24話 プール騒動

 ルミナさんが水泳の練習を開始してから一時間程が経った。ぼくは三十分程前にプールから上がり、プールサイドに座ってルミナさんを見ていたが、成長がやけに早い。

 約25mと思われるプールをクロールで泳ぐ速さは、もう既にぼくをぶっちぎっている。その上、教えてもいないのに平泳ぎも完璧に出来てしまっている。……こんなに成長が早いのに今まで泳げなかったのは何故だろう? やはりルミナさんはぼくの見本となる人だ。


 そう関心していると、隣から誰かに肩を叩かれた。誰だろう? と思い、後ろを振り向いて顔を見上げると、太陽の逆光で顔は見えなかったがものすごく図体のでかい人が立っていてすごくビックリした。


「えっ…………うわあああああああああ!?」胸が高鳴る。


「お、おいヒロ。どうしたんだ? いきなり叫んだりして」


「え? あれ? ……ガルートさん?」


 不審者じゃない事が分かりホッとした。しかしそのホッとしたのもつかの間、ある事に気づいた。周りが妙に静かだ。聞こえるのはプールサイドや人肌に当たる水の音のみ。ぼくはプールの方を見やった。

 すると遊んでいた人全員の視線がぼくに降り注いでいた。その光景に息が止まりそうになった。だがこんな状況を作ったのはぼくだ。ここは身をていしてでも謝らないといけない。


「……ご、ご迷惑をおかけして……すみませんでした」


 このプール全体に聞こえるような声で言い、深く頭を下げ、反省の気持ちをめいっぱいアピールする。頬を一筋の汗が伝う。数秒経ってから顔を上げた。その瞬間、歓声と盛大な拍手が送られた。


「え、へ? どゆこと?」


 視線を元にに戻すとガルートさんも白い歯を見せながら笑顔で拍手している。全く状況が掴めなくて混乱しているぼくにガルートさんがこう発言した。


「ヒロ、俺はお前を見直したぜ」全く意味が分からない。


 周りの人達も「兄ちゃんすげーな。こんな大勢の人がいる中で謝る事なんて簡単に出来る事じゃねーもんな!」「おにーちゃん、すげー!!」なんて事を言う。


 どうやらぼくの勇姿が評価されたようだ。今、ぼくの心の中では許してもらえて良かった。という気持ちとこうたくさんの歓声を浴びると緊張して逆に困るという気持ちが渦巻いていた。


「ん? どうした? 顔が真っ赤でゆでダコみたいになってるぞ」


「そっ……それは放っておいて下さい!」


 反射的に手で口元を隠した。ああ、出来ればこの場所から消え去ってしまいたい。


「うっ!?」


 いきなり変な目眩と吐き気に襲われた。ぼくは走って近くにあった便所らしき場所に駆け込むと、そのまま個室に入り、洋式の便器に顔を突っ込むような形で嘔吐した。


「うぼぅえ!! ……げほっ、かっ……ハァ、ハァ……」


 リバースした事で少し気分が良くなった。多分、こうなったのは過度の緊張が原因だと思われる。

 少し経って、ようやく気分が治ると立ち上がって便器の水を流した。


「おい、ヒロ。トイレ駆け込んで戻って来ないから様子を見にきたが、何かあったのか? 」


 個室から出るとガルートさんの声が聞こえた。便所だからか、こだまして声が二回聞こえた。


「いえ、別に大した事じゃないですよ……心配して下さってありがとうございます」


 外に出るとすぐそこにルミナさんが立っていた。


「大丈夫ですか……? すみません。私が悪かったです……ヒロくんのメンタルの弱さを考えずにこんな人の多い時に任務を頼んでしまって……」


 どこか一言余計な気がしたが、実際には当たってるから反論が出来ない。とりあえず適当な言葉で返す事にした。


「だ、大丈夫ですよこれくらい! ぼく、こんな貧弱そうな体つきしてますが、意外と丈夫なんですよ」


 胸を張って自慢げに言ったが、もちろん嘘八百だ。三ヶ月も学校に行かないでずっと部屋にこもっていたぼくが頑丈だなんて事は到底ありえない。


「いえ、そういう問題じゃないと思いますけど……」


 …………しまった。そうだよ。今は体が頑丈とかいう問題じゃなくて、メンタルの問題だった。なんだかさっきからミスばかりしている気がする。ぼくはまた恥ずかしくなり、先程とは違った目眩がしてきた。

 体が少しフラつきを見せる。体勢を立て直そうとしたが、遅かった。ぼくは一昨日酒を飲んだ時のように平衡感覚を失い、地面に倒れた。


「お前、全然大丈夫じゃないだろうが!!!」


 というガルートさんの言葉が聞こえた後、意識が無くなった。



 ――――――――



「…………ん?」


 目を覚ますと、キレイな橙色に染まった空が見えた。……ここはどこだろう? ぼくは体を起こすと少し辺りを見渡した。どこか見覚えのある景色だ。

 近くにはプールへの入口があり、そして今座っているベンチはあのイチャついていた元カップルの座っていたベンチだ。……そうか。ぼくは気を失ってここに……


「やっと気がついたか。もう四時間も眠ってたぞ」


「あれ、ガルートさん?」


 ぼくの横には見慣れた銀色の鎧姿のガルートが座っていた。


「えっと、どうしてガルートさんがここに? ルミナさんは?」


「あれ? ルミナから聞いてなかったのか? 用事があると言って、一時間前くらいにこのプールから出ていったぞ」


「という事は、ガルートさんがぼくを看病してくれていたんですか?」


「もちろん。でなければ、今頃ここに俺がいる訳ないだろう」


「は、はは……そうですよね…………ん?」


 ふと、自分の姿を見る。すると、ある異変に気づいた。何故かいつもの赤いパーカーと黒いジーパンを履いていた。確かぼくは、トイレで倒れた時はプールから上がってそのままだったので水着のままだったはずだ。

 …………ということは?


「あのガルートさん。ちょっと聞きたいんですけど、どうしてぼくは普段着を着ているのでしょう?」


「は? それは水着のまま寝て風邪とか引いたら大変だから俺が着替えさせたんだよ」


「……………………え、え、えええええええええええええ!?」


「おいおい、そんなでかい声出すなよ。別にお前の裸なんてみちゃいねぇよ」


「い、いや、そういう事ではなくて……」


 なんてことだ。ぼくがこんなガチムチな人に着替えをさせられるなんて……想像するだけでもかなりシュールだ。

 ぼくがそう落ち込んでいると、辺りにさっきのぼくの叫び声よりも大きい声が響いた。


『緊急事態発生!! 国の南部にゼロガミが出現! 護衛兵、魔術兵、土地調査兵の上位兵は全員直ちにブルーレイン南部に出陣せよ!!』


 あまりの大きさにぼくは耳を塞いだ。この声はどこから聞こえているのだろうと少し焦って辺りをキョロキョロ見渡すと、ベンチのすぐ後ろにある長い鉄製の柱に目が留まった。その柱のてっぺんには紫色のタイヤ程の大きさの宝石が浮いていた。多分ここから聞こえてきているのだろう。


 それよりも今、ゼロガミと言っていた。確かゼロガミというのはアレガミの上をゆく魔物ではなかっただろうか?


「ゼロガミだと!? ヒロ! 今回はお前は連れていけない。ゼロガミ討伐の連絡が来るまで、城で待っているんだぞ! 城への道が分からないとか言うんじゃねぇぞ!」


 鎧を着た大男はそう言うとプールの出口に一目散に走っていった。

 あんなに真剣な顔をしたガルートさんは初めて見た。あの表情を見ると、ゼロガミは本当にヤバいやつだという事が伝わってきた。アレガミの時はあんな余裕のありそうな笑顔溢れた顔でぼくを担いで走っていたのに、まるで別人だった。


 ここはガルートさんの言う通り、出陣した兵の無事を祈って城で待っている事にしよう。

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