鏡の国のアリス ⑱電気うなぎ


「ただいま。」


「おかえりなさい。ご飯は?」


「……食べる。」


 どんな顔をしていいのかわからないまま帰宅してはみたが、何事もなかったかのようなアリスの様子を見て、戸惑った。週末にまとめて作った半調理品の組合せによる、いつも通りの食事でいつも通り口に運んでいるものの、何を食べているのかは全くわからなかった。ただ、アリスが笑顔を作る度に、胸に痺れるような痛みが走り、苦しかった。


 まるで帯電しているかのように、すれ違う度、静電気のようなもわつきを感じ、これまでに感じたことの無い息苦しさがあった。


 ふと気付いた。玄関は靴を脱ぐ場所から、いつの間にか、キスをする場所になっていた。たった数ヵ月でそれを当たり前のように思い込んでいた。キスをしなかっただけで、出かける時は引き裂かれるような錯覚に襲われ、帰宅した時は、土足のまま部屋に上がり込んでいるような違和感を感じた。


 何気なく交わしていた触れ合いが出来なかった。二人の距離が縮まると体が反応してしまうが、キスをしていたタイミングで迷い、躊躇する度に、それだけ口付けを交わしていたんだと思うばかりだった。




 いつも通り交代で風呂に入り、いつも通りの就寝前、最近はアリスが先に休んで、しばらくデスクランプだけで作業していることが多かったが、そのまま部屋の電気を消した。壁を向いて横たわるアリスを後ろからそっと抱き締め、シャツの上から背中に唇を押し当てて、


「愛してる。」


 と呟くと、


「I know.」


 と短い返事が返ってきた。


 アリスはルカの手のひらにそっと口づけた。唇が触れたところから身体中に電気が流れるような痺れを感じた。指先がこそばゆく震えだして止められず、力が入ってしまい、強く体を引き寄せた。ルカはそれ以上、どうすることも出来なかった。アリスは、体を震わせないように力を抜きながら、声を殺して涙をたたえていた。





 11月24日 木曜日


 関東に54年ぶりで11月の初雪が降った。


「痺れるって、何かの比喩だと思ってた。」


「……関節、おかしいんじゃねぇの?」


「漏電のビリビリとは確かに違うんだけど、本当に痺れるんだよ。」


「まぁ、痺れる美女って言うけどね。」


「まじ、電気ウナギ。」


「ウナギ……。」


「あー、くそ寒い……。」


 大学の工作室で最後の組み上げ作業をしながら、ルカが体の変調を訴えていた。


 ミキが確認する。


「これで全部だよね?結構うまく収まったじゃん。」


「本当に大丈夫かな……失敗出来ないから勘弁してくれよっと。」


 ルカはギミックの可動範囲とケーブルの長さを確認しながら、チェックリストを埋めていき、それぞれにドングルを挿して箱に詰めた。





『部品組み終わって発送頼んだ。明日には着く筈だ。一応、スペアの動作確認もお願いしたい。』


『ありがとう。早速テストしてみるわ。楽しみね。』





「なんつって、持って帰ってきただけだけどね。」


 ミキが箱を開けて2体を取り出した。


「通信の確認も含めて、まず、ローカルで動作テストするわ。今日は部分的なギミックの確認をして、問題なければ、ダイナミックな動作を明日に。」





 11月25日 金曜日


「雪見、ちょっとベッドあがってて。」


 ミキが雪見を抱き上げて通路を確保すると、部屋の端から筐体を走らせてみた。ドアを抜けて廊下の壁にぶつかるところで危険感知が働き、腰を下ろして動作を止めた。歩行、ジャンプ、二足立ち、回転などの一通りの動作を確認すると、雪見が枕を抱えながら喜んだ。


「いいじゃん、さすがとしか言いようがないね。」


 カメラの動画、音声を確認すると、アリスは大きく息を吐いて笑顔を見せた。





『動作は大丈夫そうよ。表皮センサーは向こうでやるんでしょ?仕上げに向けてアリステックコーポレーションに発送するわ。戻ってきたら起動テストね。』




 アリスは別の部屋で録り直したテスト風景の動画と筐体からのカメラ映像を送った。





『すげぇ!言葉にならない!ありがとう!』




 ミキとアリスは互いに右手を差し出し、かたい握手を交わした。



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