三日間続いた頭痛が人生を変えた話
ナガ
第1話 発覚編
一日目(火曜日)
当時長女はあと一ヶ月で入園式を心待ちにしている時期でした。
来週には頼んでいた制服や通園帽子、上履きなど幼稚園で必要なものを取りに行くことになっていました。
私はその週の日曜日、久々に子供と離れて一人で某所へ遊びに行くのを楽しみにしていました。
そろそろ持ち物準備と使用する電車の下調べをしなければと思いつつもどうも体調が思わしくない。
微妙に頭が痛いような……疲れてるだけかな?とその日は早く寝ました。
二日目(水曜日)
朝から寝坊をしてしまいました。長女に起こされるという情けない母親です。
ですがどうも体が重たい。頭も重たい。昨日の頭痛が残っているのです。
あれだけ早く寝たのになぁと思いつつ、いつも生理痛でお世話になっている薬イ○を飲んでいつも通りの生活をしました。
しかし近所の公園が補修作業をしていて家の窓を閉め切っても音がうるさい。
キンキン、カンカン、ガーッガーッ、エンドレス。
騒音のおかげで頭痛は悪化していきます。薬も全く効いていません。
とりあえず娘と一緒にお昼寝をして回復するのを待ちます。
しんどい体に鞭を打ちながら夕食作らなきゃと起き出してキッチンヘ。
野菜の皮を剥き、均等に切っていく。
あれ?おかしいな。均等に切ったはずなのに……なんでこんなに太さがバラバラなんだ。
どんだけ下手なんだよ!と自分でツッコミを入れるほどバラバラだったのです。
少し自己嫌悪しながらも娘も好きなシチューができあがりました。
具がいびつなのはご愛嬌と軽いノリで夕食に出しましたが味は普通だったので無問題でした。
夜になっても頭痛は引きません。昼間にも薬飲んだのにおかしいよね?と旦那に相談しましたが早く寝れば?と一言だけ。
お言葉に甘えてその日も大事をとって早寝しました。
三日目(木曜日)
さすがに二日連続寝坊は良くないぞ!と気合を入れていたおかげか普通に起きれました。
ですがやはり頭が痛い。なんで?しかもだるい。立ち上がって動こうとしたら眩暈がする。
旦那に今日は病院で診てもらってくると宣言して見送って、娘のかかりつけの病院(小児科&内科)で予約の電話を入れる。
一番に見てもらえることになったので娘を連れて病院へ。
待ち時間に「これ読んで~」と絵本攻撃で持っていた絵本を見て唖然としました。
“なんて書いてるのか分からない……”
嘘でしょ、ただの平仮名の絵本なのに……全く分からないのです。
正確に言えば平仮名の文字と文字の単語、文節の切れ目が分からないから意味が分からない。
そして読めない。考えようと思うと強烈な頭の痛み。
「ちょっとお母さんしんどいからまたあとでね~」と軽く娘をあしらって診察室へ。
先生に野菜を均等に切れなくなったこと、平仮名の本を読めなくなったことを相談すると、すぐ大きい病院へ行ってくださいとのこと。
タクシーで10分くらいのところの大学病院へ紹介状を書いていただき電話してから行くことに。
昼食時で娘がおなかすいた~とうるさくなりそうだったのでパンを買って移動。
しかしそこでもまた問題が発生しました。
紹介していただいた大学病院が移転中ですぐ診てもらえない状態だったのです。
改めて今度は頭痛外来の個人クリニックを紹介してもらい、またまたタクシーで移動。
その時点で私は娘を連れて行くことに疲れ、頭痛も酷く、フラフラな状態でした。
予約なし可のクリニックだったのでひたすら座って待つこと一時間。
やっと先生と先ほどお話したことをそっくり話すと専門の機械で脳をスキャンすることに。
『あなた、脳梗塞になってますよ』
先生の言葉を聞いて私は呆然としました。
すぐに近くの高齢者医療センターの脳外科の先生に見てもらえるよう電話しますから!とその場で交渉してくださいました。
クリニックのスタッフさんがタクシーも手配してくださってまたまた移動。
タクシーの中で旦那に電話。
「私、脳梗塞になってるらしいわ……」
「え、まじで?!」
「今また病院行ってる途中、タクシーの中」
「あとで病院の名前メールしておいて、すぐ行く」
場所は普段行く方向ではないですが、自宅から自転車で30分ほどの医療センターでした。(クリニックからはタクシー15分ほど)
脳外科の先生に話は通ってるはずなので……と紹介状を見せて受付へ行くも初診のための登録用紙を書く羽目に。
正直もう自分の携帯電話の番号や住所すら覚えていない、プロフィール画面を見ないと書けない。
名前の字は汚いし、まっすぐ横に書いてるはずなのに文字が右下に下がっていく。
漸く書き終わって「しばらくお待ちください」と言われまた椅子に座って待つこと数分。
旦那が来てくれたようで娘を任せて私は脳外科へ案内される。
すぐにMRIを撮ることになり初めての体験。
少しワクワクしながら検査着に着替えていざMRIの機械で仰向けになる。
そして地獄が始まりました。
いや、頭痛いって言ってるじゃん?!
心の中で何度も叫びました。二日目の騒音×100くらいの音量と音の種類。
とにかくうるさくて、早く終わって……と願っていました。
お疲れ様でした~と声をかけられて起きて立ち上がろうとしたらまた眩暈。
ゆっくりでいいですよ~と言われたのでよろよろと元着ていた服に着替え、家族と合流しました。
そして脳外科の先生の診察室へ案内されまたもや衝撃の一言。
「すぐ入院してください」
「え、入院ですか……?」
「そりゃ脳梗塞になってますからね~あとあなたもやもや病ですよ」
は?脳梗塞は分かるよ、入院するのも理解できた。でももやもや病って……先生ふざけてるんですか?
「もやもや病って言ってね、これ毛細血管いっぱいあるでしょ」
さっき撮ったMRI画像をペンで指しながら先生は説明していく。
「それがね、煙がもやもや~っと出てるみたいに見えるからもやもや病って言うの」
はぁ……へぇ……私は終始無言で先生の話を聞くので精一杯でした。
「脳の主要な太い血管が閉塞してね、その血管の足りない血流を補うために毛細血管が生えてるのね」
どうやらその毛細血管は脆いらしく血管が詰まると脳梗塞、破れると脳出血になるらしい。
実は確かに私も脳梗塞危ないかなという心当たりがあったりしたのだ。
一年前、実母が仕事中に倒れ救急車で運ばれました。
原因は脳出血。その知らせを聞いて急いで新幹線と電車を乗り継ぎ四時間の道のりを経て帰省。
一命を取り留めたものの、右半身麻痺、失語症、記憶障害が残りました。
私の名前すら覚えておらず、正直ショックだったのを覚えています。
入院中の母の着替えや洗濯物を届けたり、仕事をしている父の食事作り、家を保つための家事。
長女を連れてしばらく実家に滞在し、お見舞いに行ったり、リハビリを手伝ったり。
母の主治医の先生ともお話して脳梗塞と脳出血の違いも聞いていました。
脱線しましたが、なぜ自覚症状があったのかと言うと私も右半身が急に脱力することがあったからです。
私は学生時代からカラオケが趣味と言えるほど歌うことが好きで、よく歌っている最中に右半身が痺れ脱力することがたびたびありました。
少し休めばすぐ治るのでさほど気にしなかったのですが、今思えばそれが脳梗塞の、もやもや病のサインだったのでしょう。
“もやもや病”という病は、病名だけだとたいしたことがないように思えるかもしれません。
決して気持ちがもやもやしているからも“もやもや病”というものではないのです。
先生の説明を聞いた後、最後に私に言われた言葉が今でも重く圧し掛かります。
「次脳梗塞が再発したらあなた死にますよ、若くて処置が早くて運が良かっただけだから」
「あとまだ完治できない難病だからね、一生折り合いをつけて生きていくしかないからね」
本当に怖くなりました。
再発したら私死ぬの?
一命を取り留めても母と同じように右半身が使い物にならなくなったら?
大事な人のことも自分のことも忘れてしまったら?
伝えたいことも伝えられなくなったら?
渦巻く思いを飲み込んで、すぐに点滴治療を始めました。
その日は満床だったらしく、ICUで一晩泊まりました。
翌日入院のための着替えや必要なものを旦那と長女が持ってきてくれました。
その後長女の面倒はは旦那の実家にお願いして私の入院生活が始まりました。
三日間続いた頭痛が人生を変えた話 ナガ @naga0912
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