第29話 捨て身のルナトゥーラ
「師匠、先に行きます。朝礼があるから」
シンノが小さく手を振って部屋を出ると、宿の二階から小走りに駆け降りて、夜は酒場になっていた食堂を横切り、外へと飛び出して行った。
入れ替わりに、
「気を使わせたようで、申し訳ありません」
年若い女性が部屋の扉を叩いてから頭を下げた。
見知らぬ女だったが、気配には覚えがある。
20歳になるかならないか。すらりと背丈があり痩せてみえる体型だが、程よい胸乳の盛り上がりは成熟した女を感じさせる。
黄金色の髪に、理性的な濃い青瞳をしていた。その前髪の生え際、額の所に小さな白い角が生えている。
「おれに、何か用だろうか?」
トリアンは読みかけの魔導書に栞を挟んで閉じた。
「お邪魔を致しました。多少、込み入った話・・いえ、お願い事があって参りました。中に入れて頂いても宜しいでしょうか?」
「・・どうぞ」
トリアンは本を手に立ち上がると、自分が座っていた椅子を女に示し、自分は窓際の椅子へと移った。
「失礼します」
一言断って、女が部屋に入ると後ろ手に扉を閉めた。トリアンに勧められるまま椅子に腰掛ける。
「わたしは、サイリと申します。シンノさんと同室の・・少々見苦しいことになっていた女性を影から御守りする役目を任務としております。国元では、影衆と呼ばれておりますが、ご存じでしょうか?」
「初めて聴く。ただ、そうした職業の人間は多く見てきた」
「国はルナトゥーラ。歴史だけは古い、小さな山国です」
「ルナトゥーラ・・北の山岳高地の?」
「ご存じでしたか。我が主は、グレイヌ・マイン。ルナトゥーラの現国王の長女にあたる御方です。いえ・・良いんです。あれでも姫君なんです」
「・・何も言っていないが」
トリアンは机の棚から大陸図を取り出し卓上に拡げた。
「確かに国土としては小さいな」
「はい。西に沿海州の諸国、東側には氷雪に覆われた針葉樹林が拡がり、南側には幾重にも山脈が横たわっております。隔絶されたような土地で、それなりに細々とやっていたのですが、鉱人達が仕事に励み過ぎて、地下深くに横たわる大迷宮に坑道をつなげてしまいまして、魔物がぞろぞろと溢れ出てくる騒ぎになりました。正直、それまでは魔法は要らない。剣や弓を鍛えておけば良いんだという風潮でやってきておりましたが、それでは歯が立たない魔物が現れて上から下まで頭を抱えてしまい、他国にすがって猟兵を派遣して貰ったのです」
「ふうん」
「その時の猟兵達の活躍を見て、王家以下、認識が一変致しました。剣や槍だけでは駄目だと・・魔法が必要になると、他国からすれば呆れるくらいに出遅れて、魔法を学ぶために講師の派遣を依頼したり、高名な導師に講義をお願いしたりと国をあげての文化改革と申しましょうか、何とか遅れを取り戻そうと手を尽くそうとしているのですが・・」
そもそもの下地、魔法についての知識や認識の程度が低すぎて、招聘した導師が正しい事を言っているのか、間違った事を言っているのか、まるっきり判断が出来ない。
「2年ほど右往左往しながらやっておりましたが、このままではどうにもならない、永遠に魔法後進国のままだろうと判断しまして、グレイヌ王女をこちらの学園に入学させることになったのですが・・」
「・・なるほど」
色々と苦労しているようである。
「グレイヌ王女一人が魔法を身につけたところで、どうにもなりません。王女が得た知識を後進の者達に教えて育てる・・その時間がありませんから」
「なぜ?」
トリアンは訊ねた。このサイリという女性が駆け引きを捨てて、率直に話をしていることが感じられた。トリアンも率直に話を聴くべきだろう。
「我が国には、三つの危機がございます。一つは、すでにお話し致しました。大迷宮から溢れ出る魔物達です。二つ目は、そちらの地図をご覧になって頂ければ・・そう、沿海州諸侯の小国群の先、海の向こうからカイナード法国が大陸侵攻を準備していること。三つ目は、兵士を雇い、あるいは維持するための軍資金が欠乏していることです」
「魔物に対抗する魔法が無く、敵の侵攻を防ぐ方法が無く、他国から兵を借りる金も無い・・ということか」
「はい」
「おれは、この通りの若造だが・・その若造が考えても国を守る方法は無さそうに思えるな」
「正直に申しまして絶望的です」
「それでも、何かをやろうと言うわけか」
「絶望的でも、手遅れでも、守りたいものがある以上、何かをしようと足掻くべきだと・・すいません、これは私の持論です」
「そうか」
「本来ならば、公邸にお招きして国王より親書を持参の上でお願い申し上げるべき事なのですが・・」
サイリが椅子を離れて床に両膝をついた。両手に拳を握って床に突くと、深々と頭を下げた。
「トリアン殿とシンノ殿に、我が国の戦闘指南をお願いしたい」
「戦闘指南・・魔法だけでなく、戦い方を指導するということか?」
「シンノ殿の戦い方を拝見しました。魔法について素人同然の我らですが、あれは魔法だけで成し得る戦い方ではございますまい。体技・・いえ、闘技と呼ぶべきでしょうか、剣や魔法といった枠組みを踏み越えたものだと・・」
「顔をあげて、眼を見せて貰えるとありがたい。おれは眼を見て話さない人間を信用しない」
「・・失礼致しました」
サイリが顔をあげて、真っ直ぐにトリアンの双眸を見た。
「期間と達成目標、報酬を教えて貰おう」
トリアンはサイリを静かに見つめたまま訊ねた。
「期間は、カイナード法国の侵攻軍が我が国の国境を脅かすまで。達成目標は、我が国の兵士が地下迷宮から出てくる魔物を余裕をもって斃せるようになるまで。報酬は・・」
サイリが口を噤んで一度視線を床に落とした。すぐに顔を上げて、再びトリアンの眼を見る。
「我が国の領内にございます、すべての宿泊施設を無料で利用出来る権利、すべての食堂で無料で飲食出来る権利、国王を除くすべての人民に対する指揮命令権、すべての山海の恵みを自由に取得できる権利、期間中は王妃を除くすべての女性と自由に性交する権利、以上5つの権利を報酬と致します」
「権利ばかりで、金銭は無いんだな」
「我が国は貧乏ですから」
「・・なるほど」
トリアンは卓上の地図に視線を戻した。
「貴女の予想で良い。カイナード法国が侵攻してくるのはいつ頃だろう?」
「希望的に見て半年ほど・・早ければ三ヶ月かと」
「時間が無さ過ぎるな」
トリアンは眉間に皺を寄せた。
「今、少し時間はあるか?」
「はい」
サイリが頷いた。
「なら、椅子に座って待っていてくれ。知識の整理をしたい」
そう言って、トリアンはスイレンに収納させていた本を取り出した。ざっと頁をめくってすぐに収納し、別の本を取り出す。同じように頁を流し読みに読みながら、もう一冊、別の本を取り出して眼を通した。ルナトゥーラという国について記述がある本である。
「細工物・・鍛冶などの工作が得意だと本にあるけど?」
トリアンはサイリを見て訊ねた。
「はい。優れた職人は大勢おります」
椅子に腰を下ろしたままサイリが頷いた。
「ひいき目で無く、他国と比べても優れている?」
「はい」
「・・そうか」
トリアンはまた紙面に視線を戻した。
「誰にでも命令出来ると言うことだが、その中には、貴女のような影衆も入っているのか?」
「無論です」
サイリが即答した。
「すると、情報の収集力は期待できるんだな・・」
ぶつぶつと呟きながらトリアンは本をスイレンに収納させて再び大陸図に視線を落とした。
「国の北側が海に接しているが、船はあるのか?」
「ございますが、風を受けて走る帆船のみです。非常に荒れる海ですので、交易路として成り立つのは1年の内でもわずか二ヶ月ほどなのです。いくつか港町もございますが、いずれも閑散とした漁村です」
「地図上では、この辺りの山脈が大きく描かれているけど、実際は?」
「拝見します」
サイリが椅子を立って側に寄ると大陸を覗き込んだ。
「この辺までが3800メルテ、少し谷間があって、3500メルテほどの稜線になります」
サイリが指でなぞりながら説明する。ルナトゥーラなど北部大陸では、メートルでは無く、メルテという単位を使用する。1メルテは、1メートル半。
「谷間の幅は?」
「およそ500メルテです」
「こちらの山脈の高さは?」
「5000メルテから6000メルテの稜線が続きます。多少の高低はございますが、5000メルテを下回る場所はございません」
「あとは・・そうだな」
トリアンは一冊の分厚く大きな本を取り出した。金色の唐草のような模様が彩っている美しい装丁をした"狩猟図録"である。
「貴女は地下からわいて出る魔物を実際に見ているか?」
「はい」
「なら・・」
本の表紙を開きつつ向きを変えて本を卓上に開いた。
今にも動き出しそうな魔物の姿が様々な角度から描かれ、名称や形状の特徴、生態などが記載されている。
「こ、これは・・凄い・・魔法の書物でしょうか?」
サイリの双眸が大きく見開かれ声が震えた。
「過去に、おれが仕留めた魔物が描き出される魔導の本だ。この中に、貴女が見た魔物はいるか?」
「・・拝見します」
サイリが一頁ずつ丁寧にめくってゆく、
すぐに、
「書き出させて頂きます」
上着の内から細い筒と丸めた紙束を取り出すと、筒の蓋を捻って細い筆を抜き出した。
トリアンが見守る前で、サイリが紙の上に箇条書きに筆を走らせてゆく。
(ルナトゥーラでは、文字は縦に書くんだな)
サイリが真剣な表情で、頁を順にめくりながら時折小さく唸り紙面に名称を転記する。
(さて・・この女は嘘はついていない。だが・・)
たかが影衆が、国事を左右するような条件を約定できるというのは謎だ。
特に、国民への指揮命令権や、すべての女性との性交権利まで口にするなど正気を疑うような内容だった。
普段なら相手にせず与太話と切り捨てる。
だが、このサイリという女はすべて本気で口にしていた。
まだ本の中ほどだったが、サイリが覗き込んでいた紙面から顔を上げて手にした紙を上下を逆に返して差し出した。
「わたしが目にした魔物はこれが全てです」
「・・そうか」
トリアンは本を収納すると、差し出された紙を手に魔物の名称に眼を通した。
(魔族が居ないな・・あるいは、悟られずに潜んでいるのか?)
カイナードの侵攻と、魔族の動きが連動していないのなら、わずかな期待が持てるかもしれない。
「報酬に追加で条件を加えたい」
「何なりと」
「おれとシンノは通いで指導にあたる。週2日だ」
「はい」
「おれへの報酬をルナトゥーラ国民に公示して貰おう」
「畏まりました」
サイリが即座に答えた。
その顔をトリアンは見つめた。サイリが静かな眼差しで視線を受け止めていた。
「訪問初日に、鍛冶屋・・工作物の職人を集めておいてくれ」
「はい」
「おれとシンノは己の判断によって行動する。例え、ルナトゥーラの王族、貴族による命令だろうと益にならないと判断すれば退ける」
「はい」
「それから、これが肝心な事だが・・・シンノへの説得はおれがやる。特に、そちらの姫君には、余計な事を言わないよう釘を刺しておいて欲しい」
「はい・・っと、そ、その・・急ぎ王女に伝えに行っても宜しいでしょうか?」
サイリが非常な焦りを浮かべた。
「どうぞ。シンノが嫌だと言ったら、この件は無くなるから」
トリアンは身を避けて窓を開けた。
「失礼致します。この非礼のお詫びは改めて、また後日っ!」
サイリが窓枠に足を掛けるなり、掻き消えるようにして姿が見えなくなった。
(良い身のこなしだな。あいつは、おれの訓練について来れそうだ)
トリアンは窓を閉じて椅子に座ると、改めてサイリが書き出した魔物の名前を眺めた。
猟兵館が討伐には猟兵の中隊相当が必要だとしている魔物ばかりだった。数によっては、大隊でも手に負えなくなる。
(魔法がろくに使えなくても、こいつらを斃しているということか)
そう考えれば、ルナトゥーラの兵士達は剣や槍など武器を使った戦いには長けているのだろう。
トリアンは書机に移動すると、いくつかの本を取り出して並べ、目の前には大ぶりな紙を拡げた。何度も考察し、線を引き直した図面である。寸法の調整は必要になるし、決定的な欠点を抱えた武器だが、完成すれば国防の役に立つだろう。出来の善し悪しは、ルナトゥーラの細工屋の技術力に期待するしかない。
さして広い国土では無い。兵士の数はかなり少ないだろう。話を聴いた感じでは、とてもでは無いが大型の飛空艦を飛ばせるような国力も無さそうだ。そうなると、飛空艦から国土を守るための手段が必要になる。
トリアンは、ちらと机上の時計を見た。魔晶石で動く魔導仕掛けの時計である。こういう物が当たり前にあるのが、ルナリア学園都市というところだ。
(学ぶべき知識がある)
闘技大会での強弱など興味が無い。トリアンは学園に集められた膨大な魔法の知識に興味があった。個人ではとても集められない圧倒的な数の魔導書、その魔導書を書く魔導師も多く住んでいる。魔導の研究者が、強大な魔法を操れるとは限らないのだ。カイナード法国の老いた魔導師も戦う事に関しては弱かった。しかし、魔導で飛空する戦艦や要塞を創造してのけた実績者である。
この5年間、トリアンなりに考えて研究している魔導の道具がある。すでに何度も試作を繰り返していたから大きな失敗は無いはずだ。材料の一部に、魔物の遺物を利用するのだが、それも十分な数を採取済みだった。
口約束の報酬に釣り合うかどうかは微妙なところだが・・。
(しかし・・ずいぶんと思い切った事を言ってたな)
トリアンは図面に書き込まれた数字を計算し直しながら、サイリという女の並べた報酬を思い出して苦笑した。
あんな報酬を鵜呑みにして釣られるような人間に見えたのだろうか。
下に見下したような様子は見られなかったが、誰が聴いたって信用しない内容の報酬ばかりだ。
(よほど国庫が金欠なんだな・・)
国のすべてを引き替えにしても招き入れたいという命賭けの意思表示だったのだろう。影衆などという日陰者が、あのような交渉を持ち出したと国元に知られれば断罪は必至だろう。
影衆の女が言った言葉を、ルナトゥーラの王族の言葉だと受け取るほど目出度い頭はしていない。ただ、カイナード法国を敵視している点は、トリアンも同様だ。闘技場におけるシンノに対する暴言の数々をトリアンの耳は拾っている。
滅多に無い事だが、トリアンは腹の底から怒っていた。
激怒と言って良い。
遅かれ早かれ、カイナード法国には厄災を振りまくために赴くつもりだったのだ。
ルナトゥーラに攻めてくるなら、戦争に便乗してカイナード法国を痛め付ける好機だ。
(ここは・・素材で数値が変わるか)
図面を何度も見返してから、机上に拡げた物を仕舞って、トリアンは立ち上がると壁際に掛けてあった外套を手に取った。
そろそろ、シンノが飛び込んでくる頃合いだった。
どんな顔をしているか。
それで、ルナトゥーラの命運が決まる。
トリアンは、ルナトゥーラに拠らずとも、カイナード法国と渡り合うつもりなのだ。サイリという影衆の女が来るまでは、このルナリア学園都市をカイナード法国との戦場にする気だった。
場所をルナトゥーラに移したと思えば良い。
サイリが言っていた報酬が与太話だったとしても、ある程度の協力は得られるだろう。
(まあ、王族と揉めるか、宰相や大臣あたりの横槍で頓挫するだろうが・・それも、カイナードと戦端が開かれるまでの事だ。成果の確認が出来れば、ルナトゥーラに拘る必要な無い)
トリアンは外套を羽織ると窓の外を見た。
果たして、もの凄い勢いで、シンノが走ってきていた。だいぶ遅れて、先ほどのサイリという影衆が追いかけてきている。
トリアンは窓を開け放った。
「師匠っ!」
風鳴りと共に窓から飛び込むなり、シンノが空中で向きを変えて部屋の壁に着地した。
「ど、どどどど、どういう事ですかぁーーーー」
シンノがしがみつくように迫ると、両手を拡げて通せんぼした。紅瞳が爛々と色味を増し、尻尾の銀毛が逆立って膨らんでいる。
「どうした?」
「どうしたじゃありません!お、おおおお、お、女の人と、みんなと・・・そんな事するなんて、絶対駄目です!ありえません!」
沸騰しそうな形相でシンノが詰め寄る。
「それは心配するな。あれは罠だ」
トリアンは苦笑気味に言った。
「・・罠?」
わずかにシンノの剣幕が弱まる。
「一つには、そういう条件を出せば、おれのような若いのが飛びつくだろうという誘い。もう一つは、売れ残りそうな女を纏めて押し付けようという罠だな」
「・・罠・・師匠に押し付ける・・」
シンノがトリアンの言葉を反芻する。
「どちらも、おまえがおれの近くで見張っていれば問題無いだろう?」
「そ・・それは、そうです!もちろんです!がっちり見張りますよ!」
拳を握りしめてシンノが叫んだ。
「おまえも、ずいぶん鈍っているようだからな。一から鍛え直そうと思っていたところだ。この学園都市では組み手の場所にも苦労するが・・ルナトゥーラは自由に土地を選べそうだ。週2日は、ルナトゥーラで組み手をやる。そのつもりで居ろ」
「しゅ・・しゅう・・2日でアリマスカ?」
有り得ない言葉を聴いた顔で、シンノがそっと聞き返した。
「何か問題か?」
トリアンの双眸が射貫く。
「い、いえっ!問題ありません!」
「しっかり準備をしておけ」
「はいっ!」
シンノが真っ青な顔で返事をした。
その時、扉が控えめに叩かれ、外で伺いの声がした。
先ほどのサイリという女の声である。
「入ってくれ」
トリアンが声を掛けると、扉が開かれて、簀巻きに縛り上げられた若い女が部屋に放り込まれた。元の顔の形が分からないほどに青黒く腫れ上がっている。
「申し訳ございません!」
サイリが部屋に飛び込むなり、簀巻きの女の横で両膝をつき、額を床に擦りつけるようにして這いつくばった。
「こ、ここここ。この馬鹿がっ!この馬鹿がっ、いらぬことをシンノ殿に話してしまい・・本当に情けない、この馬鹿がっ!」
サイリが這いつくばったまま、血を吐くようにして叫ぶ。
正しく魂の叫びだった。
トリアンは無言でシンノを見た。
シンノの眼が泳ぐ。
「条件が一つ加わった」
トリアンは、怒りか哀しみか、床に這ったままぶるぶると震えるサイリに声を掛けた。
「何なりとっ!」
サイリが床に向かって吠えるようにして叫んだ。
「週に2日、ルナトゥーラで、シンノと組み手をやる。半径1000メルテに人が住まない土地を用意して欲しい」
「承知っ!」
再び、サイリが叫んだ。
「なお、女との性交云々という報酬は、シンノの了解が無い限りは一切の行使が認められない。そうだな?」
トリアンはシンノを見た。
「その通りです!」
シンノの勢いが戻った。萎れていた銀毛の尻尾が勢いよく跳ね上がる。
「このシンノの眼が紅い内は、何人たりとも不埒な行いは認めません!良いですね?」
びしりと指さした先には、簀巻きになった女が転がっている。
「シンノ殿、このどうしようもない馬鹿に代わって、このサイリが影衆の長として約定致します。シンノ殿が許可した女性に限り・・と一文を付け加えさせて頂きます」
「・・むぅ・・まあ、それなら大丈夫でしょう」
腕組みをしたまま、シンノが唸るようにして言った。
「それで・・そこの、それは、どこの誰だ?」
トリアンは簀巻きの女を見て訊いた。
「何度言っても部屋の掃除一つ出来なくて、一ヶ月に一回しか洗濯しない人です」
シンノが冷たく言い放つ。
ひれ伏したサイリの背が、びくりと痙攣した。
「寝台で寝転んだまま、ずうっとお菓子を食べ続けて、そこら中にこぼしてる人です」
「うぅぅ・・」
とうとう、サイリが嗚咽を漏らした。
「つまり・・・・それが、ルナトゥーラの王女か?」
トリアンは肩を震わせて平伏しているサイリを見た。
「は、はい・・このみっともないのが王女なのです」
「・・そうか」
言うべき感想を持たないまま、トリアンは何となく頷いた。
「いずれにしても、これで取りあえずの話は纏まった。週2日、おれとシンノはルナトゥーラに滞在する。第一回目は、明後日の正午だ。まずは鍛冶や細工物が得意な者を集めておいてくれ。一通りの打ち合わせが終わり次第、魔法の・・訓練か、何かをやっているんだろう?」
「はい、講師を招いて授業をやっていたのですが・・素養が無いと仰られて、今は皆独学で、本を見ながら・・」
サイリの声が段々と細く小さくなる。
「では、その独習の様子を見学させてくれ」
「分かりました」
「デギン鋼はあるか?もっと硬い金属でも良いが・・」
「デギン鋼もございますし、デザン鋼やイージン鋼もございます」
サイリの声音に自信が戻った。鋼材には明るそうだ。
「それぞれ、少量を用意しておいて欲しい」
「承知致しました」
「師匠?」
「おまえの金鎚の代わりを造ってもらおう。あれでは軽すぎただろ?」
「はい、もっと重たい方が・・斧とかどうでしょう?こう・・柄の長いやつ」
シンノが手を広げて斧の大きさを表す。
「斧か・・おまえは、両手で振り回す物が好きだな」
「えへへ」
照れ気味に笑うシンノに、
「我が国、最高の鍛冶師をご紹介致します」
サイリがきっぱりと宣言した。
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