『神戸を彩った外国人・ヴェンセスラウ・デ・モラエス』
北風 嵐
p1 モラエスと神戸
神戸に外から来る人は、新幹線の新神戸駅がトンネルとトンネルの間にあるのに驚かれるかも知れない。ホームに降り立った人は南に細長く広がった市街地と海をみる。北側は切り立った山裾が迫ってある。
この駅の裏道を10分も登れば、布引の滝がある。深山霊谷の雰囲気がこれほど都心に近いところで得られる土地は他にないだろう。たまに鳴る汽笛の音がなかったらついそばに市街地があるとは思わないだろう。
その新神戸駅からJR三ノ宮駅、市役所を通り、海側の税関前にかけてメインロード(フラワーロド)がある。居留地が出来るまでは、布引の滝からの生田川であった。洪水があってはいけないと、この天井川を付け替えて道を作った。
港までつづいている/このメインストリートは/川である
むかし むかし/ふたりのおとこに求愛された女の/かなしみが流れた/川だったと詩人は歌っている。(詩集:神戸市街図 たかはら おさむ 『ある川の歴史』より)
この道を『滝道』と神戸の人は長く呼んだ。
その市役所の海側下に『東遊園地』という名前の公園がある。1・17の神戸震災の追悼行事『ルミナリエ』の最終会場になるところだといえば、テレビで見たことがあると思われる人も多いだろう。
1868年(明治元年)に外国人居留遊園の名称で開園(居留地の東側にあったので東遊園地の愛称で呼ばれた)した日本で最初の西洋式運動公園とされる。開園当時は外国人専用であった。今、公園内には、ボウリング発祥の地の碑・近代洋服発祥地の碑などの各種の記念碑がある。神戸に深く関わった外国人の像もある。その中にヴェンセスラウ・デ・モラエス の胸像がある。
滝までの登道は格好の運動道となり、居留地に住む外国人たちはよく利用した。途中で一服入れる茶店が出来た。そこには店を手伝う三人の美人姉妹がいた。滝より、その姉妹目当ての人もあったという。
真ん中のお福という娘に惚れた外人さんがいた。しかし、しばらくしてお福さんは他に縁談が決まった。そのお福さんは1年後に病気になって亡くなった。お福さんに惚れた外人さんというのがヴェンセスラウ・デ・モラエス である。
モラエスは神戸の総領事として勤め、日本を外国に紹介した文筆家として小泉八雲と共に知られている。
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