第二十手 運命の握手

 「どういうこっちゃ………」

 襟シャツの少年は、わなわなと肩を震わせながら頭を抱えた。

 「わいが、子ども扱いかいな………」



 「わいの勝ちや。金。早う出せや。」敬治は、着物を整えると机に置いていた自分の金を首元の巾着に入れる。


 「おい。足りへんぞ。」

 襟シャツが渡して来た札を数えるが、その枚数は敬治が提示したものの半分にも満たない。

 「それで、全部や。殴ってくれや。兄さん。」

 襟シャツは、顔色も変えずにそう言って、吸い終わった煙草にまた火を点ける。


 「てめえは、変な趣味でもあるんか。殴られるのが好きなんか。」

 敬治の言葉に、襟シャツは笑った。

 「んなわけあるかい。わいら。敗けて金払うてしもたら、仕舞いや。」

 「ほうか。ほな、表出よか。」

 そう言う敬治に、池谷が慌てた様に近づく。


 「ビルの近くで騒ぎ立てんなや?

 ええの? ここが嗅ぎ付けられそうな真似だけはよせや? 」


 「なんや、爺さん、助けてくれんのかい? 」

 ケラケラと笑う襟シャツの鼻を、目にも見えない池谷の張り手が貫く。


 「ガキが。賭けた金も払えへんなら、ここにくな。

 その兄さんにたっぷりとしばいてもらえや。」


 「ぐ………くそ……」ボタボタと垂れ流れる鼻血を両手で押えながら、そう悪態をつく。

 「兄さん。そのガキ。好きにしや。」池谷に頷くと、敬治は襟シャツを引っ張りそのビルを後にした。



 「………………まさかとは、思わんが………兄さん………まさか、たかが数百圓でわいをばらすつもりやないよな? 」


 いつまでたっても、敬治は立ち止まる様子が無い。疲労が漂う程。既にあのビルから、かなり離れているのにそれでも進むので、襟シャツは最悪の予想を先に口に出し、牽制を窺う。

 しかし、敬治は全く言葉を返さない。それどころか、益々人気のない場所へと進んでいく。

 

 それから暫くした後、敬治は周囲を見渡すと、乱暴に襟シャツを放り投げた。

 「痛っってぇえ‼ 」


 「なんや、あっこやと、堂々としとったのに、えらい喋るやないか。

 知っとるか? 弱い犬程よう吠えるんや。」


 襟シャツは、背筋にゾッとするものを感じる。先程までと違うその睨み。これは……凄みである。


 「わ、わい……殺されんか? 」震える声で、そう尋ねてきたので敬治はにやりと口角を上げてやった。

 「殺されたいんか? 」一瞬止まった後、襟シャツは首をブンブンと横に振る。


 「せか。ほな、わいの言う事を聞け。

 そしたら、負け額はこれで、堪忍したる。」

 襟シャツは、鼻先に叩き付けられる圓札で、目が中心に寄る。


 「断れんか? 」

 「よう、そんな事言えるのぉ? 」未だに反抗する、襟シャツに駄目押しの睨みを浴びせた。


 「分かった………分かったわ。

 で、何さす気なんや……言うとくが……鉄砲玉とかは無理やで? 」

 敬治は、顔をもう一度近づける。



 「わいの舎弟になれ。」








 翌日。

 襟シャツは、またあのビルに居た。

 「悪いのぉ、兄さん。これで、またわいの勝ちやわ。」

 そう言うと、対面の男の大駒を潰す。

 

 「くっそ。こらあかん‼ 次はも一回‼ 倍賭けでどやっ⁉ 」

 「悪いの、兄さん。わい、これから女と用事が有るさかい。

 また、宜しゅう頼んまっせ。」

 襟シャツは、立ち上がると席を後にする。


 「待てや‼ 勝ち逃げか⁉ 」相手の男が叫ぶ。その時、被っていた帽子が落ちる。その相手の男は。


 敬治であった。


 顔を泥で汚し、人相を変えているが、間違いなくそれは、敬治だ。


 襟シャツがそこを出て行くと、その場に居た者達が群がる。

 「何や、大賭けしたいんか。なら、わいと指さへんか? 」

 「いや、わいと指そうや。

 なんやったら、今までの負け額、総賭けでもかまへんで? 」

 皆、声は笑っているが、目には一切の笑みは無い。


 ここに居るのは、皆『将棋が楽しみたい』のではなく『将棋で金を盗り』に来ている者だ。先程の二人の対局を観た彼らは、その棋譜からはっきりと読み取った。

 『この男は、絶好のカモだ』と。

 敬治は、その様子に思わず湧き出る笑みを、必死に噛み殺す。


 


 「つまり、わいに演技せぇっちゅう事か。」


 場面は、昨夜に戻る。


 「せや。そんで、わいをれ。ただし、手抜きがバレちゃあ、元も子も無い。せやから、お前くらいの力量が要るんや。」

 襟シャツは、顎に手を当てて考える。

 「成程のう……それで、勝てる思うて来た奴らから、大賭けさせる訳か……せやけど、すぐに顔を憶えられたら仕舞いやで? 」


 「かまへん。変装すれば、三日四日は保つやろ。

 わいは神戸にどうせ戻る。早う荒う稼ぐ方が都合がええ。」


 その返答に、襟シャツは眉をしかめた。

 「おいおい、わいはここで生きていきょうるんで? 」


 その言葉に、今度は敬治が眉をしかめる。

 「お前はわいの舎弟や言うたやろ。

 神戸に来い。

 兄貴分として、ちゃんと飯を食っていける働き口を紹介したるわ。」

 まるで、ラリーの様に今度は襟シャツが驚く様な素振りを見せた。

 「なして、さっき会ったばっかりのわいに、そんなにしてくれるんや。」


 敬治は、溜息を吐く。

 「別に。今、お前が言うたやないか。

 生きていきょうるって。お前も、戦争孤児やろ?

  そんで、将棋を必死で憶えたんやろ? 」

 敬治の声だけがその暗闇に聞こえる。

 「同じ考えの奴が居って、嬉しかっただけや。」


 「ふ。」彼は鼻で笑ってそれに応える。

 「おう、そや。お前、何て言うんなら? わいは敬治ゆーわ。宜しくな。」

 襟シャツが敬治に手を伸ばした。

 「清川きよかわや。キヨって、呼んでくれや。」


 「ほうか、キヨ。ほなら明日からちょっと忙しゅうなるで? 」

 「あいよ。敬治はん。」そして、固く二人の手が結ばれる。


 のちに………いや、それどころか遥か未来さきまで。

 この少年二人の出逢いが、様々な人間の運命を動かす事となる。


 そして、それは。

 決して、良きだけでなく。

 善きだけでなく…………

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