第四話「生きる意味」

 それから一時間ほど経ち、辺りが大分暗くなってきていることを察した緑間は、事情を説明し終えると早々に帰り支度を始めた。もう少し青子の傍にいたいという気持ちもあったが、とにかく今は時間が必要だろうとも思い、緑間は名残惜しくも彼女の家を出ることにしたのだ。自分がいては、彼女も泣くに泣けないだろうと判断して。

 話すべきことは全て話した。それを真に取るも偽に取るも、後は青子次第である。

「そんじゃ、またな」

「…今度来る時は、玄関からお願いね」

「まさか。次はねえよ。今度はお前が来るんだからな」

「ふふ。確かにそれは、その通りね」

 彼女の笑顔はやはりまだ頼りなく、緑間は自分が情けなくなった。自分では彼女の悲しみ全てを取り除くことができないことに。

 だがそれでも、来た時に感じた危うさを、今の青子からはもう感じなかったので、とりあえずほっとする。

「…じゃあ、明日ね。祭…それと、静」

 青子が緑間と、視えないもう一人に対しひらひらと手を振った。もちろん彼女には視えていないだろうが、確かに赤崎は「うん」と返事をして手を振り返している。緑間も「おう」と手を上げた。

 玄関のドアに手をかけてお暇おいとましようとした緑間だったが、あることを思い出しくるりと青子の方を振り返った。そして、不思議そうな顔で首を傾げる彼女に、くいくいと人差し指を使って下を向くよう要求する。青子の方が背は低いが、今は玄関の段差のおかげで、緑間が若干見上げるような姿勢になっているのだ。

 青子が緑間に言われたとおり重心を低くして、「何?」と訊ねる。目線がちょうど同じくらいの高さになった。

「おまじない、してやるよ」

 緑間は不敵に微笑んで、青子の前髪をかき上げる。緑間は面積の狭い彼女の額に、一つキスを落とした。青子の体が、びくりと揺れる。おそらく、唐突なその行為に驚いたのだろう。

 周りから「プリンセス」などと呼ばれてはいるが、驚くことにこういった、自分が主導権を握れないスキンシップには異常なまでに反応するのだ。相当モテるくせに、免疫がないのである。

 その証拠に、唇を離した後の青子の顔は真っ赤だった。ばっと反射的に中腰の態勢から脱そうとする青子の手を引いて、緑間は耳元で囁いた。

「お休み。良い夢を」

 手を離すと、凄まじい勢いで彼女は緑間と距離を置き、真っ赤な顔を隠すようにそっぽを向いた。しっかりと、緑間がキスをした額は押さえ込んでいる。

「バ…ッカ!い、い、いきなり、何を…っ」

「だから、おまじないっつっただろ」

「む、昔はこんなんじゃなかった…!」

 怖い夢を見ないように、泣き止むように、風邪が早く治るようにと、昔は色々な名目でよく使っていた“おまじない”。

 だが、昔は額と額をくっつけるだけで、間違ってもキスはしていない。青子が言いたいのは、まさしくそれである。

「ま、俺らももうそういう年だっつうことだよ。いい加減自覚しろ、アホ。…まあ、単に俺が、あたふたしてるお前の顔を見たかっただけだっていうのもあるけど」

 やられっぱなしは緑間の性分ではない。こういう時くらいリードさせてもらっても、バチは当たらないだろう。

「バカ祭…っバカ!バカバカバカ!」

「バカバカ言うなよ…じゃ、お邪魔しましたー」

「あ、こら!待て!逃げ―」

 青子の待ったには耳を貸さず、緑間はひらひらと手を振って彼女の家を出た。ガチャンと重い扉が後ろで閉まる。そろりと振り返ってみたが、とりあえず青子が追いかけてくる気配はなかったので、はーと安堵の息を吐いてから、緑間は歩き始めた。

 熱い。

「祭、顔真っ赤」

 からかようにくすくすと笑うそいつを、緑間は思い切り睨みつけてやった。周りに人がいないことを確認し、テレパシーではなく直接声に出して、隣りの幼なじみに「うっせーよ」と緑間は言った。それと同時にゴツンと頭も殴ってやる。触れるって素晴らしい!

 すると、赤崎が殴られた頭をさすりながら、空いたもう一方の手で反撃に出た。でこぴんを食らった緑間は、「いてっ」と声を上げて軽くよろめく。

「てめえいきなり何しやがる」

「それはこっちの台詞だよ。祭が僕を殴るのが悪いんだ」

「お前が俺に殴らせるようなことを言うからだろ」

「人のせいにするのはよくないな。そもそも祭が青子のおでこにキ」

「だあああああああ!うっせえよバカ静!いちいち言うな!言わんでよろしい!」

 自分のしたことがいかに恥ずかしく、らしくないことであったのかを改めて痛感し、そうそうに緑間は白旗を挙げた。

(ああ、くそ。らしくない)

 全くもってらしくない。なんであんなことしてんだよ俺は。おまじないって。いや、おまじないはいい。問題はそこじゃない。なんでキスしてんだってところが一番の問題だ。なんでしてんだよほんと。しかも言い訳が“そういう年”って、逆にどういう年なのか聞きてえわ。俺が聞きてえ。つうかほんと、昔みたいにおでこ引っ付けるだけにしとけよ自分。

「僕、百面相って初めて見たかも。ほんと祭って表情豊かだよね」

「そりゃあどうも!どっちかっつうと、俺の表情が豊かっていうより、お前の表情の変化が乏しすぎるだけだけどな!!つうか楽しそうにしてんじゃねえよこの野郎!」

 と、そこで我に返った緑間は口元を押さえた。辺りを見渡し、改めて人がいないことを確認する。とりあえず、声の届く範囲に人がいなさそうでほっとした。

 いけないいけないと首を振る。

(こいつは、霊なんだ)

 だから、緑間にはこうやって視ることができて話すことができても、周りはそうはいかない。傍から見れば今の緑間は、本当に一人で百面相をしながら叫んでいる変人にしか見えないだろう。できればそれは避けたい。だからこそのテレパシーであるというのに、これではまるで意味がないではないか。

 ついつい、赤崎が霊であることを忘れてしまう。

「忘れちゃえばいいよ。僕も実際よく忘れるし」

「いや、お前は忘れんなよ」

 またもテレパシーで心を読まれてしまったらしいが、緑間はあえて触れないことにした。いちいち抗議するのも面倒である。どうせプライバシーの侵害など、今更であるのだから。

「思うんだけどさ」

 赤崎が空を見上げた。どうやら明日は晴れのようで、空にはたくさんの星が散りばめられている。夏の大三角形がはっきりと見えた。

 昔もよく、こんな風に星を探して空を見上げていたような気がする。初めて夏の大三角形を見つけたのはいつだったか。確か赤崎が指差したのである。

 あの三つの星、すごく綺麗に輝いてるね。青子がそう言った。線で繋いだら三角形になるんじゃね?それを言ったのは緑間である。

『あれは夏の大三角形っていうんだ。この時期には、よく見えるんだよ』

 そう言った幼い赤崎は、得意げな顔はしなかった。なんで知ってんだよ、と聞いたら、調べたんだ、とはにかむように笑ったのだ。

(昔から、そうだった)

 静は、わからないことがあるととにかく調べた。わからないことを、わからないまま放っておくことができない奴だった。だからおそらく―この夏の大三角形のことも、知りたいと思ったから調べたのだろう。昔から、物静かなくせに変なところで行動的な、掴みどころのない奴だった。

 今もそう。この手で掴むことはできても、ずっと捕まえておくことはきっとできないに決まっている。どれだけ力を込めてその手を掴んでいたとしても、こいつは多分、簡単に俺の手をすり抜けていくに違いない。

「思うって、何を」

「…ううん、やっぱりいい。なんでもないよ」

「なんだよ、それ」

 とても意味深な顔で話を切り出してきたくせに、とても意味有りげな顔で赤崎はなんでもないと首を振った。そんな風にお預けを食らうなど、後味悪いことこの上ないので、緑間としては詳しく追求したいところであるが、いくら問い詰めたところで口を割らないことは目に見えていたため、仕方なく溜息一つに留めておく。もしかしたら今日は、もやもやして眠れないかもしれない。

「それよりもさ、祭」

「なんだよ」

「いい加減告白すれば?青子のこと、好きなんでしょ?」


 前言撤回。しばらくはもやもやして眠れなさそうだ。




***




 昔から、なんとなく思っていたことがあった。僕自身そういった類のものに聡いわけではないけれど、それでもやっぱり、生きいてた頃からなんとなくずっと、僕の中に居座っていた、多分、僕にだからわかること。


 祭は青子のことが好きで、青子は祭のことが好き。


 二人がお互いに向けている好意の形は、多分僕に向けている好意とはちょっと違う。ちょっとどころじゃなく、多分、結構かなり。

 多分、自分の気持ちに気づいていないわけではないと思う。いや、気づいていないのかもしれないけれど。―気づいていない振りを、しているだけかもしれないけれど。

 どうしてか祭と青子は、その好意に蓋をして否定し続けているように見える。

 無理を、しているように見える。

 はっきり言えば、おそらく二人は愛し合っているんだろう。

(それなのに)

 どうしてかいつも。いつもいつもいつも―祭と青子は、僕を一番に優先している。どんな時も、いつだって。祭が青子を、青子が祭を、僕よりも優先することはほとんどなかった。僕が死んだ今だってそう。二人の中には、いつだって僕がいる。

 多分僕がいるから、二人は自分の気持ちと正直に向き合うことができないでいるんだ。僕がひとりにならないように、多分無意識に気を遣ってくれているんだと思う。

 だから好きだと認めない。まあ、あくまでそれは僕のなんとなくに過ぎないのだけれど。

「…まだ答え、聞いてないよ」

 緑間は家に帰るなりご飯も食べず風呂にもはいらず、制服も脱がないで布団に潜り込んだ。そのだらしなさは、まるで少し前の赤崎のようである。

 おそらく、赤崎の問いかけから逃げているのだろう。自分の中で、青子に対する気持ちの整理がついていないのかもしれない。

 好きなら好きだと、言えばいいのに―赤崎は、何も言わない緑間を不思議に思う。

 もしかしたらもう寝てしまっているかもしれないが、それでも赤崎は続けた。

「自分の気持ちに正直になっていいんだよ。僕のことは気にしないでさ」

 もういいんだよ。僕に縛られる必要はない。僕じゃなくて青子を優先していいんだ。僕はもう、死んでいるんだから。

「…もしかしたらそれが、僕の未練なのかもしれないね」

 祭と青子が自分の気持ちに正直に向き合ってくれれば、僕は成仏できるかもよ。赤崎は小さく笑ってそう言った。



(…全部筒抜けだっつうの、アホ静)

 潜り込んだ布団の中で、緑間は唇を噛んだ。こういう時に限ってあいつの考えていることがわかるなんて、本当に厄介な付加価値が付けられたものだ。

(俺が青子をどう思ってるかなんて)

 そんなもん、わかりたくねえんだよ。

 お前をおもう気持ちと、青子をおもう気持ちが、どんな風に違うのかなんて。

 わかってて、今までずっと目をそらしてきたんだから。


 よりにもよってお前が、そんなこと言うなよ。

 人の気も知らないで。




***




「青子」

 名前を呼ばれた。その声が誰のものであるか、頭が理解する前に青子は振り返った。そこにいたのは予想通りの人物で、彼女は途端に顔をくしゃくしゃに歪める。

「静…!」

 ずっと焦がれていた人が、すぐ後ろにいた。

 こうして会うのは何日ぶりのことになるだろうか。幼なじみは最後に会った時となんら変わりなく、青子の知っている赤崎のままである。

「静…しず、か」

 ずっと会いたかった。もう一度、あなたに会いたかった。

 青子は一歩赤崎に向かって踏み出す。だが、二歩目を踏み出す前に、赤崎がふるふると首を振った。

「ダメだよ、青子。こっちに来ちゃダメだ」

「なん…なん、で」

「君は生きないと」

 赤崎が困ったように笑う。青子は自分の足元に目を落とした。はっきりと、自分と赤崎との間を区切るような境界線の存在に気がついた。

 もちろん青子には、この境界線の意味がわかっている。

「…わからないよ。静がいないのに、生きる意味なんてあるの?」

 二歩目を踏み出そうとして、彼女は唇をきつく噛んだ。この一歩が、青子の決断を鈍らせる。いっそ赤崎の方から「こっちに来て」と言ってくれればいいのだけれど。

「なくてもいいじゃないか」

 それを言ってくれないのが、水沢青子の幼なじみである。

「…こんなに辛いのに?」

「だって、それを見つけることが、生きるってことなんだから」

 そうでしょ、と赤崎が微笑んだ。青子の目から涙がぽろぽろと流れていく。

 こんなにもすぐ傍にいるというのに、手が届かないほどの絶対的な距離感を青子は感じた。

「それに、青子はもう、自分が生きる意味に気づいているはずだよ」

「私が…生きる意味?」

 わざとらしく聞き返したところで、青子にはそれが何の意味もないことがわかっていた。

 わかっている、わかっている。もうずっと昔から、彼に気持ちが向いていたこと。キスの一つも満足にできないほど、彼を意識していたこと。

 ずっとわかっていた。わかっていて、気づいていないふりをしていた。今の関係を壊すことが怖かったから。

 本当は気づいていた。自分の中で、とっくの昔に優先順位が入れ替わっていたことに。

「それでいい…それでいいんだ、自分の気持ちに正直になっていいんだよ、もう」

「静…でも、」

 それは、あなたへの裏切りにならない?

 赤崎が苦笑いをする。

「じゃあ、僕からのお願い。傍にいてあげて」

 幼なじみ―というより、我が子を心配する母親のような顔で、赤崎は言った。

「あいつは、一人じゃ背伸びしかしようとしないから…傍で、手を引いてあげてほしいんだ」

「それは…私じゃなきゃ、ダメなこと?」

「青子にしかできないことだよ」

「…そっか」

 私にしか、できないことなんだ。

 じゃあ、そうだね―まだ、そっちにはいけないね。

「頼むよ、祭のこと」

「…うん、頼まれた」

 青子は、踏み出した一歩分、後ろへ下がった。



 閉じていた目を、ゆっくりと開ける。どうやら―というか、なんというか。

 夢を見ていたらしい。

 青子は、ベッドから体を起こし、壁時計に目を向ける。


 カチ、カチ、カチ、カチ。

 規則正しい秒針の音。

 ドクン、ドクン、ドクン。

 重なるのは、私が生きている証。


(そう、私は生きている)

 そしてこれからも生きていかなくてはならない。生きていくのだ、彼と共に。

『傍にいてあげて』

 そう、頼まれてしまったから。

(他の誰でもなく、あなたが私に、生きる意味をくれたから)

 青子はベッドから降り、机の上に置いてある写真立てを手に取った。写っているのは、幼い日々の自分達である。これはまだ、赤崎の両親が健在していた頃に撮ったものだ。

 きっと、写真の中の彼らは、幸せな時間(とき)を切り取られ、止まった時間の中で今日も生きているに違いない。それはきっと“幸せ”ではないのだろうけれど、写真に写る自分達は、泣きたくなるほど眩しい笑顔を浮かべていた。

「…これが、二度目の約束よ。静」

 青子は、その写真立てを胸に抱いて静かに目をつむった。


 あなたの分も生きる。あなたが命をかけて守った、彼と一緒に。

 絶対にあなたを忘れたりしないから。

 ―ごめんなさいは、もう言わない。

「精一杯生きるね」

 もう泣かない。あなたを救うその日までは、絶対に。


 コトンと写真立てを置く。どこからか優しい風が吹いてきて、青子の背中をふわりと押した。




***




「祭!」

 ガラガラっと教室のドアを引く音と一緒に、つい先日聞いた声が緑間の耳に入ってきた。

 声だけでわかる。幼なじみの水沢青子だ。彼女はすたすたと躊躇いなく教室内に入ってくると、緑間の机に両手をつき、「おはよう」と素晴らしい笑顔でそう言った。

 いつもの緑間ならば、この笑顔に悪寒の一つや二つ感じていてもおかしくはないのだが、今日に限っては、昨日よりも顔色の良い彼女を見て、ほっと安堵の息を漏らすばかりである。

 その反面、昨日の今日でやけに立ち直りが早いような気もしたが、なんにせよ学校に登校できるくらいには、どうやら赤崎幽霊説は信じてもらえたようだ。

 これでひとまずは大丈夫だろう、と緑間は判断し、とりあえず「おう」と青子の挨拶に対して返事をした―否、返事をしようとした。

 結局、その二言を口にすることは叶わなかったわけだが。

 それはほんの一瞬の出来事―ではなかったように思う。

 不意に視界が陰る。緑間は、突然のそれ・・に「は?」と間抜け顔をした。

 後頭部に手を回され、逃げられなくなる。先ほどまで騒々しかった教室が、一斉に静まり返った。

「―――」

 思考が停止する。緑間は、これ以上ないくらい自分の目が見開かれていることを感じた。彼女の双眼は、閉じられている。

 青子の唇が、緑間のそれを塞いだ。驚くなという方が無理である。触れた唇は熱っぽくて眩暈がした。体に力が入らない。彼女を押しのけなかったことを、とりあえずそのせいにしておいた。

 不意に、緑間の手に何かが触れた。それは唇と同じくらい熱っぽくて、微かに震えているような気がした。青子の空いているもう一方の手が、そっと緑間の手に乗せられている。振り払わなかったのは、彼自身もいつしかその手を握り返していたからだ。

(本当は、)

 知らないと、気づいていないふりをしていたかっただけだった。

 もうとっくの昔に気づいていたそれ・・に、名前をつけることが怖かっただけだった。

(―お前の言うとおりだよ、アホ静)

 唇が離れる。随分長い間キスをしていたように緑間は感じた。これは―まあ、幼なじみにするキスの度合いを、通り越してはいるのだろう。青子の顔はまともに見れなかった。

 顔の熱も唇の熱も引かない。緑間として、猛ダッシュでこの場から消え去りたかったのがったが、どうにも腰が上がらなかった。情けないことに腰が抜けてしまったようである。男としてのプライドはズタボロだった。

 とりあえず、湧き上がってくる羞恥を誤魔化すために、緑間は手で顔を覆った。

「おま…っ、い、いきなり何しやがる…!」

 明らかにそれは女子の反応であったが、今の緑間はそんなもの知ったことではなかった。とにかく、クラス中の視線がぐさぐさと突き刺さってきて痛い。

 青子が過度のスキンシップを取りたがることは知っている。もちろんそれは知っていた。だが、よりにもよってキスを、しかも学校でされるとはこれっぽっちも思っていなかったのだ。

 そんな緑間の心情などいざ知らず、青子の方はといえば清々しいくらい満面の笑みを浮かべ、ゆっくりと緑間から距離を取る。得意げな顔で緑間の額を とん、と小突いた。

「お返しよ」

 “おまじない”

 それはもう―なんというか、お返しというよりはむしろ仕返しに近いのではないだろうか、と緑間は思った。これではまるで割りに合わない。

「祭が先に仕掛けてきたんだから、これでお合いこ」

「んなわけあるか…!割りに合わなすぎだろ!」

「じゃあもう一回する?今度は祭のからどうぞ」

 余裕綽々に顔を寄せてくる青子を、今度こそ「するか!」と押しのけた。

「あはは、冗談よ。冗談。じゃ、用も済んだしそろそろ戻るわ。また後でね、祭」

「あ、おいこら!逃げんな!~~~~~~っ後で覚えとけよこの野郎!」

 軽いステップを踏むような足取りで教室から出て行く青子に、負け犬のような台詞を吐いて、緑間は「あーっ!!」と頭を抱えた。くすくすと隣りで悪霊の笑い声が聞こえる。

「悪霊だなんてひどいな」

『ひどいのはそっちだろ!人の不幸を笑いやがって…!』

「あれ、不幸だと思ったの?」

 緑間は言葉に詰まった。本当に、この幼なじみは人の急所を抉るのが好きらしい。その聞き方はずるいだろう。

「やっぱり、満更でもないんじゃない?」

 赤崎はにっこりと笑った。ああ、本当に。俺の周りはこんなんばっかだ。

「いい加減認めればいいのに。青子のこと、好きなんでしょ?」

 うっせーよバカ。そんなもん知るか。

 しばらく経って、凍結状態であったクラスメイト達が一斉に緑間へと詰め寄る。

 こうして、彼氏にしたい男第一位、イケメン生徒会長である緑間祭と、彼女にしたい女第一位、学校一の美女である水沢青子のキスシーンは、瞬く間に全校生徒へと広まったのであった。

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