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中原いち
第1話
食い入るように画面を見つめる姉の背中。それは懐かしい光景だった。
テレビ前の陣取り合戦に敗北した僕は彼女の斜め後ろで正座していた。液晶の向こうでは少女が三十センチほどの棒を振りまわしている。その棒が向けられた先では閃光が奔出し、虹がはじける。
作り物ではない、本物の魔法。その魔力の奔流の鮮やかさは夜空を彩る花火に負けずとも劣らず。
僕らは魔法がはじけるたびに歓声を上げた。
日曜の朝から騒ぎ立てるきょうだいを見ながら呆れたように父は言った。
「お前たち本当に魔法少女が好きだな」
「うん!」
「まあ……ね」
即答する姉。それに対して、
「僕が好きなのはまほー少女じゃないよ。まほーだよ」
魔法少女番組は女の子の見るものだ、とクラスメイトにからかわれたばかりの僕はそう答えた。
「まほーはね、すごいんだ! 夢とかお願いとかなんでも叶えてくれるんだよ?」
「へー、なんでもなのか?」
「そう! なんでも だって、まほーはすごいんだ!」
へー、と微笑む父の表情がなぜか気に食わずに、僕はやたらと魔法の凄さを主張していた。幼かった僕は具体的にどこか凄いのか、なんてことはまったく説明できなかった。けれど、「まほーまほー! まほーはいい」と意外にも姉の加勢を受けて、言葉に熱が入った。
「ね? 藍(あい)も言うんだ。お父さんもすごいのわかった?」
「わかったわかった」
鼻を鳴らす僕を頭に手を乗せながら父は言った。似た者きょうだいだな、と。
「じゃあ、そこまで言うなら”魔法教室”の見学会に行ってみるか?」
「いいの!?」
僕は思わず立ち上がりテレビに背を向けた。
「え、夏樹だけ? ずるい!」
番組がコマーシャルに入った瞬間姉が即座に反転し反応する。
「私も、私も!」
「はいはい、じゃあ、みんなでな」
いつもよりさらに大きな父の背中を僕たちはじっと見つめた。
そして、普段は縄張り争いする野性動物のように視線が合えば喧嘩しかしない僕らだったけれど、このときだけは互いににやついた顔を見せあった。
自分が体験したはずの記憶。だけどなぜか僕は第三者の視点からそれを見ていた。
そうか、これは――
目を開くころにはもうわかっていた。
変な夢を見てしまった。ずいぶん、懐かしい夢だった。
もう十年も前の週末の一場面。すっかり記憶の奥底に埋もれてしまっていたものだ。
ここ最近は忘れていたことすら忘れていたようなもの。
「ふぁあ」
思わずあくびをすると、隣に座っている女子が驚いたようにこちらを見た。あくびくらいでなにを、と思って見回すと、整然と並んだパイプ椅子に座っている生徒たちがこちらを見つめていた。壇上の先輩らしき人も眉間にしわを寄せながらこちらを凝視している。
「……失礼しました」
しまったな、入学二日目からさっそくやらかしてしまった。
オリエンテーションなんて聞いていてもしょうがない。そう思って目をつむっていたら、うっかり寝てしまっていたらしい。しかも、変な夢のせいで周囲のことを完全に忘れていたみたいだ。思わず口から舌打ちが漏れた。
『……では、興味を持った人は校舎玄関から校門までに設けられた各部活のテーブルで詳細を聞いてください。以上で部活紹介を終わります』
壇上の先輩の言葉を合図に新入生が立ち上がる。俺の周りだけ席を立つのがはやかったのはきっと気のせいじゃないだろう。
なんだ、もう終わり近かったのか。一番変なタイミングで起きてしまったな。
再びあくびをしてから俺は荷物をまとめた。
椅子の隙間を縫いながら、ほかの生徒の波に乗りながら体育館出口に向かう。周りの生徒が男女問わず俺を見上げながら驚いたような顔をしている。最初は俺の身長に、それから視線はそのさらに上、赤と黄色のメッシュの入った頭髪に。
去年、一年で二十センチも背が伸びてから、奇特なものを見るような目で見られることが一気に増えた。まだ、なんとなく落ち着かない。
また、舌打ちしてしまう。
そのまま流れに乗りつつ外に出ると、各部活が校門までの道に出店のようにテーブルを並べていた。どうやらすでに勧誘をさせているような部活もあれば、積極的な勧誘は行わず「来るものは拒まず」といったスタンスで新入生を眺めているところもある。新入生は新入生で目くるめく高校生活を送るためにはどの部活を選ぶべきか、という選択自体を楽しんでいるようだった。
同じ学年のはずなのに、なんか向こうは違う。
視界の端でバスケ部っぽい部員が他の部員の肩をたたき、俺のことを指差す。けれど、肩をたたかれたほうは俺の頭を見て首を横にふる。
勧誘する側からしたら、こんな問題を起こしそうな外見をした人間を入部させるリスクは負いたくはないだろう。だから、俺にチラシを渡そうとする部員は運動系・文化系を問わず誰一人としていないのも当然の結果。
まあ、それは俺にとっても好都合なのだけれど。どうせ、どこの部活にも入るつもりはないし。
今日はこのまま校門を抜けて帰るだけ。
そう思っていたから、真正面から話しかけられたときもそれが俺に対してだとはまったく思わなかった。
「――に興味ない? ねぇ?」
横から二の腕をつかまれ、制止されてようやくその存在に気がついた。
そこにいたのはにこやかに笑う小柄な女子生徒だった。サイドの髪を三つ編みにして、それを後ろで束ねる複雑な髪形をしていた。その丸い目はまるで凸面鏡のように俺の顔を映している。
「はい?」
予想外のことに思わずぞんざいになってしまった。
でも、女子生徒は笑顔を一ミリも崩さずにチラシを差し出した。身長差が大きく、チラシを掲げるような形になっている。
「“現代魔法学研究会”っていうんだけど、どう? 興味ない?」
背後にいる誰かを勧誘しているのでは、と思わず振り返るものの誰もいるはずもなく。さっきのバスケ部員っぽい人たちが俺たちのことを指差してなにやら話しこんでいるだけだった。
……いや、話し込んでいるのは彼らだけではなかった。冷静に見ると、この場にいる先輩生徒のほとんどが街中でライオンでも目撃してしまったような反応をしている。それにつられるように新入生たちも不安そうな表情を浮かべる。
「……まじかよ。なんであいつが?」
「……よりにもよって、一番やばそうな新入生に声をかけてやがる」
どうにも状況はつかめないものの、近くにいた先輩たちの会話から、勧誘されているのはやっぱり自分みたいだ。
でも、なんで俺?
女子の先輩(勧誘しているのだからきっとそうだろう)に向き直るけれど、彼女の浮かべる笑顔の真意はつかみようがない。
「……えっと、あなたは俺をその“なんとか研究会”とやらに――?」
「現代魔法学研究会、ね」
「そう、その研究会に勧誘しているわけですか」
「そうだよ。興味ない?」
まず、彼女の言う現代魔法学研究会? がどういう部活がわからない。まったくもって正体不明だった。それに本人はやっぱり笑顔を崩さないし、周りは固唾を呑んで成り行きを見守っている。
ひとまず、答えることは決まっていた。
「すいません。興味ありません」
そもそも俺は部活そのものに入るつもりがないのだ。
俺はその女子の先輩に会釈して立ち去ろうとした。なんだか、面倒くさそうな雰囲気もすることだし。
彼女の横をすり抜け校門に向かう。先輩、新入生問わず俺をよけるように道を開けた。
でも先輩はその横をぴょんぴょん跳ねながらついてきた。
「私は部長の伊丹爾緒(いたみにお)! よろしくね!」
「はあ」
伊丹先輩とやらは手に持ったチラシで俺の視界をふさぎ、自分に目を向けようとする。
面倒くさい。高校にもなると、こんな面倒な人がいるのか。
俺はその手をつかむと、彼女を思いっきりにらみつけた。
後ろにいた女子生徒が小さく悲鳴を上げるものの、先輩はというと、
「きゃー、そんなに見つめないでーはずかしー」
腹が立つくらい余裕綽々だった。
聞こえよがしに舌打ちしてみるものの、やはり効果薄だった。
それどころかにやりとして、
「……なんで怖がらないのか、って思ってるでしょ?」
「!」
見透かされ、こちらが驚いてしまった。
「私、知ってるよ。君はそんな見た目だけど、ほんとはいいやつだって」
「はぁ?」
いったい何を――
「女系家族の夏樹君は女の子に乱暴なことなんてできないよね?」
思わず、手を離してしまっていた。
その隙に伊丹先輩は着ている制服の内に手を入れると、ノートを取り出した。
「千歳夏樹(ちとせなつき)。十五才。誕生日は二月二日。高間中学を卒業して晴れてこの四月に高間高校に入学。幼いころの魔法事故によって、頭髪の一部が変色。新しく生えてくる毛もなぜか着色されたような色をしている」
「どうして……?」
中学でもこの髪のことを教えたのは、ほとんどいなかったのに。
「その見た目と体格から勘違いされることも多い。けれど、家族思いのいいやつだ。なにより」
言葉を切った先輩は急に仁王立ちすると右手で目の横にピースサインを作り、ノートを持った左手を振り上げた。まるで決めポーズのように。
「?」
他の生徒たちが疑問符を頭の上に浮かべる中、俺はまるで血管に冷水を流し込まれたかのように凍りついた。
先輩はそんな俺の耳元で囁いた。
「君、女の子向けの魔法少女番組を毎週欠かさず見ているようなやつだもんね」
なんで、それを……?
「私はね、君のことならなんでも知っているんだよ。例えば、君の悩みごとも、それを解決する方法だって知っている」
そんな、まさか。
「俺の悩みごと? この頭をどうにかしてくれるっていうんですか?」
「いや、その奇怪な頭髪は私にはどうにもならないよ。けれど、目下の君の悩みはソレじゃないよね?」
先輩はノートを開き、そこに貼られた写真を指す。気の弱そうな、童顔の女子のバストアップ写真だった。きっと学生証かなにかのものだろう。カメラを正面から見据えているものの、不安そうにゆがんだ眉間のシワは隠せていない。もうちょっと肩の力を抜いて笑えていれば、もう少し愛嬌を感じるだろうものを。こう全体がこわばっていたら、虚勢を張っている小動物にしか見えなかった。
「藍(あい)ちゃん、だっけ? 君の悩みの種は」
名前まで、把握しているのか。
「それが、なんだっていうんです?」
「取引をしよう」
動揺を隠そうとする俺に、彼女はさらに攻勢をかけてくる。
「私は君の悩みごとを解決する。その代わりと言ってはなんだけど、君には“現代魔法学研究会”に入って欲しい。うちの部は今、ちょっと人手不足でさ。もし入ってくれるなら……」
彼女は唇に人差し指を当てた。もし入部するならさらに俺の“秘密”を黙っている、というサインだろう。
アメとムチ。人を懐柔するのには効率的な手法だけれど、どうして彼女はそんなに適確に俺の欲しいものと弱点を適確に知っているのだ?
「……あなた。いったいなにものなんですか?」
「私? 私はね――」
先輩は白い歯を見せながら、言い放った。
「現代魔法使い、だよ」
「現代魔法、使い? それって――」
さっき彼女が言っていた部活も“現代魔法学研究会”という名前だった。でも、そんな魔法は聞いたことがない。詳しくを訊こうとしたところで、体育館から怒号が飛んできた。
「い・た・みー!」
「やっべ」
先輩は初めて笑顔を崩し、慌てた様子で声を見た。つられて見ると、それはさっき俺を壇上からにらみつけていた女子の先輩だった。ただ、俺のときとは違って今は敵意むき出しだ。
「お前、勧誘禁止だって言ってるだろ!」
「え、なんでさ? そうしないと部員増えないじゃーん!」
「お前みたいな問題児を量産されたら学校が壊滅するんだよ!」
長い黒髪を振り乱しながら、女子の先輩は人ごみをかきわけて駆けてくる。怖い。
巻き込まれる前に退散するべき。そう思ったときだった。
「こっち!」
そう言って伊丹先輩が小さな手で俺の手を握っていた。
異議を唱えるヒマすらなかった。
ものすごい力で引っ張られ、俺は反射的に足を前に出した。
「逃げるよ」
いたずらがばれてしまった男子小学生のようににやついた顔で、先輩は俺をその小さな身体からは想像のつかないほどの強い力で手を引いてくる。
「え、ちょ……!」
誰もが俺たちを見て道を開けた。いや、多分俺の引きつった顔を見て、が正解だ。その証拠に、
「あはは、君の顔、便利だね」
彼女の発言とか、この状況とか、言いたいことはたくさんあったけれど、普段の運動不足がたたって下手にしゃべろうものなら舌を噛みそうだった。
俺たちはそうして校舎玄関を抜け、反対側の部室棟へ向かったのだった。
test 中原いち @Ichi_Nakahara
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