第五回 俺、決断!
人の死に慣れる。
殺す事に慣れる。
俺の課題は、まずそれだった。
時代は、戦国時代。古代から綿々と続く、ナチュラル・ボーン・キラー達の時代だ。邪魔する者は殺し、欲しい物は力ずくで奪う。それが喩え親兄弟であってもだ。
人殺しはよくない! 命は大切だ! ラブ&ピース!
などと言う、人間的な道徳観の登場は、徳川綱吉の生類憐みの令の発布を待たなければならない。
兎に角、俺はそんな時代に転生してしまった。
そう思ったのは、目の前で曲者の処刑が行われているからだ。
岡崎城に入って、数か月が過ぎている。
俺は史実に従い、三河で幅を利かす織田方の諸勢力を相手に、戦を繰り返していた。
忙しい日々だった。織田本隊との合戦は避ける為、細心の注意を払わねばならない。もしここで何らかの手違いがあれば、この後の清州同盟に差し障りがあるかもしれないのだ。
その辺りは、家臣団にも重々言い聞かせていた。
勿論清州同盟の事は口に出さず、
「果敢かつ形だけの弔い合戦をして名望を集めながら、織田と決定的な対立をせず、しかし三河の織田方を駆逐する為」
と、説明した。
困難な要求だが、皆が同意してくれた。皆、織田と本格的に対立する事の不利を心得ているのだ。流石は、徳川家臣団。一人一人が粒揃いである。
そうして始まった、〔ドキドキ! 織田本隊を避けながらも、じわじわ三河を平定作戦〕は、順調に進んだ。
戦の指揮は、相変わらず忠次や家成、そして忠吉。それに加え、
そうした家臣団の勇躍の影響で、帰順を申し込む土豪が列を作った。三河は松平。そうした声が日に日に大きくなり、交渉を担当した数正に言わせれば、
「調略がやりやすうござる」
という。
そして、やっと岡崎で休息が取れたある日、俺は
忠勝は元服したばかりの小僧だが、史実通りに逞しく中々頼りになる。現世の同年代と比べ、雲泥の差がある。この年頃の俺は、勉強かエロゲしかしていなかった。
「ほうほう、なるほど」
戦国時代の城郭。歴史家として、それは何よりも至福のひと時だった。
そのはずだった。
武具櫓を訪れた折り、物陰から現れた曲者に、襲われたのだ。
「お命、頂戴!」
曲者は六人。咄嗟に外へ飛び出し、二人は忠勝が始末したが、三人目に掴まり、残った三人が俺に白刃を向けた。
「くそっ……」
俺は太刀に手を伸ばした。
戦は何度か経験したが、直接斬り結んだ事はない。身体は家康なので出来るはずだが、人を殺すと決めるのは、この俺だ。
(出来るのか、俺に)
正眼に構えを取り、腰をやや落とした。
剣術は、忠吉を相手に毎日稽古をしている。忠吉に言わせれば、
「腕はあるが、覚悟が足らぬ」
らしい。
確かにそうだ。俺には、人を殺す覚悟がない。肌が粟立ち、手も膝も震えている。それが何よりの証拠である。
(かくなる上は……)
忠吉に習った、
俺は大きく息を吸い、そして叫んだ。
「たああああすううううけええええてええええええええええええ~! だあああれええええかあああああああああ~!」
秘奥、大声で助けを呼ぶの術。
その声にたじろいだのか、一瞬の隙を作った曲者の一人は忠勝に葬られ、絶叫を聞いて駆け付けた栄生久兵衛に、残りは捕縛された。
「またお前に助けられたかな」
すると久兵衛は破顔し、
「いえいえ。これも俸禄の内ですから」
と、三人を引っ立てて去った。
調べてみると、この栄生久兵衛。土豪の倅で、どうも陣借りをしていたらしい。それが先の活躍で見出され、正式に家臣となった。何とも頼りになる男である。
そして、捕らえられた三人には、厳しい取り調べが行われた。
「汚れ役は老人の仕事じゃ」
と、その拷問は忠吉が行った。
土蔵での拷問は、凄まじいものだったらしい。分厚い土蔵の扉を閉めても、悲痛な絶叫が夜な夜な響いたという。
そして、曲者は口を割った。
命じたのは、
忠次は顔を顰め、家成は皮肉を言い、忠吉は
予兆はあった。氏真の駿府帰還命令を、俺は織田を食い止める為と、拒絶したのだ。
「父親の弔い合戦も出来ぬくせに、小賢しい真似を……」
俺は、呟いた。
今川に何の義理もない。そもそも、会った記憶すらない。俺が家康になったのは大高城兵糧入れ以降で、義元にも氏真にも会っていないのだ。
「俺は決めたぞ。今より、駿府とは手を切る」
何の迷いもなかった。捉われるものもない。全ては史実ルート順守。その為だ。
家臣団は賛成したが、末席に座した数正が手を上げた。
「
「あっ……」
俺は、思わず声を挙げた。
まだ見ぬマイワイフは、駿府の今川館に残したままなのだ。
「お捨てなさいませ」
忠次が言った。
「瀬名様は、今川と縁深き御方。今川と手切れするとなれば、無用の存在。いや、むしろ有害でございますぞ」
俺は答えに窮した。
瀬名、後に
その美人が、俺の嫁。童貞の俺に美人の嫁。
滾るものを感じた俺は、首を振った。
「なるべく、血を流したくない。ここは俺に預からせてくれ」
この話はそれで終わり、曲者三人の処刑が始まった。
介錯は久兵衛。袖を絞り、大太刀を手にしている。
「では……」
久兵衛が一礼し、一人ずつ首を刎ねた。曲者は何も言わず、悲鳴すら挙げなかった。ただ目が虚ろで、口の端から涎が垂れていた。家成曰く、
「忠吉殿は心を壊したのでしょうな」
らしい。
俺は
耐えねばならぬ。慣れねばならぬ。ここは、戦国時代。まるで某漫画のような、世紀末の修羅の国なのだ。
しかし、この国を泰平に導かねばならない。それが家康となった、俺の宿命。
俺は決めた。死に動じぬと。なるべく人は殺さないが、必要ならば容赦しないと。
その夜。
俺は布団でゴロゴロしていると、襖の外から声がした。
女の声だった。男ばかりの汗臭い家中にあり、久し振りに女の声を聞いた気がする。
「入れ」
俺は命じると、やや肉の付いた女が入って来た。
歳は三十かそこら。何とも抱き心地がよさそうな印象で、着物の上からでも判る巨乳だった。
「どうした? 何か俺に用か?」
女は何も言わず、着物の帯を解いた。
「へっ?」
俺は動揺した。目の前には、夢にまで見た乳房という禁断の果実が、たわわに実っているのだ。
「ちょっ、え」
女が目の前に座り、俺の手を取った。
「えっ、ちょっと、ええ」
これは夜伽というものか。つまり童貞卒業のチャンス! しかし、俺には経験がない。イメトレだけは、小六の頃から三六五日一日も欠かさなかったが、所詮イメトレはイメトレ。
(いや、ヤらねば。ここはヤるかヤられるかの戦国時代なのだから)
俺は決めた。たとえ童貞だとしても、威厳を損ねてはならない。攻めに攻めてやる!
女が、不意に顔を寄せた。
「ふふ」
笑う。鼻腔に、今まで嗅いだ事のない、甘く湿った匂いが突いた。
女の匂い。間違いなく、これは女の匂いだ。酩酊したゼミの後輩を介抱した時に、一度だけ嗅いだ経験がある。
「おっ……俺は」
唇が重なり、肩に手が回った。
「大丈夫でございますわ。と・の……」
俺は純真無垢で何も出来ない、赤ちゃんになっていた。
翌日。俺は清々しい気持ちで朝を迎えた。
何か大きな決断を為し、一つ大人の階段を登った気分だった。
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