第9話『First KISS』

 カラオケで夜8時まで歌い通した僕らは、家に帰る途中でスーパーに寄って食材を購入する。そのときの美来は奥さんのようだと有頂天の様子。幸せそうに野菜を手に取る姿がとても印象的だった。

 家に帰り、スーパーで購入した食材を使って美来のお手製のナポリタンを食べた。プロの人が作ったんじゃないかと思えるくらいに美味しい。本当にこの子は料理が好きで、上手になっていったんだろうなと思った。

 その後、後片付けをしたり、お風呂に入ったりしたら、時刻は午後11時近くになっていた。


「今日も一緒に寝る?」

「はい! 今日もベッドで一緒に寝ましょう」


 昨日と同じように、僕は美来と一緒にベッドに横になる。

 けれど、昨日と違っていたのは、眠気が迫ってくる中、僕の中で眠っていた男というものが段々と目覚めてきそうなことだった。

 今日はずっと美来と一緒に過ごして、朝比奈美来という女の子が昨日よりもかなり魅力的に思えてきている。たった1日でそんな風になるのかと嘲笑されるかもしれないけれど、女性経験が皆無の僕にとっては、昨日の夜から今までの時間はとても濃いものだったのだ。


「智也さん、今日は楽しかったです。ありがとうございます」

「そうだね。僕も楽しかったよ」


 誰かと1日中遊ぶなんて、もしかしたら高校生以来かもしれない。こんなにも遊びで充実していた休日は久しぶりだった。


「智也さんとやっと一緒に過ごせた気がして嬉しいです」

「僕のことを陰で見ていてくれたんだもんね」

「はい。だから、今日という日を過ごして、智也さんのことがより一層好きになってしまいました。きっと、明日の夜にはもっと好きになっていると思います」

「……そうか」


 こんなことをさらりと言えてしまうなんて。それだけ僕のことが好きなんだということなんだろうけれども。


「何だか、美来を見ているととても羨ましく思うよ」

「えっ?」

「僕も今日、美来と1日過ごしてみて、美来と心の距離が近くなったと思っているよ。でも、どうしても……美来のことが可愛らしい子供にしか思えないんだ。それは10年ぶりに再会したからなのか、僕と美来が8歳違うからなのか……」


 美来が16歳という結婚できる年齢になったけれど、今はまだ美来のことを1人の女の子として見ることができていない。見てはいけないと思ってしまっている自分がいるんだ。


「だから、美来が僕のことを男性として見ることができて、しかも、それを素直に僕に伝えることができるのがとても凄いと思うんだ」


 僕は多分好きな人ができたとしても、その想いをなかなか口にできる性格ではないから余計に。

 美来は優しそうな笑みを見せて、クスッと笑った。


「出会ったときから、ずっと智也さんのことが好きですから。その想いが変わっていないからだと思います」

「……10年だもんね」


 小学生のときも、中学生のときも。そして、高校生になってからもずっと僕のことが好きなんだからその愛情は凄いと思う。


「ねえ、美来」

「なんでしょう?」

「……キスをしたら美来に対する見方が変わってくるのかな。もちろん、厭らしい意味じゃないよ」


 そう言ってはみるけれど、キスをするなんて言ったら厭らしい意味に捉えられてしまっても仕方ないか。

 それに、1日デートをしたくらいで美来がキスをしたいなんて思わないだろう。何てことを言ってしまったんだ、僕は。


「ごめん、今の話は聞かなかったことに――」

「しましょうか? キス……」

「……へっ?」


 意外な反応をされたので、変な声が出てしまった。


「昨日再会して、今日デートをしただけだよ。そんな僕とキスをしたいの?」

「もちろんです。何度も言っているでしょう? 私は智也さんのことを10年間も好きなんです。いつでもキスしたいですし、その先のことだってしたいくらいです。ですから、智也さんさえ良ければ、私はいつでもキス……しますよ?」

「……そ、そっか」


 10年分の好意がベースになっているんだ。多分、幾度となく僕に会いたくて、僕とキスとかをしてみたいと思ったんだろう。


「じゃあ、その……してみる?」

「は、はい! 今、人生の中で一番緊張しています……」

「……そんな中で申し訳ないんだけれど、美来の方からしてくれるかな。僕の方からしようとすると、かなり時間がかかりそうだから……」


 美来にキスをしていいのかという躊躇いから。僕の方から話しておいて、僕から口づけをしないっていうのは情けないな。


「で、では……お言葉に甘えて。私のファーストキスを智也さんに捧げたいと思います」

「大げさだね」

「だって、この瞬間のためにずっと取っておいたんですよ? キスとその先の行為をするのは智也さんだけ、というのが座右の銘です」

「……その座右の銘、他の人には言わない方がいいと思うよ」


 心に刻んでおくことは大いに結構だけれど。


「智也さんはキス……初めてですよね? 私に隠れてしてませんよね?」


 よね? って訊くところがちょっと恐いけれども、


「当たり前だよ」


 キスの経験なんて一度もない。


「良かった。もし、キスをされていた経験があるのでしたら……誰といつ、どこで、どのような感じでしたのかを尋問しなければなりませんでしたから。もしかしたら、その相手の女性の方を……」


 笑顔で言うところがとても恐いんだけれど。


「経験ないから安心して。ね?」

「あうっ」


 美来の両肩を掴むと、彼女は小さく声を上げた。


「では……失礼しますね。ド、ドキドキする……」

「いつでもいいよ」

「は、はい……」


 すると、美来は顔を赤くして僕のことをチラチラと見る。勇気が出ないのかなかなか口づけをしてこない。

 何もないまま2, 3分経ったので今日は止めておこうか、と言おうとしたときだった。


 美来はそっと僕のことを抱きしめ、目を瞑り、僕にキスをしてきたのだ。


 彼女の唇が触れた瞬間、初めての感覚なので驚きが体中に駆け巡る。

 その驚きが収まり始めてから、ようやく柔らかい感触と温かさ、美来の甘い匂いが分かった。不思議と今は美来と唇同士が触れ合っているんだと冷静だった。


「……んっ」


 ただ、それも束の間だった。

 唇を離したときに見える美来の艶めかしい表情と、僕をじっと見つめる潤んだ眼が、女性としての関心と欲を芽生えさせる。美来ってこんなにも可愛くて、美しくて、温かな女性なのか。


「どうでしたか?」

「……もう一度してみないと分からない」


 さっきとは違う気持ちになれるのかを確かめたかった。情けないな。キスのことは僕から振ったことなのに。美来にお願いばかりして。

 すると、美来はクスッと笑って、


「奇遇ですね。私も……もう一度したいと思っていたんです。もう一度してみますね」


 そう言うと、一度したことで躊躇いがなくなったのか、すぐにキスをしてきた。

 さっきとは違う。もう、驚きはほとんどなかった。

 どんどんと体が熱くなってきて、心臓の鼓動が速くなってくる。今までに味わったことのない感覚に包まれそうだ。


「と、智也さん……?」


 気付けば、僕は美来から唇を離していた。


「……ごめんね、美来。これ以上キスをしていると、どうにかなりそうだから……」

「……そうですか。どうでした? 私とのキスは……」


 一度目と二度目で感じ方が全然違ったけれど、一つだけ同じことがあった。


「優しかった……かな」

「そうですか。私は……智也さんとキスができてとても幸せです。ますます智也さんのことが好きになってしまいました。初めてのキスが智也さんで良かった」

「僕も初めてが美来で良かったよ」 

「そう言っていただけて嬉しいです。それで、どうですか? キスをして私に対する見方が変わりましたか?」

「変わったよ。ちょっとね」


 だからこそ、キスをしたら今までにない感覚に襲われて、危うく美来をどうにかしてしまいそうだったんだ。1人の女性として見つつある。


「今夜、眠れるかなぁ……」


 美来とキスをしたことで眠気が吹き飛んでしまった。それに、今、美来と一緒にベッドで寝ようとすると、美来のことを意識しすぎて眠れなくなるかも。


「眠れないのでしたら、キスの先のこともしちゃいましょうか?」

「……今の僕に、色々と責任を取れる自信がないよ。覚悟ができるまでは保留って形でいいかな」


 今の僕だと、美来のことを傷つけてしまうかもしれない。だから、湧き上がった感覚と欲情の勢いで美来の言う「キスの先」をしたくない。


「智也さんならそう言うと思っていました。分かりました。楽しみは少しずつ味わっていく方が好きなので、キスよりも先のことは……そうですね、智也さんが私と恋人として付き合ったときまで取っておきます」

「うん。情けなくてごめんね」

「いいんですよ。智也さんの優しい気持ちは分かっていますから。それに、これ以上のことをしたら体が持つか分かりません。今、心臓の鼓動が物凄く激しいので」

「じゃあ、今日はもう寝よっか」

「そうですね。寝られるかどうか分かりませんが」


 そう言って、僕と美来は隣同士で横になる。

 今も美来の体から温もりは伝わってくるし、昨日よりも激しい吐息もかかる。それでも、目を瞑ってみると途端に眠気が襲ってきた。意外と早く眠りにつくことができたのであった。

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