お題

@sho-ri

夜空


 君は生まれ変わりを信じている?

 それとも、死とともにすべて消えると思っている?

 罪も、孤独も、なにもかも?

 繋がれていくのか消えるのか、さて、

 どちらも違うなら、どうなると君は思う?

 ところで僕は、人類は滅亡の道を辿るべきだと思っているからね、少子化だ結婚だという奴らが、迷信を迷信だと笑うならば、そいつらは呆れた馬鹿野郎どもだ。


 東条さんはいつもにも増して口が悪い。というか、話が急激に転換した。

 おそらく昨日、彼の伯母が訪ねてきた所為だ。東条さんとは違いずいぶん小柄な伯母は、顔を合わせるたびに結婚の話を持ち出す。もちろん、東条さんは彼の伯母を嫌ってなどいない。母親代わりの伯母のことをいつも気遣っている。そして伯母は彼の母親とよく似ているらしい。


「結婚なんてものはね、棺桶に片足突っ込むんだ。けれどね、片足突っ込むなんてそれは幸せな結婚だよ。選ぶ相手を間違えたら、まさに地獄だ、ぢごく。大体ね、霊感の強い奴が成仏、なんてことを言うだろう、あれだって僕にしてみればどうだかと思うね。ただ消えたのと成仏とどうして見分けがつくっていうんだ、葬式だって僕は無意味なものだと思っているんだ」


 なんだかやけに話が飛ぶけれども、東条さんにとってはぜんぶ繋がっているのだ。

 東条さんの母親は亡くなっている。健在の父親は人間失格どころか、腐れ外道であるらしい。

 50代で突然仕事を辞め、テレビを観る以外は自らの健康づくりに毎日小一時間歩き、パチンコに行き、一日三食決まった時間にご飯を食べ、晩酌をする。夏は冷房、冬は暖房の効いた部屋で悠々自適に暮らし、汗だくで仕事から戻ってきた妻が汗だくのまま食事の支度をする。夏の台所はぶっ倒れそうな暑さである。そこから居間へと食事を運ぶ際、一々扉を閉めさせる。1センチでも開いたままにしようものなら怒鳴りたてる。仕事で汚れ汗だくの妻に。遊んでいる自分の代わりに働く妻の稼いだ金と労力で生活のあらゆるものが賄われているにもかかわらず。

 そのような生活が20年あまり続いたある日、東条さんの母親は亡くなった。くも膜下出血であった。その前日に、かの腐れ外道である父親が、些細な、これ以上にないくらい些細なことで狂った犬のように吠え立てたのを、東条さんは妹から聞いたという。その時の母親はぐっとこらえ、こらえたまま風呂場へ行き、ゴシゴシゴシゴシと風呂掃除をしたのだという。元々、口答えなどできない内向的な人であった。


 母の悲しげな顔が忘れられない、といつか酔いつぶれかけた東条さんは口走った。

 お前の老後など知らん、彼の父親は生前の妻に本気でそう言ったそうだ。奇しくもその発言は、姑の通夜の晩で、その姑の面倒を見、病院へ入ってから見舞いつづけたのは東条さんの母親一人だけだった。そういう背景でそのような発言を、人間性のまともな人間ができるものだろうか。そのときの母親はやはり何も言わず、ただ悲しそうに俯いていたそうだ。

 それで東条さんは「どうすればあいつが苦しみもがいて孤独の中で死ぬだろうかと、そんなことを心底から考えているどす黒い人間」なんだそうである。


 死んでいい人間などいないと刑事ドラマで誰かがのたまえば、東条さんは苦い顔をする。食べていた柿ピーと間違えて、うっかりカメムシをつまんで口に放り込んでしまったくらい、苦い顔だ。

 夏の心霊特集を観ているときも、東条さんはやっぱり同じような顔をする。

 僕は母に別れを告げなかった。そうすれば、もしか恨んででも出てきてくれはしまいかと思ったからだ。けれど、僕に霊感がない所為か、ついぞ母は現れない。これも彼が酔いつぶれかけたときに口走ったことだ。


 そういった背景のためか、東条さんはいつも、善悪や正誤、霊魂について、疑いを持っている。

 今、彼の目の前に座っているのは、中学生の少年である。私は東条さんの隣に座っている。列車のなか、4人掛けの椅子である。少年の隣は空席になっていた。列車は滞りなく、走っている。


 東条さんの言うことが理解できないようで、少年はぽかんとしている。そうだろう。しかし、東条さんの言っていることはところどころ少年に関係している。少年のほうもそれを解っているはずだ。白い肌に複数のあざ。顔を隠すためか、大きなつばの帽子を目深にかぶっている。服の下もおそらくあざだらけだろう。


「帽子を取ったらどう、それじゃあ世界はもっと狭いだろう」

 東条さんの言葉に、少年は固く口を結んで身動きせずにいたが、しばらくして、帽子のつばに指をかけた。

「狭くなんかない」

 少年は呟いて、ゆっくりと帽子を取った。露になった目は暗く、けれども澄んでいる。左目の横に青黒いあざ。そのなかにある切り傷は血が乾いている。

 一週間前、少年は母親とともに父親の元から逃げ出した。その2日後、母親が亡くなり、少年は姿を消した。母親の死は脳挫傷によるものだった。現在、父親は行方が解らない。

 東条さんの知り合いから少年捜索の依頼が来たのが3日前。おそらく父親の行方不明には少年が関係している。まずはその生死を確認すべきところである。前述の通り、東条さんは腐れ外道な父親は死んで当然だと思っている。殺されて当然だとも思っているのだろう。しかし、東条さんは人殺しを擁護する側に立ったりはしない人でもあると、私は理解している。


「あのさ、君、羽柴くん」

 そこで東条さんはあれ、という顔をして私のほうを見た。

「君と同じ名だね、彼」

「違います、私は橋場ですが、彼は小柴くんです」

「ややこしいね」

 東条さんは人名に限らず名前を覚えるのが酷く苦手だった。

「で、小柴くん、君の生物学上の父親だけど、まだ生きてるでしょ」

 小柴少年は答えない。ただじっと東条さんの目を見ている。

「ああいう輩は孤独を嫌うんじゃないかと、そう僕は思うんだよ。だから、しっかりと孤独を感じて、その中で精神的な苦しみにもがいて死んでもらいたいと、願ってるんだよね。一瞬で楽に死ぬなんて、見合わないよ」

 はじめて少年の目に感情が揺れるのを、私は見た。東条さんは更に言葉をつづける。

「長い時間を掛ければ、どんな腐れ外道だって孤独を感じるかもしれない。自分がしたことの結果としての孤独をね」

「もし」

 小柴少年の声はかすれていた。

「もし、感じなかったら?」

「そのときは、君の思うようにすればいいんじゃない」

 小柴少年の目に、暗く強い光が煌めいて、消える。

「ねえ、生まれ変わりはなくて、死んですべて消えないなら、どうなるわけ?」

 少年の問いに、東条さんは小さな声で「解らない」と呟いた。

「ただ、生きていた間に背負ったものが終わりなくつづくと、僕は信じているよ」

 悪行ならば苦しみが、善行ならばきっと一番帰りたい記憶のある場所に帰る。そういって、少しだけ遠い目をする。

 小柴少年も同じように遠い目をした。それから父親の監禁場所を告げた。

「さて、一週間くらい飲まず食わずでも死なないだろうから、あともう何日かして発見されることにしようか?」

 東条さんはもちろん本気である。少年も私も異を唱えなかった。それから数日して東条さんは少年捜索を依頼した知り合いに、少年の発見と父親の所在を告げた。小柴少年を引き取りに来た知り合いは、東条さんの思いをお見通しのようだったけれど、何も言わない。「知り合い」は東条さんの幼馴染だ。彼はすれ違いざま、小柴少年の父親の名が東条さんの父親と同じ名であることを、私に耳打ちした。


 よく晴れ渡った夜空には星が瞬いている。月のない夜だ。東条さんは星を見つめている。

 ここにいる数日の間に、小柴少年は一度だけ思い出を口にした。それは自分を庇った母親がその分多く殴られ、庇った甲斐もなく小柴少年も殴られ、気を失っている母親の頭を自分の膝に乗せ、窓の下に寄りかかっていた時のこと。母親の閉じた目から涙がこぼれ、小柴少年は顔を上げる。そうするといつも、星が見えた。彼が話したのはそれだけだった。星が見えた。ただそれだけ。

「ねえ、橋場くん、夜空は誰の目にもきれいに見えるものではないんだろうか」

 ここで私はなんと答えるべきだろう。

「僕はきれいだと思うんだ」

 その顔はまたあの苦い顔だ。苦い顔で、「柿ピー、切れてたよ」という。

 東条さんは柿ピーが嫌いだった。辛いのが苦手なのだ。なのにいつも柿ピーを食べながらテレビを観る。東条さんはテレビも嫌いなのだと思う。買ってきますか、と普段なら言うところだけど、今は言わない。夜空は柿ピーを食べながら見てほしくないと、私は思う。東条さんにとってどんなに嫌いな物が多くたっていい。善悪や正誤や霊魂をどんなに疑ったっていい。でも夜空は。

「まあ、今日はいいかな、柿ピー」

 東条さんは夜空を見つめたまま、呟く。その顔はもう苦くはなく、少し、悲しそうだった。

「柿ピーのチョコがかかってるの、知ってますか、東条さん」

「それ、どんな味なんだい」

「あまじょっぱいんです」

「あまじょっぱい」

 東条さんは何とも言えない変な顔をした。


H3BO3第1回お題[繋ぐ,夜空,橋]

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