21話 水泳準備

 数十分程経つと、だんだん並んでいる人が減ってきた。しかしぼくはまだルミナさんの機嫌と奮闘中。


「だから、わざとではなくてですね……」


「もう結構ですよ。別に怒ってる訳じゃないですし」


 ジト目をした上で怒ってないなんて言っても説得力がない。完全に軽蔑されてしまった。

 こうなったら仕方がない。これは出来れば使いたくない手だったが、使うしかない。


「……許してくれないと、泳ぎ教えてあげませんよ?」最終奥義、相手の弱みを活用する。これならいくらルミナさんだって許してくれない訳がない。


「ええ!? それは困りますよぅ~」


「ぶぇあ!?」あまりの可愛さと甘え声に頭がおかしくなりそうになった。心なしか涙目になっているようにも見える。危うくこっちが彼女に引き込まれるところだった。


「ホントに許しますから、それだけは止めてくださいよ~……」


「いやっ、こっちこそいきなり手を握ったりしてすみませんでした! なのでその顔は止めてください! 萌え死してしまいます!」


「萌え死? 何ですかそれ」


「いえ、分からないならいいです」


 ぼく達はそのまま何事も無かったのようにプール場に入った。ぼくの家の近くにあるプールとは違い、料金を支払うようなカウンターが見当たらないので無料で入れるようだ。これなら毎日入りに来てもいい。


「更衣室はどこですか?」


「そこを右に曲がると青い扉があると思うのでそこが更衣室ですよ」


「ありがとうございます」


「ではまたこの場所で会いましょう」


 ルミナさんは軽く一礼するとぼくに伝えた場所とは対称の場所に向かい、赤い扉に入っていった。ぼくも言われた通りに青い扉に向かい、扉を開けた。中はとても広く、奥までズラッとたくさんの鉄製のロッカーが並んでいた。

 入った瞬間、むわっとした蒸し暑さに襲われた。それに加え、汗の臭いなどもむんむんしている。これはぼくが一番嫌いなパターンだ。今すぐにでもここから立ち去ってしまいたい。しかし着替えをしないと水泳は出来ない。仕方なく隣のロッカーの前に立った。


 このロッカーは鍵式だった。このロッカーを開ける取っ手の隣の鍵穴に「101」というタグの付いた鍵が挿してある。ぼくはロッカーを開け、その中に荷物を置いた。

 早速パーカーとその下のTシャツを脱いでロッカーの中へ入れる。すると隣から声が聞こえた。


「よう、ヒロじゃねぇか。今日はよく会うな」ひょこっとロッカーの影から出てきたのはガルートさんだった。これはもっと面倒な事になってきた。


「ぼく達は多分、腐れ縁なんですよ」


「はっはっはっ!! だと嬉しいな! それにしてもヒロ、お前貧弱な体つきしてるな!」


「そんな事大声で言わないで下さい! 恥ずかしいじゃないですか! ガルートさんはもっとデリカシーというものを持って下さい! それにぼくはガルートさんみたいな筋肉ムキムキじゃなくてこのくらい貧弱な方がいいんですよ」


 ぼくがそう言うとガルートさんは「お前らしいな」と言ってぼくの反対側のロッカーの前に立った。ただでさえ人がいっぱいいて狭いのにそこに一般の人より一回り大きいガルートさんが入ってくると余計に狭くなる。

 それにしてもここは人口密度が高すぎて息がしにくい。さっさと水着に着替えて外に出よう。

 ベルトを外してジーパンを脱ぐ。流石にこの先はそのまま脱ぐ訳にはいかないのでルミナさんから渡されたナップザックからバスタオルを取り出し、腰に巻き付けた。

 周りを見渡すと皆んなぼくと同じやり方をしていたので少しホッとした。


 学校の水泳の授業の時は他の男子に男同士なのに恥ずかしいのか? などと言われた事が多々あった。逆に恥ずかしくないアイツらの気が知れない。

 ぼくは素早く下着を脱ぎ、ナップザックから水着を取り出し、履く。この間、わずか8秒。早着替えだけは得意だ。


 バスタオルを腰から外し、綺麗に畳んでロッカーに入れる。ゴーグルが無かったのは少し痛いが、顔面に直接水がぶっかかるとかほぼ無いし、潜る時は目を出来るだけ強くつぶればなんの問題もない。まあ大丈夫だろう。

 ぼくはロッカーを閉め、鍵をかけた。さて、この鍵はどう持ち歩けば良いのか。とりあえず手に握ると、更衣室から出た。汗臭い場所から抜けると外のとても空気がおいしく感じる。


「……まだルミナさんは来てないな。また待つのか」


 そりゃそうだ。女子の着替えは男子と違って手間と時間がかかる。

 とは言ってもこんな通路のど真ん中でずっと突っ立っていても他の人の邪魔になる。周りをキョロキョロ見渡すと、女子更衣室の近くのベンチに目が留まった。あそこなら通行人の邪魔にもならないし、屋根もあって直射日光も防げて、いつルミナさんが出てきても分かる。


 そう思ってベンチに座った瞬間、びしょ濡れの水着姿の手を繋いだカップルがぼくを強引にベンチの端に押し退けて座ってきた。……くそ。何なんだこの人達は……すみませんの一言も無しか。公衆の面前でイチャイチャ見せびらかしやがって。ぼくは未来希と手なんか繋いだ事ないのに……。ぼくは俯いてなるべく二人を見ないようにした。


「ヒロくん! お待たせしました!」ルミナさん、丁度良いタイミングに来てくれた。この二人の隣に座っておくのは気まずい。


「いえ、そんなに待ってないです…………え」顔を上げるとそこには信じられないくらい美人が立っていた。一瞬、ルミナさんの声に似た知らない人かと思ったが、それは紛れもなくルミナさんだった。

 ……開いた口が塞がらない。


「どうかしましたか?」


「あ、いえ、何でもないです」


 ふと隣を見ると、カップルの男の人がルミナさんを見て鼻を伸ばしていたが、それに気づいた彼女は彼を平手打ちしてどこかに走り去ってしまった。……まあ、当然の報いだ。視線を戻し、再び水着姿のルミナさんを見る。

 彼女の肌は白くてとても美肌でスベスベしていそうだ。普段着でもそれは分かっていた事だが、こう露出度の高い水着姿を見ると改めてそう思わせられる。それにしても、胸でか。これがいわゆる隠れ巨乳というやつか。……いやいや、こんな下心満載ではいかん。いつもの平常心を保とう。


「で、では早速行きますか」


「はい。コーチ、お願いしますね。ではプールはこちらなのでついてきて下さい」


「分かりました!」


 ぼくはベンチから立ち上がるとルミナさんについていった。後ろを振り向くとかつてカップルだった男の人が何故かこちらをすごく睨んでいたが、そんなのは気にしない。

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