コ[メディシン]ドローム
矢口ひかげ
処方箋その1. 親バカ治療薬(前編)
「――ふぅ、ついに完成したぞ」
薬品と実験道具が並ばれた研究室。数々の実験器具に囲まれている白衣をまとった女性――アントワープ博士は、小瓶を手に取って吐息を漏らし、額に滴る汗を袖で拭った。
「はぁ…………」
一方、研究所の奥では金髪碧眼の少年――助手のシュミットが、また違った意味のため息をつく。
「また何か作りだしたんですか? アントワープ博士」
「ヘイ、シュミット君。これは何だと思うかね?」
「何でしょう。きっとゴミですね」
「違いますね。これはだね……」
アントワープは偉業を成し遂げたかのようにワザとらしく咳払いをした。
「ケホッ、ゴホッ! ガボゥッ!」
で、むせ返った。
シュミットは咳込んでいる彼女の背中をさすった。
「もー、しっかりしてください。これでも、『天才』の二つ名を持つんですから」
「『これでも』いらない。シュミット君、私は正真正銘の天才なんだぞ」
「自分で名乗るのもどうなんですか」
しかし事実、アントワープ博士は秀でた才能の持ち主だった。
アントワープは薬学者である。
しかし、ただの薬学者ではない。彼女が作りたいと思ったものは、どんな薬品でも生成することが出来るのだ。彼女の手にかかれば、何の変哲のない物でも、たちまち不思議な効能を持つ薬へと生まれ変わる。
これまでに生成された薬品は、数々の功績をおさめ、世界に革新をもたらした。若くして、自身の研究所(兼マイホーム)を立ち上げるほどの実力だった。
ただし、助手には恵まれなかった。実力の問題なのか、はたまた彼女の性格が原因なのか、アントワープの元で働きたいと志願する者はいなかった。現在は最初で、おそらく最後の志願者のシュミットと二人で活動を行っている。
「この錠剤を見るんだ、シュミット君。これは私が作った最高傑作だ!」
アントワープは小瓶を青年に見せびらかした。
「へー」
「もっと驚いたっていいのだぞ」
「いやいや、効能も何も聞いてないのに驚くも何もないじゃないですか」
「おっと、失敬。これを服用した者は、無意識にその場を三回ほどくるくる回り、締めに犬の鳴きまねをするのだ! ――名付けて、『サンクルワン』!」
「やっぱゴミですね」
「違いますね」
「……ってもしかして、また研究室の材料を無駄遣いしたんですか。今月ピンチなんですよ。そんなくだらない物作るくらいなら、お金を産んでください。お金!」
彼女は助手の肩に手を添えると、首を左右に振った。
「シュミット君、人生はお金がすべてではないのだよ」
「そんな清々しい顔で言わないでください。確かに博士が開発する新薬のおかげで僕は食べていけるんですが、ここ最近ろくな物作ってないじゃないですか。大体何ですか、『サンクルワン』って。ネーミングが安直すぎます」
「別に覚えやすいのだからいいだろう。さあ、シュミット君。口を開けてもらおうか」
「何でさらりと実験台にしようとしてるんですか――ってあれ、口が勝手に」
「ふふふ……こんな事あろうかと、お昼のラタトュイユに薬を仕込んでおいたのだよ。その薬、名付けて『クチアケールヤ』!」
「ネーミングがクソです、ど畜生!」
アントワープは軽快にスキップして青年に近づいた。非常に嬉々とした顔で、彼の口に錠剤を一粒、放り込んだ。
青年は薬を飲み込むと、スイッチが入ったかのように背筋を伸ばした。その場で華麗なターンをくり広げる。
「お、回った――ってあれ、やけにスピードが速いな」
「見てないで止めてください――ワンッ!」
シュミットは手を膝に乗せて肩で息をしていた。
「く、屈辱だ……。しかも何で……三十回も回らなくちゃいけないんですか……」
「おかしいな、効き目が強すぎたようだな。今度は四分の一で調合してみるか」
「もう、絶っ対に止めてください。あと食べ物に薬を混ぜないでください。もっと常識的に物事を考えてくださいよ」
淡々と要求をする彼に対し、アントワープは失笑した。
「ふふふ……『常識』とはだね、十八歳までに身につけた偏見のコレクションのことをいうのだよ」
「でしたら、博士の十八年間はろくでもなかったんですね。食べ物に薬品を混ぜるのは、立派な犯罪ですよ」
アントワープは肩をしょげて、口をすぼめた。携えていた『サンクルワン』の瓶を白衣のポケットにしまいこんだ。
「仕方ない。やめておこう……」
「いやいや、落胆されてもそれが普通ですからね。趣味に思いついた薬を作るのは結構ですが、もっと資源に余裕がある時にしてください。さあ、博士。気分でも変えて、依頼された薬品の開発を進めましょう」
アントワープの研究所には、世界中から沢山の依頼がやってくる。『モテるようになりたい』『食べても太らない体質にして』『でっかいから揚げ食いたいから、この鶏を大きくしてくれ』。各々が抱いている夢を便箋に綴って、アントワープへと郵送する。彼女は人々の願いを聞き入れ、夢を自身の薬で解決するのを仕事としている。企業に従事しないアントワープにとって、数少ない収入源の一つだった。
アントワープは山積みになった封筒から一通だけを抜きとった。で、封筒の山は雪崩を起こして、床にこぼれ落ちる。
「あーあー、また散らかして。たまには自分で片付けてくださいよ」
「私の辞書に『片付ける』という文字はないのだよ」
「その辞書、不良品ですね」
青年の皮肉は、封筒を開封する音にかき消された。中から便箋を抜き出すと、アントワープは差出人の名を目で探した。
「えーと、それではペンネーム、『ダイジョ・バナイ』さんからのお便りです」
「何でラジオ風に言うんですか」
「何々……『僕の国では、不作に悩んでいます。土壌の栄養が干上がってしまって、美味しい作物も取れなくなってしまいました。どうにかしてアントワープ博士の最高な知恵で美味しいご飯が食べられるようにしてください』。むふう……最高な知恵か。よし、シュミット君。さっそく制作に取り掛かるぞ!」
「おだてたら貴方はなんでもするんですか」
「人にもよるかな。シュミット君は日頃からいじわるしか言わないから、むしろ私を褒めたたえるべきなのではないのか?」
アントワープは手を腰に当てて豊満な胸を張った。
「さぁ、存分に褒めるがいい――」
で、腰を痛めて、手で背中をさすった。
「ちょっと大丈夫ですか? 座りっぱなしだから身体が弱ってるんですよ」
「むむ、そうか。ならステロイドでも飲むとするか」
「それよりも運動した方が身体にいいんじゃないですか? ――あ、この前ジャージ買ってましたよね。あれ、最後いつ使いました?」
手を顎に添えて、アントワープは一唸りした。
「……使ってない」
「でしたら折角の機会ですし、今日使いましょう。ほら、ジョギングとかは健康にいいですよ」
「ではそうするか……」
そう呟くと、おもむろに白衣を脱ぎ始めた。
「ちょっと、ここで着替えないで自室でお願いしますよ」
「えー、めんどうではないか」
横着な返答に、シュミットは苦虫を噛み潰したかのような顔をする。
「……じゃあ、いいですよ。器材に気を付けてくださ――ってよくないです。博士ジャージどこにしまってるんですか?」
「自分の部屋かな」
「……ここから部屋まで半裸で行くつもりですか」
「大丈夫だ。多分問題ない――」
「大問題ですっ!」
アントワープのあまりにも無神経な返答に、彼は怒声を上げた。
研究所の庭で、青年は手首足首をほぐしていた。柔らかい金色の髪の毛に、青いジャージはどこか不釣り合いだった。
「君も走るのかね」
「僕もここ最近運動不足でしたから。さっき嫌というほど回りましたけど、やっぱり外で動くのが一番ですからね」
対するアントワープは真っ赤なジャージだった。縦に二本の白いラインが入っている。運動しやすいように、長い栗色の髪は束ねられている。
「それよりも、この服、絵面的にコメディアンですね」
二人はお互いの身なりを見つめあった。赤と青の対象的な色にチープな素材。普段運動と縁がない二人が着るからこそ、シュールさが漂っていた。
「なら私がボケなのか」
「身の程をよく御存じですね」
「違うぞ。ここは『何でお前がボケやねーん。超絶の才女やろー』と突っ込むべきだ。君にはツッコミはまだまだのようだな」
「ボケでナルシストは強烈に痛いだけですよ。博士も準備体操は済みましたか? 今日は初めてなので、すぐそこの公園までにしましょう」
「そんなに⁉」
「そんなに……って、たったの三キロですよ。ほら、行きますよ」
「ちょっと、シュミット君。君と私は身体の構造が――」
彼はアントワープの背中を押した。彼女の抵抗をお構いなしに、シュミットはずんずんと前へと進んでいった。
「――博士。公園に着きましたよ。……博士?」
細い脚を震わせながら、アントワープは一歩一歩懸命にベンチへと歩み寄った。最後の力を振り絞って彼女は身を投げる。
「ぐはうっ!」
で、ベンチの上でバウンドして、地面に転がり落ちた。
再びベンチへ這い上がると、アントワープは横になって息を整えた。
「き、君……もう少し、レディーをいたわらないか……」
「ああ、一応、女性でしたね」
「『一応』いらない。……じ、自分で言うのもなんだと思うが、美人の部類には入るのだぞ」
シュミットは寝転がっている女性を一瞥した。
整った顔立ちに大きく潤んだ瞳。柔らかそうな唇。細い肢体だが女性特有の柔らかな凹凸は服越しでもはっきりとしていた。
「確かに、見た目は、綺麗ですね」
「『見た目は』いらない。全く、君は毒しか吐かないのかね」
「まさか。ちゃんと目上は敬ってますよ。博士の知識と研究に対する熱意は尊敬しています」
「いやぁ、それほどでもないが……」
照れくさそうに彼女は頭を掻いた。白かった頬は紅潮する。突っ込むべきところに気付く気配はない。
「そういえば、どうして薬学者になろうと思ったんですか?」
「い、いきなりなんだね」
「いや、前々から疑問に思ってたのですが、なかなか訊けずにいたので。この機会に教えてください」
「うーん、自分の事を語るのは恥ずかしいのだが……。シュミット君こそどうしてなんだ?」
「それは、簡単ですよ。なぜなら――」
横になっていたアントワープは起きあがって、興味津々に身を乗り出した。
「お金になるからです」
「……君はよく私に罵詈雑言を浴びせるが、一度自分を見直してみてはどうかね?」
「いえいえ。博士には劣りますよ。それにちゃんと理由あってのことですから」
「理由?」
そう訊ねると、青年は空に視線を浮かべた。青年の横顔から表情は消えていた。
「僕の家は貧しいんです。家もおんぼろで、毎日食べられるものが限られていて。子どもの頃は、よくつなぎの服を着てましたよ。父は子どもの頃に外国へ出稼ぎに移りました。なので、母は女手一つで僕を育ててくれました。確か、八歳の頃だったかな。父が帰りの飛行機で事故に遭遇して、亡くなったんですよ。母は急きょパートに勤めて、足りない生活費を埋め合わせていました。でも賃金は微々たるもので、生活が苦しくなる一方でした。幼心からでも母の苦労は伝わりました。母は一握りの小銭だけで、どうやって僕を養っていけばいいのか、常に悩んでました。そんな苦しんでいる母を見て、僕が大人になったら、せめてお金にだけは悩まない生活をさせようと心に誓いました。その決意から勉強に勉強を積み重ね、有名な学校へ進学しました。そして一番自分の身にあって、なおかつ収入のある今の職を選んだんです」
「ほう、君にそんな過去があったとは……」
「この世界に入って博士のことを知った時、一瞬で察したんですよ。『あ、コイツお金持ってるな』って。それで博士の研究所で働く事を決意しました」
「だから最初はあんなに目を輝かせていたのか」
「実際、博士は研究に全部費やしてて、万年金欠ですけどね」
そう言って、シュミットはニカっと笑った。平然と下衆な事を放っているのだが、本人は至って真面目そうである。
「いや、そんな爽やかスマイルで私を見つめられても、私もあんまりお小遣いない……。ジュースでも飲むかね?」
「いいんですか? 流石は天才アントワープ博士です!」
どこか納得のいかない顔をしながらも、アントワープはベンチの向かいに設置された自販機の前に渋々歩み寄った。
「コンソメスープとコーンポタージュどっちにするかね?」
「ベタな選択肢を出さないでくださいよ。その隣の冷たい物から選んでください」
「あ、ここ。ショートブレッドも販売しているタイプの自販機だ」
「脱水で殺す気ですか。博士が飲みたいものと一緒でいいですから。早く決めてくださいよ」
「そうだな。私はアイスコーヒーでも一杯――」
ポケットに手を突っ込んだ。そしてそのまま固まってしまって、アントワープは微動だにしなかった。
「どうしたんですか?」
「すまない。財布を忘れた」
「ゴミですね」
「酷いです」
「……じゃあ、いいですよ。自分で買いますから。博士も喉乾いたでしょう。今日は僕がおごります」
「ちょっと君! あんな話された後じゃ、ためらって飲むに飲めないだろ! 新手の拷問か⁉」
「大丈夫ですよ。九割がた嘘ですから」
青年のお金をあぶりだす巧妙な手口に、アントワープは開いた口が塞がらなかった。
「たまには外もいいものだな。自然を肌に感じる」
「ちょっと両手広げないでくださいよ。邪魔くさいです」
アントワープとシュミットはベンチに隣り合って腰かけていた。風が辺りの木々を奏で、火照った彼女らの身を冷やした。
「博士、いい加減話してくださいよ」
「な、何をだね?」
「とぼけたって無駄ですよ。どうして薬学者になったかって話ですよ。ぶっちゃけ、博士くらいの頭脳なら一国を掌握出来るのに」
「そんなぁ…………それ本当?」
「そんなわけないじゃないですか。国力を舐めないでください」
「少しでも君の話を信じた私が馬鹿だった」
ぶつぶつ呟くと、アントワープはコーヒー缶に口を付けた。疲れた後にコーヒーの相性は悪かったのか、酸っぱそうな表情を浮かべる。
「シュミット君はもし生まれながら何か特別な力を授かっていたら、それを何に使うかね?」
「僕が何の才能のない人間だと言いたいのですか。でもそうですね、その力を振るってお金に換金させます」
「……君はブレないな。世界平和の為とか、人々を救うとか考えたりはしないのかね」
「そんな言葉、単なる綺麗事ですよ。結局は廻り廻って、自分の利益になると期待してるんだと思いますが」
「むう、そう考えるか。私はそんなこと意識したこともないが」
「意外と、純潔ですね」
「『意外と』いらない。私はたまたま人とは異なる頭脳に恵まれた。小さかった頃は周りとは違うことにいじめを受けていたが、私利私欲の為に向けようとは考えもしなかった。だが、結局はそれまでだった。どれだけ経験を積もうが、知識をため込めようが、その才能をどのように活用するかまではいくつになっても見いだせなかった。つまりは分からなかったのだ。だから人々が口を揃えて言う『世の為、人の為』にと、今まで自分の才能をせっせと磨いていくことに決めたのだ。ある人が言うには、才能は共有するものらしいな。効率よく人助けに繋がり、共有することが出来るのが、新薬の開発と読んだのだ」
「いい話のつもりでしょうけど、長い上に自画自賛じみてるので、聞いててイライラします」
「それにだね、シュミット君」
「何ですか?」
「もし、君の言う自分の為だとしたら、どうしてそんな回りくどいことをするんだね? 直接自分に向ければいいものを」
手に持った缶コーヒーを一気に飲み干した。
「ケホッ、ゴッホッ!」
で、むせ返って大きな咳をした。
「本当に馬鹿ですね」
「どうした、君にしては随分とストレートな悪口じゃないか」
「いいえ、褒め言葉ですよ。……さて、そろそろ研究所に戻りましょう。まだ依頼は山ほど残ってるんですから。その『世の為、人の為』に頑張りましょう」
青年の言葉にアントワープはげんなりした。
「また三キロも走るのか……。シュミット君、お願いなんだが――」
「先に言いますが運びませんよ」
「……チッ」
「舌打ち⁉」
「仕方ない、せめて歩いて帰らせてくれ。もう足が棒のようだよ」
「いいですけど、重たいんで他人の肩掴まないでくださいよ」
おぼつかない足取りで、少しずつ彼女らは帰路についた。
(後編へ続く)
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