魚のぞきの窓
夏村響
第1話 旅の剣士アルコ・イリス
★
あれは身分の低い者なのです、と女官は言い、含み笑いをした。
「姿はいと美しく、城に参られる客人、殊にうら若き
「いえ、そういう意味では」
赤い唇で笑う女官から目を逸らすと、アルコ・イリスは困惑して自分の頬を片手で撫でた。そして、もう一度、城の方に目を向ける。彼女の視線の先にあるのはひとりの青年だった。彼は城壁からお堀に張り出したバルコニーにいて、何をするでもなくじっと佇んでいる。
お堀に面した、一番外側の部屋には門番や馬番、下働きの者など、身分の低い者たちが住んでいると聞く。そのひとつの部屋のバルコニーに青年はいるのだ。身なりの質素さからして、それは彼の身分の低さをうかがわせた。
青年は自分を遠くから見ているアルコの存在など思いもよらないらしく、透明な瞳でお堀の水面をみつめ続けている。それは表情のない瞳だった。
「アルコさま、そろそろお屋敷に戻りましょう。風が出て参りました。お風邪を召すといけません」
「分かりました」
と、素直に応じて馬を帰路へと返してみたものの、アルコはあのお堀をみつめる青年が気になって仕方なかった。それは女官が言うような彼の容姿に惹かれたからではなく、あの何も映さない瞳の色がただ、心に残るせいだった。
アルコ・イリスは旅の剣士だ。
今は縁あってこの国の名士イエン家の当主に請われて、客として屋敷に滞在している。
彼女は、滞在して間もないこのコウという国を知りたいと暇をみつけては馬に乗り、案内をしてくれる共の者を連れ、いたるところを気の向くままに散策していた。
今日もこの国の王族が住まう城周辺を散策していたのだった。
コウ国の城は、この国特有の
その姿は神々しく、民たちの憧れと畏怖の象徴となっていた。
しかし、輝かしい城の背後には闇があった。
そこには魔物や悪鬼が巣食う、
人々はその森を恐れ、決して日が落ちてからは近づかなかった。
光り輝く王城と、その背後に潜む森の、毒を含むような暗さが対照的で、返って城の神々しい白さが際立つという皮肉もあった。
また、城への侵入を阻むためにつくられた深く広いお堀の水は、豊富な地下水からくみ上げられたもので、今日の様によく冷える日は気温より地下水の温度の方が高くなるため、まるで霧のようにゆらゆらと水面から湯気が立ちのぼるのを見ることができた。
その湯気がたゆたうお堀の水をあの青年は飽くことなくみつめているのだった。
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