軍勢-ハンドレッドオーバー-
深夜。
いつも通り目を覚まし、いつも通りにベアトリーチェを起動する。
いつもと違う自分、いつもと違う世界。
――"私達"だけに許された、秘密の活動。
そんなことを考えると、思わず表情が少し
――どうしたんだい。いつも以上に、なんだか楽しげじゃないか。
「……そう見える?」
――そうだね。もしかして、強敵と戦うのが楽しみ?
「そうじゃ、ないと思う」
それも、あるかもしれない。
シェイドとの戦闘、戦斗少女同士の戦闘。気分が高揚するのは、やはり極限の状況下だ。
敵が強ければ強いほど――とはいえ、自身の全力と拮抗する程度の相手との戦闘が、一番楽しい。
だけど、私の本心は、もっと別のところにある。
それは、今回の戦闘が共闘だということ。
偽りの自分だということはわかっている。それでも、誰かと共に何か目的を為すということに、何故か喜びを隠せない。
これも、ゲームの感覚の延長――否。そもそも、ゲームというものは、こういった欲求を満足出来るように設計されているのだ。
オンラインゲームでパーティーを組んだりするのもその一種だろう。
現実の世界では得られない繋がりを
「行こう、リヴァイアサン」
ならば、割り切ってしまえばいい。
これは、秘密の
大きく背伸びをして、もはや見慣れた夜の街に飛び出した。
春の夜風は、仄かに暖かく感じられた。
◇ ◇ ◇
告げられた集合場所は、市の野球グラウンドだった。
無人の野球場に明かりはなく、只管に薄暗がりが広がっていた。
「来たね」
既に"
ピッチャーマウンドに立つその姿は、まだ見えぬ敵影を遠くに見ているようだった。
「残りの二人はそろそろ――と言ってる内に、来たみたいだね」
振り返った先には、二人の少女。
一人は、"
六人目の戦斗少女は、ピンクの髪を緩やかに靡かせた、なんというか、
見ているだけで精神を揺さぶられるというか、妙な感情を抱くというか……
「どうも、"
「えっと……そ、その姿は」
「ふふっ。
少女は
予想はしていたが、ここまで堂々と名乗られると流石に戸惑う。
二人の少女の姿は、似通っているようで、対照的だと思った。
色彩は水色とピンクの対比。
"怠惰"の姿は、アイドルの衣装のような、まるで観客に見られるためにあるような、可愛らしいデザインをしている。
一方、"色欲"のそれは、妙に情欲を刺激するというか。
普段の柊の、あの柔和そうな感じが、違ったモノに見えてくるような魔性がある。
観客に見られるための衣装。それを通り越して、観客を誘惑してしまいそうな――
「おーい、大丈夫かー」
"暴食"の呼びかけで、思わず我に返る。
「まあ、"色欲"っていうくらいだからね。エロい目で見るのは当然とは言え、あんまりにもガン見してるのは……」
「べ、別にそんな目で見てません!」
「別に構いませんよ? 私は」
「やめてください!」
ダメだ。このままではあらぬ誤解を生んでしまう。
枯れ気味の喉に鞭打ち、必死に無罪を主張する。
「そっかぁ……まさかいっこ上の先輩が、こんなムッツリスケベだったとは……」
「だから! 違いますって!!」
「はいはい。新人いびりはそこまでにしておこーねー」
"暴食"の仲裁によって、なんとかこの場は収まった。ということにしておこう。
「……そろそろじゃないかな」
球場のライトは灯っていない。
光源は、周囲の僅かな街灯の明かりのみ。しかし、戦斗少女としての視覚は常人を遥かに超え、この暗闇にあっても全てを見通すことが出来る。
チカチカ、と。世界の明かりが、点滅したように思えた刹那。
ぞわり、と。
一面の闇が、更に濃くなったような感覚が押し寄せてくる。
「――来るよ」
"暴食"が、冷たい刃のような声で呟く。
眼前の整地されたフィールドに広がるは、闇。
その闇の中から、ぼこり、と。
まるで、深海から浮かぶ泡のように。闇が煮え立ち、形を為す。そして、見慣れた異形――シェイドとして、這い出てくる。
その数、一体、二体、四体、八体、十六体……倍々方式に、その個体数は際限なく増えていく。
「ちょ、ちょっとちょっと! なんかすごい湧いてくるんだけど!」
「なるほどね……共闘クエストっていうだけあって、前哨戦もなかなか……」
「これは、ちょっと大変そうですね」
それは、一面の闇。
眼前に群がるシェイド。その総数は、一瞥するだけでも、百を有に越している。
今までの戦闘の中でも、類を見ない多勢。
四対百。あるいはそれ以上。単純に計算しても、一人頭三十体程度は相手にする計算になる。無論、それですら過去最大数だ。
「まあ、この雑魚どもにやられるようじゃ大ボスは倒せない、ってことね。いいんじゃないか?」
「そーね。んじゃ、足引っ張んないでよね? 大食いさん?」
「あはは! そういうあんたも、怠けグセこじらせて途中でドロップアウトしないでよね?」
"暴食"が朱の長槍を振るい、"怠惰"が蒼の双銃を構える。
「それでは、私達も頑張りましょうか」
"色欲"の武装は、どうやら鞭のようだった。
長く柔軟に編み込まれたそれは、熟達の技巧で振るえば、シェイドすら切り裂くのだろう。
私も、自身の武装であるガントレットを装着し、強く拳を握りしめる。
視線の先には、シェイドの山。シェイドの波。
決まった形を持たぬ彼らは、人であったり、獣であったり、もっと形容できぬ何かであったり。統一性のないフォルムをしている。
共通点としては、彼らを構成するものが、光すら飲み込む闇一色であるということか。
――闇が、津波となってなだれ込んできた。
◇ ◇ ◇
黒い海に真っ先に飛び込んでいったのは、朱の閃光。
その2mを超える長槍が
踊るように槍を振るい、その緋色の軌跡上に踏み入ったシェイドは尽く霧散していく。
"怠惰"も緩やかに駆け出した。両手の拳銃は一般には流通していない、戦斗少女のみが扱える武器のようだった。
水色を基調とした銃身は、所々に可愛らしい装飾が施されているが、その完成された機能美――凶器としての美しさは隠せていない。
両手のトリガーを引くごとに、日常においては聞きなれない爆発音が鳴り響き、射線軸上のシェイドに風穴が穿たれていく。
その狙いは過たず。一射一射に無駄はなく、全ての銃弾が確実にシェイドに致命傷を与えていく。
その姿は、魔弾の射手。彼女が放つはただの弾丸ではなく、死神の息吹だ。
"色欲"の振るう鞭は、例えるならば音速で動く蛇だ。
狙った敵は決して逃さず、うねるような軌道で襲いかかる。
巧みなスナップによって伝導されたエネルギーは、音速を超えた証明である衝撃波を伴って敵を粉砕する。
まるで、奴隷の調教師のような――むしろ、処刑人のような無慈悲さを以って、この冷徹な攻撃はその手を緩めない。
さて。悠長に他人の戦いを観察している場合じゃない。
敵は私の眼前にも
それは、波というよりも、壁というほうが正しいかもしれない。
だが、導き出される回答は、そのどちらであっても変わらない。
立ちはだかるのならば、只々粉砕するのみだ、と。
地面を蹴り飛ばし、一条の弾丸となって突進する。
その勢いのまま、黒い塊に向かって右の拳を打ち出す。突き立てた拳から放たれる衝撃波が、塊を崩す。
速度を殺さず、返す拳を打ち込む。確かな手応えとともに、影の爆散する音が耳をつんざく。
側面から襲い来る触手を跳躍して回避し、そのまま空中で体を捻る。
両足をエメラルドの光が囲み、一瞬で装具を
殴るだけが、脳じゃない。
遠心力を活かした回し蹴りが、巨漢のような姿のシェイドを彼方にまで吹き飛ばす。
敵意とも殺意とも取れぬ、黒々とした感情を撒き散らしながら襲い来るシェイドに、拳撃、蹴撃の舞踏を浴びせる。
「へぇ、蹴り技もあったのか」
"暴食"がシェイドをなぎ払いながらこちらに声をかける。
「なるほどねぇ。だとしたら、私ももうちょっと先輩らしく、いいとこ見せないとねぇ。なぁ、
長槍を右手に構えたまま、高らかにその名を呼ぶと、"暴食"の左手に橙色の光が収束する。
光は質量を持ち始め、一つの形を生み出す。
それは、右手の長槍と同じく太陽の如き色彩の、また異なる形状の槍だった。
――
「さぁて……下がってたほうがいいかもよ!」
右手の長槍を地面に突き刺し、胸元からスマートフォンが変化した
項目を選択、決定した際の微かな電子音が、混沌とした戦場に響く。
そして指示通り、私を含めた三人はシェイドの集団から距離を開く。グラウンドの中央には、まだ数十体のシェイドが群がっていた。
「
左手に携えた投槍は心臓のごとく鳴動し、灼熱する。
夜の闇の中にあって、その槍だけが、真昼の太陽のように輝いていた。
渾身の力を込めて引き絞られたその腕は、まるで弓だ。もっとも、放たれるであろう一閃は、弓矢のそれとは比較にならないだろう。
「
拡張機能アビリティが発動され、槍に込められた力が一つの流れとなり、"暴食"の手から放たれる。
それはまるで、一条の流星が堕ちたかのよう。投槍がシェイドの集団の中央に着弾すると同時に、大気を吹き飛ばす振動と轟音が身体を叩く。爆心地付近のシェイド数体が、この一撃だけで爆散した。
だが、この一撃はただの投擲による攻撃ではない。
突如、突き刺さった投槍を中心に、周囲のシェイドが押し潰されていく。
まるで、透明な巨人に踏み潰されているかのように、その影絵のようなシルエットが圧縮されていく。
周囲のシェイドも、その引力に引きずり込まれ、潰され、ひしゃげていく。
大地もまたその力に耐えきれず、押し込められ、沈んでいく。
その力は、重力。巨大にして規格外の質量――即ち天体が、その自らの重さに比例して、周囲の空間を引きずり込む力。突き刺さった槍が重力源となって、周囲の空間を
これが、"暴食"の力。
この力を、以前の戦闘時に用いられていたなら、勝敗は分からないどころか、確実に敗北していただろう。階級四位は、伊達ではないようだった。
「すごい……」
「ちょっとー。一掃してくれたのはありがたいけど、この後の本番で息切れとか勘弁してよねー」
「だったら働いてよねー」
「十分働いてるわよ!!」
……先程までの緊張感は何処へやら。
急に、この場をぐだぐだした喧騒が包み始めた。"色欲"は慣れているのか、終始穏やかそうな顔をしていた。
「……と、バカやってる場合じゃなかったね。そろそろ、来るかな」
"暴食"が、地面に突き刺さったままの槍を引き抜く。
一変して、訪れた静寂。
そして、その静寂を割って這い出てきたのは、これまで見たことのない、巨大な異形だった。
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