入学式-スタート-

 2017年 4月10日 月曜日


 入学式の朝。私――浜渦悠里はまうずゆうりは、高校二年生になった。

 春休みの間に乱れきった脳みそにむち打ち、目をこすりながら毛布を剥がす。部屋の温度は、まだ冬の余韻を残していた。

 1階に下りると、既に朝食が準備されていた。砂糖を多めに入れた紅茶を軽く口に含ませ、口内を潤してから、暖かいトーストに齧りついた。

 テレビから流れるニュースは、流行のファッションとか、最新の映画とか、代わり映えのない特集が流れている。

 大人にとっては頭の痛くなる話題や、もっと深刻な話題も流れているのだろうが、それでも私にとってこの世界は退屈なまでに平穏だった。

 それは、これまでもそうだったし、これからもそうなのだろう。


 気付いたら、2枚の香ばしいトーストは既にお腹の中に収まり、テレビ画面の示す時刻は七時三〇分になっていた。

 程よく冷めた紅茶を一気に流し込み、綺麗にアイロンがけされた制服を抱えて二階の自分の部屋に戻った。

 部屋着を脱ぐと、未だ残る寒さが肌を刺す。制服にはほんの少し、アイロンの暖かさが残されていた。

 着替えを終え、カバンの中身を確認する。準備は前日に済ませていたが、念のため確認する。色々提出するプリントなどが、クリアファイルに準備されていた。

 時刻は七時四十五分。少し動きのペースを早め、洗面所に向かう。

 鏡には、いつもと代わり映えのしない自分の顔が映っていた。

 特別に醜いとは言わないが、特段美しいというわけでもない。ありふれた、つまらない顔だといつも思っていた。

 目元まで下ろしている前髪は、せめてもの抵抗のつもりだった。


「行ってきます」

「行ってらっしゃい」


 母親といつもの挨拶を交わし、家の扉を開ける。

 肌寒い春風が、私の身体を包み込んだ。


 ◇ ◇ ◇


 八時二〇分、学校の校門には桜が舞っていた。校門の横には「私立水無瀬川学院高等学校 入学式」と書かれた看板が立っていた。

 あちこちで、親子が写真を撮っている姿が見える。いつも以上に人が多く、騒がしかった。こういった、おめでたい雰囲気といったものが、私はひどく苦手だった。

 なるべく、そんな人たちを視界に入れないよう足早に下駄箱に向かう。


「ユーリじゃん。おはよう」

「あ……おはよう」


 私に声をかけてきた少女は、屈託の無い笑顔を向ける。

 小暮星良こぐれせいらは、私の数少ない友人である。否、唯一の、と言っても過言ではない。

 人と付き合うことが苦手な性分ゆえ、極力人付き合いを避けてきた私は、彼女以外にまともに会話ができるクラスメイトがいない。

 一方の彼女は、一言で言い表すならば完璧超人だ。文武両道、眉目秀麗、その上社交的。何故、私のような日陰者とつるんでいるのか理解に苦しむほどの存在だ。


「二年も同じクラスみたいだね」

「そうだね」

「どう? 友達になれそうな人はいた?」

「……別に私は、セーラがいれば他は別に」


 半ば、本心だった。


「駄目だよ、そんなんじゃ。この先苦労するよ?」

「いいよ。コミュニケーションのいらない仕事選ぶようにするから」

「今の御時世、そんな仕事は無くなってきてるんだから。頑張って今年中にコミュ力上げていこうね」


 にひひ、と彼女は笑って、私より先に教室に向かっていった。手を振る先に、クラスメイトの姿があった。

 まだ、2年生になって初めてのホームルームを終えてすらいないのに、既にクラスに友人の輪を広げているようだった。

 一方の私は、淡々とした足取りで自らの座席を確認し、着席すると、体育館への集合時間までの間。スマートフォンで適当にネットニュースを眺めていた。

 2年生の教室でも、私のいる空間は、代わり映えしないものだった。


 ◇ ◇ ◇


 体育館に全校生徒が集まっていた。

 僅か1歳しか違わないはずなのに、去年まで中学生だった彼女たちは、自分よりも遥かに幼く、そして輝いて見えた。

 いや。私も十分幼く見えているはず。ただ、あれほどの輝きは持ち合わせていない。

 日々を過ごす、というよりも、消化していくだけの私にとって、希望に満ち溢れた彼女たちの瞳は、宝石のように映った。


「生徒会長、三年、財前凛」


 学園長の開会の辞が終わると、赤リボンの生徒が登壇した。

 水無瀬川学院生徒会長、財前凛ざいぜんりん。その規律への厳しさからついた呼び名が「黒鬼の財前」。星良がよくウワサをしていたこともあって、さすがの私もその顔は知っていた。

 もっとも、私にその脅威が及んだ試しはないので、どのあたりが「鬼」なのかは掴みかねていた。ただ、いかにもな生徒会長だな、とは思っていた。

 そもそも、学園の規律を破ったものに罰が下される事自体は、当然のことであり、生徒会長としても当然の仕事を果たしているだけにすぎない。だが、そんな「仕事」をきっちり果たすというのは、やはり学生離れしているといった感がある。


 予め用意されていたであろう原稿を一字一句違えず、流暢に話す姿は、これもまた、1歳しか違わないはずの人間とは思えなかった。

 星良もそうだが、世の中には「特別」な人間というものは確実に存在する。そして同時に、私のような「凡人」も存在する。

 生徒会長など、ただの学校の一つの役職ではないか。とも思うが、それでも尚。この生徒会長は、きっと特別な人種なのだろうと考えていた。


 気付いたら生徒会長の話も終わっていた。

 その後も、理事長の話やその他役員の話があったり、合唱部による校歌斉唱があったりする中、あくびを噛み殺しながら時間が過ぎ去るのを待っていた。


 ◇ ◇ ◇


 入学式を終え、新年度初のホームルームも終わった。

 窓の下からは、早速部活動勧誘に精を出している上級生たちと、両手いっぱいに各部のチラシを抱えている生徒の姿が見えた。


「ユーリは、今年も部活には入らないの?」

「うん……」

「体育会系が嫌なら、美術部とかどう?」

「そもそも、人がいる部活は嫌」


 即答だった。


「それじゃ、選択肢ないじゃん……」

「だから、入ってないの」


 カバンに荷物をしまい込み、席を立つ。


「セーラは?」

「私は勧誘係だから、新入生をとっ捕まえるお仕事!」

「どこの部活の?」


 すると星良は、4,5種類のチラシを取り出してみせた。


「えーっと、バスケ部でしょ。陸上部でしょ。演劇部でしょ。新聞部でしょ。あと、なんかの家庭科同好会」

「……それ、本当に全部兼部してるの?」

「家庭科同好会はなんか頼まれちゃってね。まあ、私はどっちかっていうとエンジョイ勢だから!」


 だがこの自称エンジョイ勢は、兼部と練習への不参加を認められながらも、大会のレギュラーとして重用されている。

 要するに、何でも屋。部活の助っ人みたいな存在なのだ。それもこれも、彼女の天才的才能ゆえに許されていることである。

 そんな友人が――私が、一方的にそう信じているだけかもしれないが――ひどく、羨ましかった。


「まあ、頑張って」

「はーいっ」


 軽快なステップで、星良は教室から出ていった。

 部活に所属していない私は、そのまま帰路についた。

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