23話 クロール
「う……ん」
眩しい日射しが顔に当たって目が覚める。ルミナさんの酸欠が元に戻るのを待っていたらいつの間にか眠ってしまっていたようだ。眠気を覚ますためにあくびと大きく伸びをした。太陽はまだ南中していたのでそんなに時間が経った訳ではなさそうだ。
しばらくして、ある事に気が付いた。ルミナさんがいない。慌てて辺りを見渡すが、その姿はどこにもない。まさか、弱っている所を狙って誘拐でもされてしまったか!?
そう思って立ち上がった瞬間、
「あ、ヒロくん! 起きましたか!」
「え」
ルミナさんが笑顔で向こうから歩いてきた。……冷静に考えたら例え弱っている状態でもルミナさんが誰かに誘拐なんてされる訳が無い。心配して損した、と言うのは失礼だが、それ以外に言葉が出てこない。
「ル、ルミナさん! どこか行くならちゃんと知らせて下さいよ! 心配したじゃないですか!!」
「あはは……すみません。とても気持ち良さそうに眠っていましたので起こすのは少し抵抗がありまして……」
「あ、それならぼくが悪かったです。すみませんでした」
こうすぐに論破されてしまうのがぼくの弱い所。普通の人ならどうとでも言い返せる事も言い返せない。
中学の時に未来希とバイキングに行ったときに最後の一つのミニショートケーキの取り合いになった時もそうだった。
『……ぼくが先に取っただろ……? 大人しくそのトングをよけろよ……』
『何言ってるのひーくん……まだ口にケーキ入ってるでしょ……そんなにガンコしてると女の子に嫌われちゃうよ?』
『はい。すみませんでした。大人しく譲ります』
今とはだいぶ違う状況ではあるが、これを思い出すたびに自分が情けなくなる。
「では、私は今から三時間後に予定が入ってるので早く行きましょう」
「は……はい」
ルミナさんはすぐそこのプールサイドに向かって歩いていく。さっきはどこに行っていたのか気になったが、今は時間が惜しい。タイムリミットは三時間。一秒でも長く任務に時間をあてないとちょっと厳しい。
「ヒロくん? 早くして下さい」
「あ、すみません。今からいきます」
ぼくは彼女の元へ小走りで向かった。
ルミナさんの元に着くと、先程と同じようにプールを見た。このプールはさっきのプールとは違い、流れも無く、浅い。横にあった看板に目を移すと予想通り『1.3』と書かれていて、ちょうどいいくらいの深さだった。しかも、広くて正方形の形をしている。これなら練習をするのにうってつけだ。
「ここなら大丈夫そうです。じゃあ入り……って、どうかしました?」
「いえ、別に……どうもして……ませんよ?」
ルミナさんは小刻みに震えながら少し無理矢理感のある笑顔で言った。さっきまで早く泳ごうと
「さ、まずはプールに入らないと何も始まりませんよ」
「うう……わ、分かってますよ!」
ルミナさんは少々怒り気味でゆっくりとプールに足を浸した。それからだんだん水に身を沈めていき、やっと首辺りまで身を浸した。これだけでも大きく見積もって五分くらいかかってしまった。ルミナさん、どんだけ水泳嫌いなんだ。
続いてぼくもプールに入る。入った途端、水の心地よい冷たさに体の熱が吹っ飛ぶような感覚がした。
「ふぅ~……冷たくて気持ちいい…………じゃなくて、今は任務に集中!」
「では、ご指導よろしくお願いしますね」
「はい。……で、ぼくは具体的に何を教えればいいのでしょう?」
「クロールと、平泳ぎを教えて欲しいです」
「ええ!?」
まさか、こんな初歩的な泳ぎも出来ないとは思っていなかった。これは余計に時間がかかりそうだ。だが、出来るだけ簡潔に、かつ分かりやすく説明すればギリギリ間に合う。そう。冷静になって考えてみればクロールも平泳ぎも小学の頃からやっている簡単な事じゃないか。
「わ、分かりました。では教えやすいクロールの方からいきますね。……まさかだと思いますが、バタ足が出来ないなんて言いませんよね……?」
「ばっ……バタ足くらい出来ます! どこまで私をバカにすれば気が済むんですか!?」
「いやいや! 一応念のため聞いただけですよ! バカになんてしてません!」
ダメだ。何を言ってもバカにされてると誤解されるような発言になってしまう。気を付けてるつもりではあるのに。しかしそんな事より今はルミナさんに泳ぎを習得させるのが先だ。これ以上彼女にガルートさんへの屈辱を与えるのはかわいそうだし。
「バタ足が出来るのなら足の動きについては教えなくても大丈夫そうですね」
「はい。私はクロールの手の動きや息継ぎのタイミングが分からないんですよ。それを教えて欲しいです」
「分かりました。まず手の動きなんですが、水泳では手で水をかく事をプルと言うのですが、プルにはいくつか種類があって、その中でも基本的なストレートプルという方法を使うのがいいですよ」
「ストレートプル? それはどうやってやるんですか?」
「文字通り、真っ直ぐ水をかく事ですよ。そんな事言われても分かりにくいので、もう少し細かく説明しますね。コツとしては、水をかく際に手の平を少しだけ外側に向けて水中に手を入れる感じでやると水からの抵抗が少なくなるので泳ぎやすくなりますよ」
分かりやすいようにぼくは立ったままジェスチャーをして伝えた。ルミナさんは真剣に頷いて聞いてくれている。なんだか先生になったみたいで楽しくなってきた。
「次に腕を引く時は脇は開いて胴の近くをかくようにすれば乱れないで、真っ直ぐ泳げますよ。そうしたら、次はそのまま水を押すようにして進むといいです。最後に、かいた後に水中から手を出す時は、水を押した後肘がピンと伸びるので、その時に水中から手を出すと完璧です」
正直自分ではこの説明はくどく感じて伝わっていないような感じがしたが、大丈夫だろうか?
「なるほど。全て理解出来ました。やはりヒロくんに頼んで正解でした! とても分かりやすかったですよ! では早速実践してきます!」
「待って下さい! 肝心な息継ぎを教えてませんよ!」
「あ……忘れてました……危うく
頭を掻きながら少し笑って言う。
「かわいい笑顔で不吉な事言わないで下さい。本当に溺れちゃったらどうするんですか」
「ごめんなさい……」
「いや、別に攻めてる訳じゃないですからね?」
ぼくは一度わざと咳をして脱線した話を元に戻した。
「いいですか。息継ぎのやり方は、水を押している時に顔を横に上げて、手が水中から出た時に吸うのがベストです。これでクロールの説明は終わりです」
「ありがとうございます! なんだか、すぐにでも泳げそうな気がしてきました! では、泳いできます!」
「無理はしないで下さいね。プールでも脱水症状とか起こりますので」
「分かりました」
そう言うとルミナさんはぼくから離れた所で練習を始めた。
一発目は5m程進むとすぐにクロールを止めてしまった。しかし、ルミナさんの顔は笑顔に満ちていた。泳げて嬉しかったのだろうか。この調子だと今日中には泳げるようになっているだろう。そんな事を思いながらぼくはただルミナさんを見つめていた。
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