26話 不吉な予感


「ふぅー…………一日入らなかったせいか風呂がいつもより気持ち良く感じられたな」


 腰にタオルを巻いた状態で浴室から出て脱衣所の棚からバスタオルを一枚拝借し、髪をバサバサと拭きながらそう独り言を呟く。暴れる髪の毛がたまに目に入ってチクチクした。


「あでで……髪、切らないといけないな」


 確か、最後に髪を切ったのは高一の修了式の時で、それから約一ヶ月春休み。高二の入学式を迎えてすぐ三ヶ月引きこもったから、四ヶ月切ってない事になる。

 明日時間があったら散髪屋にでも行くとしよう。でも、異世界に散髪屋なんてあるのだろうか? いや、たとえ異世界であれさすがに散髪屋くらいはあるだろう。髪を拭き終わると次に体全体の水滴をササッと拭き取り、目の前から自分の服を取り出してそれを着々と着た。なんだかこの服にも少しずつだけど愛着が湧いてきた。


 そんな事は今は置いといて、これから何をしようか。雨魔水晶の使い方を聞くのにはまだ時間がある。しかもラミレイさんは本を読むと言っていた。こんな時間に聞きに行って、女帝様の優雅なひと時を邪魔する訳にはいかない。しかしそうは言っても今部屋に戻ってもする事がない。……………………受託室に行って明日の任務を予め受けておいた方が良いのかもしれない。時間も少しは潰せるだろう。


「さて、やる事も決まったし、さっさと行くか」


 ぼくは使ったびしょ濡れのバスタオルを横の使用済みバスタオルの籠に放り込み、そのまま風呂場を出た。

 途端に、横から声をかけられた。


「よおヒロ! お前風呂上がりだとめちゃくちゃ髪ボサボサだな!」


「ルヴィーさん!? どうしてここに? ゼロガミを討伐しに行ったのでは……?」


「はあ? あんなんアタシの手にかかればチョロいぜ。紅薔薇の槍ローズ・ランスで一突きしてホホイのホイだ!」


 ルヴィーさんにとってどれだけゼロガミが雑魚なのかは分からないが、一度アレガミに殺されかけているぼくからすればそれよりも強いゼロガミなんて滅相もない。少し言い方悪いかもしれないが、これがこの国の兵士の成れの果てという事か。とてもついていけそうにない。


「まあどちらにしろ、討伐お疲れ様です。 ではぼくは行くところがあるので」


「ちょ、ちょっと待てよ! アタシが用を済まさない内に行こうとするなよ! 何の為にここに来たと思ってんだ!?」


「すみません! で、ぼくに何の用ですか?」


「態度の転換が早いな…………まあいい。ヒロ、明日の正午時間空いてるか?」


「明日の正午ですか? 今から受託室に行って明日の任務を確認しようとしてたので現時点では何とも言えませんが、任務が少なければ夕方に後回しにする事も出来ますし、多分大丈夫だと思いますよ」


「おお! じゃあ明日の正午受託室の階段前に来てくれよな! 絶対だぞ!! 来なかったら800回殺すからな!」


 そう言うとルヴィーさんは背を向けて走っていってしまった。


「無茶言わないで下さいよ! 任務が少なければの話ですからね! …………って、もう聞こえてないか」


 それにしても、ルヴィーさんは何がしたいんだ? わざわざ明日の正午を空けてくれだなんて。何か伝えたい事があるのなら今言えば良かったのに。色々考えてみたが、余計に頭を混乱させるだけだった。……………………まさかだとは思うが、デートの約束だったりして。そう考えると笑みがこぼれてきた。


 いやいや、こんな都合の良い事ある訳がない。変な期待はしない方がいいだろう。ぼくは両手で頬を強く引っぱたいて笑みを無理矢理崩した。


 そろそろ受託室へ向かおうとした時、廊下の奥の曲がり角からこちらに向かって大勢の兵士達がぞろぞろと歩いてきた。皆揃ってタオルを持っている事から風呂に入りに来たと分かった。早めに入っていて良かった。

 ぼくは兵士の群れがここまで押し寄せてくる前にこの場を離れることにした。



 廊下をそのまま進んで行くと、いつもの城の入り口が見えてきた。金色のアーチの奥には、明かりの灯った一つ一つの小さな家と闇の空に浮かぶ無数の星星が見えた。これほど綺麗な景色が他にあるだろうか。ぼくはその幻想的な景色を目に焼き付けてすぐ隣の受託室へ続く階段を上った。

 受託室の入り口の陰から顔を覗かせると、カウンターにはいつも通り受付嬢が立っていた。任務ボードの横には、見慣れた水色髪の女性が人差し指を唇にチョンと置くアニメとかでよくある可愛らしい仕草をしながら任務ボードを眺めていた。


 その姿に少し見入っていると、彼女はこちらに気づいてぴょこぴょこと近づいてきた。


「ど、どうもルミナさん。ゼロガミ討伐お疲れ様です~」


 ガン見していた事を隠すために表情を出来るだけ平常に抑えたつもりだったが、そのせいで声が裏返ってしまった。…………表情を隠さない方がまだマシだったかもしれない。


「ヒロくんも、今日はお疲れ様です!! ゼロガミはルヴィーさんのお陰でいつもより楽に倒せました!」


 さっきルヴィーさんの言っていた事は嘘ではなかったのか。


「ところでヒロくん、ちょっと頼み事というか、お聞きしたいことがあるんですけどいいですか?」


「は、はい。別に大丈夫ですけど…………」


 なんだか、何故か分からないが嫌な予感がする。


「明日の正午、時間空いてますか? もし空いてるなら、正午に私の部屋に来て欲しいんですけど…………」


 予感、的中。ぼくの予感は結構当たるものだ。悪い予感限定だが。…………それよりも、明日の正午はまずい。先にルヴィーさんと待ち合う約束をしてしまっている。かと言って、色々お世話になっているルミナさんの頼み事を聞かないというのもかなりまずい。とりあえず、正午よりも時間を少しずらしてルヴィーさんとの用事を同時進行するしかない。


「えと、十二時十分でも大丈夫でしょうか?」


「別に構いませんけど…………なんですかその微妙な時間帯は。何かこだわりでもあるんですか?」


「はい。ぼくなりのこだわりがあって、どうしても正午には来れそうにないんです」


 もちろん、実際はぼくにこんな変なこだわりなんて無い。しかし今はこういう事にしておかなければならない。


「それと、待ち合う場所はルミナさんの部屋でなく、受託室の階段前でも良いですか?」


「いいですよ」


 これも、もしルヴィーさんの用事が城外に出る事ならば、かなりのタイムロスが発生してしまうからだ。ルミナさんに会いに行っている間、ルヴィーさんを待たせている事になるからいちいちルミナさんの部屋まで行く時間なんて無い。


「じゃあヒロくん! 明日の十二時十分に受託室の階段前で待ち合いましょう!」


 ルミナさんはそう言い残すと受託室を去っていった。ぼくはまだ今日やる事が残っている。さっさと任務ボードを確認してラミレイさんから雨魔水晶の使い方を教わって眠るとしよう。






……………………明日はぼくの一生に一度の労働日になるだろう。

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