夏風の吹く木陰にて
英 万尋
零
明けかけた夜が又沈んだ気がした。
意味の無い事ばかりを繰り返すぼくは、幾らもなく正直で下らない事が好きで、いい加減な毎日を過ごしている。
ある夏の事だ。神社に行くと、いつもならぼくひとりの筈の空間が消えていた。そこにはまるで、ぼくが後から来た来訪者のような目でこちらを睨んでいる人間がいた。年は幾らも離れてはいないだろう。
「お前、ダレだ」
この界隈では見かけない顔で、そして今まで見た中で一番綺麗だった。来訪者は何も言わず、ただ黙っている。体育座りの状態で汗だくの服をそのままに、神社の周りの林よりも遠くを見つめていた。
「日陰・・・・・・入れよ」
ぼく自身の体温も上がっているようなので、近くの木陰へと移動した。もちろん、来訪者の見える位置で腰を下ろした。木陰はひんやりとしていて、蝉の声は忙しなく鳴り続けていた。その間、来訪者は陽向の中に居続けていた。ぼくがうっかり夏の風と木陰で涼んで寝ているときも・・・・・・
目が覚めると、横倒れになっている来訪者の姿があった。急いで近づいて見ると、髪が汗で顔にペッタリとくっつき、息が弱い。以前ぼくがなったことがある熱射病の症状に似ている。急いで木陰に引きずって、家から水を桶に入れて持って来た。来訪者はまだぐったりとした様子ではいたものの、息は元に戻りつつあった。
「生きてるか、お前」
尋ねるが返事は返っては来なかった。木陰に浮かびあがった来訪者の肢体は、透き通る水、もしくは原石の水晶を体現したようだった。髪の色も薄く、全体的に色素が少ない。長い睫毛の下には、図鑑で見たアクアマリンとシトリンがきらきら瞬いている。
「さっき言ったろう、木陰に入れよって」
相変わらず来訪者は何も言わない。何となく悪戯心をくすぐられ、桶の水を全てぶちまけた。その刹那、来訪者は不安そうな顔をこちらへ向けた。水は井戸から汲み上げたばかりで、とても冷たく、来訪者を包んだ。汗の代わりに水が来訪者の服と躰とを張り付けた。
「悪い・・・・・・」
さすがに悪い事をしたと思い、来訪者に謝った。変わらず沈黙を続ける。多分ぼくは嫌われている。
「冷たいか・・・・・・」
今のご時世に珍しく、無地の限り無く白に近い浅葱の浴衣を着ていた。
「家に来いよ。替えの服くらい貸してやる」
桶を手に取ると、後ろも見ずにゆっくりと歩き出した。すると、後方から声がした。
「腕、かしてぇな」
それが、来訪者の初めて発した言葉だった。
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