第33革 NRシステム / 約束されていた無限のエネルギー

「お疲れ、ハカセ」

「はい、総一さんこそお疲れ様です」


 静かな格納エリア。

 シミュレータ訓練に使っていた実機を降りてお互いに声をかけると、機体の脇に立てかけておいたタオルとドリンクを手に取った。八枷も自分のボトルを手に飲み始める。

 あまじょっぱいスポーツ飲料で喉を潤して一息付いた時、八枷が口火を切った。


「さて、通常モードでのシミュレーションはこれで十分でしょう。明日からはわたしのリーヴァー能力を用いたより実践的なシミュレーションになるので覚悟してください」

「八枷のリーヴァー能力か……」


 刀道先輩の刀剣変化とシステムKATANA、そしてエルフィさんの銃型具現武装、果たして八枷声凛のリーヴァー能力とはいかなるものなのだろうか。

 首相を襲撃するのに適した能力――透明化能力なんてどうだろうか?

 自衛軍や米軍の索敵の全てをかいくぐり、レーダー上はほぼ存在しないような状態になれるレヴォルディオンだが、物理的目視にはめっぽう弱い。

 もし光学迷彩みたいな感じで完全に透明化出来るのならば、暗殺襲撃任務にはもってこいではないかと思う。


 俺が八枷のリーヴァー能力に思いを馳せていると、八枷が俺の妄想を打ち砕かんとばかりに釘を差した。


「能力的には大して驚くべきものもありませんよ。

 ただ今回の任務の性質に合致するが故に、愛紗を差し置いて、わたしが総一さんのパートナーに選ばれたというだけのことです」

「――じゃあやっぱり透明化とかじゃないのか?」


 大して驚かないっていうのだから、透明化や光学迷彩の類では無さそうだったので素直に考えを吐露する。


「透明化ですか、まぁ、そこまで大それたものではありませんよ。

 わたしのリーヴァー能力名はNRシステム。

 NRとはNoiseノイズReductionリダクションの略です」


 ノイズリダクション、言葉そのままに受け取るのならば音を軽減させるってことになる。なるほどな、確かに首相襲撃は定点待機からの127mmライフルでの狙撃任務が多かったように思う。であれば――。


 八枷が、得心のいったであろう俺の表情を読んだかのようにして首肯する。


「そうです、その名の通り音を制御することが可能になります。

 原理的には特定の空間範囲内に即座に逆位相の音を当てる事で、本来発生するはずだった音を相殺するという地味な能力ですが、こと狙撃任務においては大きな力を発揮することは想像に難くないでしょう」


 銃撃音をかき消せるってことだろうか。であればこちらの位置が相手にバレることもないし、第二東京や旧首都といった都市内で大きな音を響かせる事無く、相手を沈黙させることが可能ということになる。


「なるほどな、狙撃手としちゃ願ったり叶ったりな能力ってわけか」

「そうなります。都市内での任務という性質上、住民たちに不必要に気取らせない作戦遂行が可能となる点も、わたしが本作戦に抜擢された理由です」

「住民たちに気取らせない?」


 どういうことだろうか。銃撃音を抑える事で狙撃手の位置バレは防げるように思えるが、住民に気取らせないなんて事が可能なんだろうか。


「さっき特定の空間範囲内と言いましたが、厳密には特定の2空間に対してわたしの能力は行使が可能なのです。

 狙撃地点においてわたし達二人の乗る機体の周囲一体を対象とし、弾丸発射直後はその弾丸の周囲一帯を対象範囲に、そして同時に着弾地点となる狙撃目標の周囲一帯へと作用空間を展開。2つの対象範囲を段階的に移すことにより、ほぼ無音での狙撃が可能になるというわけです」


 たしかにそれであれば無音での襲撃任務が遂行可能に思う。シミュレータ訓練では攻撃目標の車両なり航空機なりをハデに爆発炎上させて多大な音を撒き散らしていたわけだが、その音だけは少なくとも抑える事が可能ってことだろう。


「銃撃戦で爆音を鳴り響かせられるよりは、スマートにさっと終わった方が国民受けは良いってもんだよな」

「不必要に住民の不安を煽る必要はありませんからね。

 まぁ次回からのシミュレーションが実践的とはいえ、リーヴァー能力の制御はすべてわたしの方で行うので、総一さんは今まで通りにやって貰えれば問題はないかと。

 ただ発射時と着弾時に音が一切発生しないという違和感に慣れていただく感じでしょうか」


 ハカセの説明に、「それだけでいいならオッケーオッケー」と気楽に答える。


 しかし、それ以降、会話がなくなってしまった。

 二人して黙り込んでしまっては間が持たない。俺はレヴォルディオンについて前から気になっていた事を八枷に聞いてみることにした。


「なぁ八枷、《AGNドライブ》と重力制御について聞きたいんだけどさ」


 俺が質問すると、八枷はまさか俺からそんな質問がくるとは思っていなかったらしく、ピクピクっと肩を震わせる。


「ほう、《AGNドライブ》に興味がお有りですか総一さん」


 八枷の瞳がキラランと光ったような気がした。


 AGNエンジンならば知っている、広大な宇宙で超巨大ブラックホールが起こすという超効率的なエネルギー運用の形態の事だ。しかし、ドライブとなると話は別だ。


 前にドゥーイングで見たトピックによれば、研究用に試作されるAGNエンジンでさえ、第二東京にあるドーム数十個分くらいあるという超巨大研究施設のはずである。


 その超巨大サイズが、レヴォルディオンに搭載されるサイズまでシュリンクされたものがAGNドライブであると、信子たちが以前レヴォルディオンのスペックを俺たちに説明してくれた時に言っていたように思う。だが、一体全体どうしたらそんな超技術的先行が可能になるのかって疑問は尽きない。


「ではなにからご説明差し上げましょうか、ふむ……そうですね。

 総一さんは学園の講義ではどこまで進んでいるのでしょう?」

「講義って物理とか数学のことか?」

「はい、できれば物理がいまどのあたりかを教えて頂ければと」

「万有引力の法則とかその辺だったかな、なんにせよ俺は全く講義について行けてないからお手柔らかに頼む」


 むぅ、なんか八枷がやけに乗り気だ。めんどくさいことになるようなら丁重にお断りしなきゃダメか……?


「万有引力とは中々に都合が良い……いいですか総一さん、結論から言えば、この世に重力という最小単位の力――基本的相互作用は存在しないのですよ」

「は? なんだよそれどういうことなんだ?」


 初っ端から根底を覆されて俺は狼狽するしかない。


「いえなに、みなさん始めはそのように困惑なさるのです。

 事の始まりは今から30年以上前、スピントロニクスという専門分野が主に工学分野から、商品化技術の舞台へと登場したのが始まりでした。

 コンピューターチップのプロセスルールの微細化の行き詰まりとムーアの法則の破綻という、致命的工業的課題を抱えて当時の技術者たちが四苦八苦していた時代です」


 八枷は自身ありげに、真っ赤なヘアバンドで小奇麗に纏められた髪から垂れ下がる横髪をくるりと弄ぶ。


「特区が他に比較して多大な技術的優位を獲得している原因は、すべてがここにあると言って過言ではありません。わたし達は他よりも早く量子力学の深奥に辿りついてしまったのですよ」


 量子力学の深奥とは一体どういうことなんだろうか? それがAGNドライブや重力制御にどう関係しているというのだろう。


「ふと、ある研究者が思いついてしまったのです。スピントロニクスと量子電磁力学とを結びつけたら万物の理論が完成するのではないか、と。

 つまるところ、スピン流にとっての絶縁体が超伝導体であるならば、スピン流にとっての超伝導体とはなんなのかというところから思考実験は始まったとわたしは推察します。

 答えは単純でした。スピン流にとっての超伝導体とは真空に他ならなかったのです。

 ですからスピン流にとっての超伝導体である真空中において、スピン流にとって光子はヒッグス機構により有効質量を獲得するということ、これこそを世の物理学者たちは見落としていたのです!!

 これは一大革命でした。

 スピン流にとって光子が有効質量を獲得するのならば、そのスピン流を構成する電子は光子からトムソン散乱を受けるはずなのですからね!

 そうつまり1次元3次元プラス、7次元の、合計8次元10次元空間に作用するそれこそがっ!――失礼、調子に乗りすぎました」


 ヒートアップにヒートアップを重ねていたハカセの暴走がついに収まった。

 どうやら技術的詳細を語っていたようだが、難しすぎてなにがなにやらさっぱり理解できない。きっと俺は知らなくても良いことなのだろうと放置することにした。


「まぁそんなわけなのです。

 無限のエネルギーとAGNドライブ、そして重力制御。

 いまのわたしの説明でご理解いただけていれば、総一さんはきっと学園の講義など受けずとも物理学と数学は問題ないでしょう!

 えぇわかっていますとも、たぶん総一さんは理解していないと!

 こほん、まぁ、事が単純明快だったのとは裏腹に、それを世間に公表するのには多大な時間を要するものだったのです。

 結果的に、超震災が公表よりも先に起こってしまったことで、事は有耶無耶にされてしまった。

 ――わたしの母様と父様がこの革命的事実を再発見するまで、20年近くも事実が隠蔽されてきたのですからね」


 まじか、八枷のご両親がその革命的事実を再度発見したのか。


「いえ、本来であればこれらの技術は2020年頃には世間一般に公表されて然るべき事実だったのです。

 当時スピントロニクスを大きく牽引していたのは何を隠そう、この我が国、日本の大学研究機関だったのですから。

 もし研究内容が順当に公開されていたならば、今頃は世界中でレヴォルディオンのように無限のエネルギーを用いた夢のような平和社会が実現しようとしていたはずですからね」

「でも、そうはなってない、よな?」


 俺の疑問は果てしない。八枷の言っている事がとんでもなく飛躍しているからなのだが、無限のエネルギーをベースとした社会が実現していたかもしれないなんて、さすがに言い過ぎのように聞こえなくもない。

 レヴォルディオンは俺にとってはあくまでも兵器なのだ。平和利用と言われてもしっくりこない。


「その通りです、現実にはそうはならなかった。

 なぜって量子力学の深奥が万物の理論が完成していたんですよ総一さん。

 それはつまり量子コンピューター技術の爆発的発展をも意味します。 

 ですが、当時の技術ベースではまだまだコンピューター側での基幹技術の進歩が全く足りていなかったのですよ。

 仮に量子コンピューターが氾濫する社会になってしまった場合、量子コンピューターを制御すべきセキュリティや情報インフラの整備が全く追いついていなかったのです。

 量子コンピューターの圧倒的性能によって、一方的に世界中の従来型コンピューターはハッキングを受けることになってしまったでしょう」


 その後もハカセは滔々と量子コンピューターが台頭してしまった時の、従来型コンピューター社会が抱えるリスクを語った。

 住民データベースの改ざん、税管理システムの破綻、預金を始めとした金融社会の崩壊。


 もしそんな事が起こってしまっていれば、日本という文明社会は完全に崩壊してしまっていたかもしれない。


「ですから万物の理論は、然るべき時がくるまで封印されることになったのです。

 しかし、そう決めた最中、超震災が起こってしまった……。それだけで無限のエネルギー社会なんて未来は消し飛んでしまったのです。

 当時、旧首都近郊に住んでいたスピントロニクスの権威とでも言うべき有望な研究者達の多くが超震災で亡くなってしまったのですよ。

 これは後のわたし達革命機構の調査で判明した事実です総一さん。

 彼らは従来型コンピューター社会の抱えるリスクに対応する為に完成していた万物の理論を一度封印した。

 けれどその封印を施した当人達のほとんど全員が、超震災によって帰らぬ人となってしまっていたのです。

 加えて、超震災の影響で日本の、そして世界の量子力学の技術発展は数十年単位で遅れてしまった」

「――そんな時に八枷の親御さんが、万物の理論を再発見したってわけか」


 八枷が、「お察しの通りです、総一さん」と言って再びくるりと髪束を弄ぶ。


「超弦理論のホログラフィック原理を用いた独自検証を行っていた父と、考古学者だった母が出会った事、そして母の見つけたある遺物の解析結果とを示し合わせた事が再発見に繋がったのです」

「超弦理論はわかるけど、遺物って?」


 俺がそう疑問を口にすると、八枷は一瞬だけ躊躇ったが「まぁ総一さんになら言っても問題はないでしょう」と呟いてから俺に向き直った。


「ですが……取り敢えずこの場ではなんですので場所を変えましょう」


 八枷の提案もあり、俺はハカセの後を付くようにしてその場を後にした。

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革命のレヴォルディオン 成葉弐なる @NaruyouniNaru

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