第26話 執事さん式看病

 香澄、都子へ。


元気ですか? 最近色々ありすぎてなかなか連絡できなくてごめんね。

突然ですが、私は最近、ふたりの住む東京に引っ越して来ました。


ええと、厳密には引越しに連れて来られたと言うか……とにかく、到着した先は都内の高級マンションでした。


え? 住所?


ええと……どこだろ? よく分かりません。えっと、聞いてまた連絡するね。

落ち着いたら、ふたりには是非遊びに来てもらいたいな。


え? 泊まれる場所があるかって?

 

うん! 場所はいくらでもあるから大丈夫!……だと思うよ……まだどの部屋がどうなっているのかよく分かってないけど……。


え? 意味が分からない? そうだよね。でも多分私が一番混乱してるんだけどね。

うん、とりあえずまた連絡するから! 近い内に会おうね!



 ふわふわの大きな枕が沢山並べられた中央で重い身体を動かし、メッセージのやり取りを終えた私は、手にしたスマホをサイドテーブルに置こうと手を伸ばした。


(うー……遠い。ベッドから手が届かないサイドテーブルなんて。ほんと、意味がないよ……)


 私は諦めて、手にしたスマホを、枕と枕の間に突っ込んだ。


 そう、私はあまりの環境の変化に、とうとう熱を出してぶっ倒れてしまったのである。


「ふぅ」


 ため息をついて、少し持ち上げていた頭をぽすん、と枕に戻すと、天蓋から降り注ぐたっぷりとしたホワイトレースの向こうから、低く柔らかな声がした。


「お嬢様。ご気分はいかかですか?」


 誰も居ないと思っていたのに、ベッドサイドのカウチソファーにセルジュさんが居たらしい。寝込んでからというもの、天蓋のレースはまるで病室のカーテンのようにベッド全体を覆い、しかも部屋のカーテンも引かれているので室内は昼間でもほの暗く、全く気がつかなかった。


「い…」


 いたの? と言おうとしたけど、うまく音にならない。


 声がした方に顔を向けると、目の前でレースがかき分けられ、黒のシンプルなVネックのニットを着たセルジュさんが現れた。その手には冷たい水が入っているのだろう。表面に水滴のついたカットグラスを持っている。

 そのグラスを見ると、途端に喉の渇きを覚え、重だるい身体を起こそうとした。


「無理なさらないでくださいね。やっと熱が少し下がったのですから……」


 セルジュさんはグラスを傾けないように、器用にベッドに上がって来る。

 え? え? なんで上がって来るの? グラス寄越してくれたらいいじゃない! 抗議したいけど、喉の奥がひっつくように痛んで、うまく話せない。


「あぁ……いけません。さぁ、大人しくお水を……ほら、お口を開けてくださいませ、わたくしが飲ませて差し上げますから」


 空いた左手で枕をふたつ掴み、少し浮かせたあたしの背に差し入れ上体を少し起こす手伝いをしてくれた。その時枕の下からスマホをひっぱり出すと、それもサイドボードに置き、セルジュさんはすばやく私の真横にその身を滑らせた。

 片肘をついて上から覗き込むその青い瞳は、心配そうに揺れている。


 なんですか! この添い寝状態は!?


 なんで一緒にベッドに入るの? 話せないなら目で訴えてやる!

 抗議の気持ちをこめてセルジュさんを見ると、セルジュさんはそっと肩をすくめた。

 そのポーズすら様になるって、神様は本当に不公平だ。しかも、身につけているニットは結構Vネックが深くて、肩をすくめた仕草で意外なほどに逞しい胸筋がチラリと……なんなんですか! 水を持ってくるのに、そんなに色気は必要ないと思いますが!!


「靴はきちんと脱ぎましたよ?」


 って、抗議内容も伝わってないし!!


 そう、そうなんです。欧米式に室内も靴なんです。慣れない私はルームシューズで過ごしてる。

 これも抗議したんだけど、セルジュさんにこう言われたわけだ。自分は良いけれど、ジェラールが困るでしょう、と。

 ピシッとイタリア製の高級スーツを着ているダンディなジェラールさんは、執事歴の長いベテランさんだそうだ。そのため拘りもプライドもあり、仕事着はスーツに磨き上げた革靴。これは譲れないのだそうだ。


「お嬢様のお願いでしたら。ジェラールはすぐに室内土禁にするでしょうけれど……彼の一流執事としてのプライドは少なからず、傷つけてしまうでしょう……。いえ、ジェラールもベッドサイドにスリッパを置いておりますよ? 眠る時はスーツを脱ぎますしね。孫からプレゼントされたという、丸い耳がついたアイボリーカラーのモコモコしたスリッパを持っておりますよ。では明日から足元をそのモコモコくまちゃんスリッパに替えて……」

「ごめんなさい。モウイイデス。ジェラールさんには是非、ピッカピカの革靴で全身ピシーッ! としていて欲しいです!」


 私の頭の中では、スーツをピシッと着こなしたジェラールさんが、モコモコくまちゃんスリッパを履いてパタパタと歩く姿を想像して、なんだかもの悲しくなってしまった。想像上でもその背中には、哀愁が漂っていたんだよ……。

 だから、その抗議はジェラールさんの元に届く前に、取り下げたんだ。そうしたら、数時間後には私の元、淡いピンク色のバレエシューズのような形の、可愛らしいルームシューズが届いたのです!!

 ……て、いやいや。そうじゃなくて!

 私の意識がモコモコくまちゃんスリッパのジェラールさんに向いている内に、熱をもった背に少しひんやりする逞しい腕が回され、そのままスルリと流れるように脇に差し入れられた手が、軽々と私の上半身を更に起こした。

 それでもセルジュさんの右手にあるグラスの水は、わずかに波立っただけだった。

 グラスの中で水の表面がゆらりと揺れる様を見つめていたら、意識は身体に回された力強い腕と、頭の上から注がれる柔らかな声に囚われた。

 右半身が熱い。

 微熱がある私の身体よりも、右半身にぴたりと寄り添うセルジュさんの熱を感じて、右半身が熱い。


「喉が痛むのでしょう? 飲ませて差し上げます。少し上を向いてください」


 言われるがまま少し上を向くと、ほの暗い室内でも宝石のように青く輝く瞳に出会った。

 目が、離せない。

 そのまま薄く開いた口とひりつく喉を、冷たい水がするりと潤していく。

 でも、身体の中に入り込んだのは、清らかな水だけだっただのかな。なぜ、こんなにもドキドキするんだろう。

 冷たい水を飲んだばかりなのに、顔が火照っていく。

 目が離せない。いやだ。心臓が壊れそう。


「お嬢様? またご気分が?」


 その言葉に、ずっとぼうっとセルジュさんの瞳を見上げていたことに気付いた私は、慌てて視線を外した。

 ひー!何だったんだろ今の! なに? セルジュ・マジックか!?


「お嬢様?」

「あああああありがとう! あの! なんでセルジュさん、一緒にベッドにいるのかな?」

「ベッドサイドからですと、お水を飲ませることができませんし」


 キングサイズいいとこなしじゃんー!


「もう飲んだ! ホラ! もう話せるし! 私、汗かいて多分臭うから! ちょっと離れた方がいいと思うよ!?」


 自分で言っておきながら、なんなんですけどもね。起き上がるために添えられた脇下の手が今になってものすごく気になります!

 いやぁー! 脇汗は女の子の敵なんですのよ!! 手を! 手をどかしてくださいーっ!

 慌てて添えられていた手を引き剥がすと、慌てているあたしにセルジュさんはとんでもない爆弾を落とした。


「大丈夫ですよ。数時間置きに蒸しタオルでお身体を拭いてパジャマも替えておりますから」


 …………エ?


 ギギギギ……とぎこちなく自分の身体に目をやると……。


 ノォーーーーー!


 昨晩見た水玉パジャマじゃないーーー! 私の身体は、初めて見る小花柄が可愛らしいオフホワイトのパジャマに包まれていた。

 下着は……確認する勇気がない……。


 あの、もう一度ぶっ倒れていいですか?


 香澄、都子へ。連絡するのはもう少し待っててください。このショックからはしばらく立ち直れそうにありません……。

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