第3話

視界が暗い。

本当に真っ暗で何も見えない。


死ぬという人生最後の経験は、当然ながら1人一回と決まっているわけで、長々と戦場を歩いてきた私としても、初めてなわけだ。


だから今、意識というものが残っているのには割と驚いている。死んだ後、無になるか意識を保ったままなのかは哲学者の永遠の議論の的だったので、その答えを体現できたのは少しばかり優越感を覚える。


しかしながら、暗くて何も見えない。いや、そもそも眼球という概念があるのかどうかも謎だから、見ることができないという方が正しいかもしれない。


なるほど、死とは暗いのか。

1人感心していると、それにしても妙なことに気がついた。


(……手足の感覚がある?)


手先の方に神経をとがらせると、確かに岩肌の感触がするのだ。そう、ゴツゴツとした岩肌の感触が。


足も動く、手を動かそうとすると、ちゃんと手は動いてくれる。


さらに、肌で感じられる少しヒンヤリとした湿度は、洞窟のそれによく似ていた。


(つまり、目が見えないわけではなく、暗いから視覚が奪われているということか?)


暗闇に目が慣れてきて、ものの輪郭程度はわかるようになったので、周りを見渡してみる。


すると、小さな川が流れていたり、苔が生えていたりと、おおよそ地獄だとは信じられないような穏やかな光景が広がっていたのだ。


ここが死後の世界だとしたら、何とまぁ親切なことか。

てっきり巨大な鬼やのこぎりであったり、針山や閻魔様を想像していた身からすると、優しすぎて笑えてくるレベルである。


だが、油断は禁物だ。


何かの手違いで死んでいなかったり、あり得ないとは思うが、本当に地獄に来ていて、まだ運良く鬼に見つかっていないだけだとしたら、今の状況はかなり幸運ということになる。

行動は慎重にするべきだな。


と、そこまで考えたところで、自分の体にふと違和感を感じた。

腰元が、重い?。


手を腰に伸ばしてみると、久しく触れていなかった感触がしたのだった。


「…軍刀がある!?図嚢まで…ッ?」


極東裁判では…というより、どんな裁判でも狂気の持ち込みは当然ながら禁止されている。

その例に漏れず、長年愛用してきた軍刀も、向こうさんに奪われてしまったのだ。


図嚢というのは将校がよく持っている小さな革製のポーチのことで、主に地図や筆記用具を入れる。

図嚢も愛着があるものであったが、それも奪われてしまったのだった。


だがしかし、今はここに戻ってきている。

何故だ?まさか足がついて歩いてきたわけではあるまいし、謎なことだ。

だがまぁ、武器があるのはいいな。軍人としては刀が一本あるだけで大分気分が違う。


となると、やはり人間の性というか、外を見てみたいという好奇心が湧いてきた。


そう、猫をも殺すと言われている、あの好奇心である。


一度湧き上がって仕舞えば、それを抑えることは何人にも難しいもので、私もそれに負けてしまった。


(まずは、空気の流れを見ないとな)


人差し指を少し口にくわえ、指を立てて自分の前に持ってくる。そのまま暫くすると、指にひんやりとした微力な風が当たり始めた。


なるほど、あっちの方向に出口があるのか。


慎重に、一歩一歩の足場を確かめるようにして進んでいく。

まるで、前線のジャングルで仲間とともに進軍して行った時のようで、中々に気分が高揚する。


そうすること数分後、出口と思しき大きな岩の口が見えた。

まばゆい光に目を刺されながら、静かに腰に手を伸ばし、帯刀する。

いつでも抜刀できるように、構えを取りながら、足音と息を極力殺してスッスッと歩く。


が、音を殺すという目標はいとも容易く打ち砕かれたのだった。



自分の足元にある水溜り。

洞窟においては別に珍しくもない自然現象だったのだが、そこに映るものが悪かった。



そう、水溜りに映る自分の姿だ。



「ッッッ!!?」



何故だ?何故だ何故だ何故だ!?



あまりにも不可解すぎて目を見開いてしまう。

そして、そこに映る自分を何度もなんども見返すのだ。

だって…理解できないだろう。


「何故……若返ってるんだ…?」


三十半ばだった自分が、急に二十代ほどの外見になっていたら……。

まるで海外ものの安っぽい小説でも読んでいるような気分になるが、もう一つ、かつての自分とは違う点を見つけた。


目が、紅いのだ。

充血しているわけではない。ただ黒目が収まっているべき双眸には、緋がさしていたのだった。


まるでルビーのような紅さには、自分の奥底に眠る無念や恨み、怨恨が含まれている気がするのだ。

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