短い話

丹桂

吐き癖 (兄弟/共依存)

第1話







吾輩は人である。

名前はもうある。


けれども、呼んでくれる人は誰もいない。





――僕の兄さんは、恐らくこんな感じだ。










トイレの扉を開けた途端に鼻先でしたのは、ツンとした臭い。

嗅ぎ慣れた、その臭い。


どうやら兄さんは、また吐いたらしい。



僕は無言で、空の便器の中身を水で流した。

臭いは先程よりも、マシになった気がする。


でも長居する気にはなれなくて、僕はその場を早々と立ち去った。



僕の兄さんは、とても生きづらい人だ。

凡人の僕からしたら、とても生きづらい。


外を歩けば、誰もが振り返る程の美形。

そんな嘘の様な出来事が本当にあるのだから、笑えてくる。


ありえない位整った顔立ちをしているのが、僕の兄さんなのだ。




ここで、一つの疑問が生まれてくる。

そんな兄さんが名前を呼ばれないのは、何故なのか。


別に、嫌われ者な訳ではない。

顔が良い人特有の性格の悪さ――とか言ったら偏見になるのだろうけど、許してほしい。完全なる妬みから来ている、自分を宥める為の思い込みだ。僕は美形に、自分よりも性格が悪くあってほしい。一つくらいは、己の方が勝っていたい。そんな事を思う僕は、つまりクズ――を兄さんは、持ち合わせている訳ではない。



寧ろ、優しい。






それはそれは、可哀想なくらいに。






可哀想な兄さん。

名前を呼ばれない理由は、簡単。


皆が「王子」と、口を揃えて言うからだ。



王子、王子。


誰も彼も、兄さんの外側だけを呼ぶ。

それはまるで、心は要らないと言われているかの様だった。



その内に兄さんは、毎晩全てを吐き出すようになった。


押し付けられる理想の、煩わしさ。

親しくない人物からの好意の、気味の悪さ。

大勢から向けられる嫉妬や憎悪の、息苦しさ。


全て、トイレに籠って吐き出すようになった。





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