来にとっては不安な気持ちに襲われているんだな。

 僕は美来の両肩をそっと掴んで、


「美来。僕は美来から離れるようなことはないよ。どういう道を歩くことになっても、僕等が二度と会えなくなるようなことは絶対にないから」


 まだ決心がついていないので、そういう風にしか言えないことが悔しくて、もどかしい。僕のことが好きな人が美来だけなら、彼女と一緒に過ごしてじっくりと考えることができるけれど、もし有紗さんも僕のことが好きだとしたら、考え方を改めないといけなくなるかも。


「絶対にですよ? 智也さんと会えなくなりそうなのが一番辛くて……」

「大丈夫だよ。遊園地で会ったときから10年経って、こうして再会して、一緒に楽しい時間を過ごすことができているじゃないか。僕らが生きている限り大丈夫だよ」

「智也さん……」


 美来は僕のことを抱きしめ、泣き始めた。


『あなたは彼女のことを助けることができますかね?』


 以前、諸澄君から言われた言葉が頭の中で不意に蘇った。

 僕は今も美来に不安ばかり与えてしまって、彼女のことを守ることなんて全然できていない気がする。ましてや、僕の方が守ると宣言される始末。大人として、情けなく思う。

 僕は美来のことを力強く抱きしめる。


「美来、安心していいんだよ。僕はここにいる。何か不安なことがあったり、嫌なことがあったりしたらいつでも僕に相談しに来て」

「でも、智也さんにはお仕事だってあるでしょう?」

「美来を守ることは仕事よりもよっぽど大切なことだ。美来が僕に助けてほしいと思ったら尚更のことなんだ」

「智也さん……」


 どこか、美来は寂しげな感じがして、まるで僕がいないと生きている意味がなくなってしまうような。そんな気がするんだ。


「今すぐじゃなくていい。ただ、僕はいつでも美来の話は真剣に聞くよ。守ってほしかったら、僕が美来のことを何としてでも守る。それだけは覚えておいてくれるかな」


 氷室智也が1人の大人として美来にできることは、彼女を見守り、何かあったらすぐに守るということだ。それを美来にはちゃんと知っていてほしい。

 すると、僕の胸に顔を埋めていた美来は、ゆっくりと僕の顔を見上げて、


「ありがとうございます、智也さん」


 約束ですよ、と僕にキスをしてきた。最初こそひんやりとしていたけれども、徐々に優しい温かみが伝わってくる。


「じゃあ、また寝ようか」

「……はい」

「また、有紗さんにキスされないように今度は僕がベッドに近い方で寝る?」

「……智也さんが他の女性にキスされるのは嫌です。それなら、私がまたされた方がマシです。女性ですから、されてもショックはあまりないですし……」


 それならにゃあっ、と叫んでいたのは……目が覚めたらキスされていたことへの驚きだったのかな。


「じゃあ、さっきと同じように寝よう」

「はい」


 部屋の電気を消して、僕と美来は再びふとんの上で横になる。

 けれど、さっきとは違って、今度は美来が寝るまで僕はずっと起きていた。その間に有紗さんが起きてくることもなかったのであった。

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