鏡の国のアリス ⑯タイミングの悪さ選手権


「風邪でもひいたの?」


 授業中、時折、ぐずぐず鼻をすすっていたルカにミキが話し掛けた。


「……別に。」


 考えるべき事に集中しようとはするものの、こういう時に限って思い出されるのはベッドでの甘い記憶ばかりで、アリスの「愛してる」という言葉が別れの言葉のように響き、思い返す度に胸を刺すような痛みが走っていた。


「今日、提案しようと思うんだけど、販売価格は粗雑に扱われない程度の価格帯で展開したいと思う。開発費用の回収もあるけど、量産されても貴重品と認識される価格で扱われるべきだし。


電子部品関係の情報開示要求も必要だ。現物、直に送って貰った方がいいかな。部品が揃ったら組み立てと動作確認はこっちでやって、表皮加工なんかの出来ない部分はあっちの力を借りたい。組み上がって動作確認済んだら向こうに送る感じかな。


将来的に介護施設や保育施設なんかに提供しても双方に危険がないかのデータも取ってみた方がいいと思うし。あと、最初のキティは欲しいんだ。」


「いいんじゃない?俺が連絡しとくよ。ファイルつけて送っとけばいいんでしょ?なんか、体調悪そうだし。」


「……悪い、頼むわ。CC入れといて。」


「早めに帰ったら?」


「仕事あるし。」


「無理しすぎんなよ。矢面やおもてに立つ奴は、ドンと構える度胸があれば十分だ。自分にしか出来ない事に集中して、あとは全部投げろ。一応、確認するけど……。」


 ミキは企画提案書のフォーマットを開いて中身の打ち合わせをした。





「喧嘩でもしたの?」


 ミキの部屋で作業をすることが日課になったアリスにミキが尋ねた。


「え?」


あざ。キスマークついてる。」


 ミキが首筋を指さして指摘した。


「喧嘩の印なんですか?」


「いや、マリッジリングと同じ効果があるよ。深く結ばれた相手がいることを示してる。」


 アリスは首筋を押さえながら、考え込んでしまった。


「あの人、このままだと私のために全て投げてしまうわ……。」


「そうかもね。」


 タブレットにルカから着信があった。





『ヤバい!尻尾の事、全然考えてなかった!今から追加修正出来るかな?』


『マンクスやキムリックっていう尻尾の無い猫もいるわ。大丈夫よ。』


『本当!?助かった!画像探してみる!何か今日は失敗続きで落ち込んでたんだ。おかげで少し元気出た。ありがとう。』


『気分がふさぐ時、いつも思い浮かべる人がいるの。あんまりよく知らなくて、どんな話をしようか考えていると、いつの間にかどうでも良くなってしまうの。』


『わかる。俺、深田恭子だった。ただ、眺めてるだけで何もかも忘れられる。会ったことも無いのにね。』






「え!?誰?」


「何?誰?」


ミキがタブレットを覗き込んだ。


「ああ、女優さん。芸能人だよ。」


「ちょっと、今、雷に打たれて死なないかしら、この男。」


アリスの真顔にミキの口許が緩む。


「いや、それは違うでしょ。怒るところじゃないよ。なんつうか、こう……曲線美とかの完璧な美しさとかエロでもない、綺麗なお姉さん的な感じの人……手強いっちゃ手強いか。会うことも無ければ振られる事もないしな。」


「あの時、深田恭子の話してたわけ? 私、本当にどうかしてた。何でこの人なの?悔しい……。」


納得がいかない表情を浮かべながらも、アリスは気を取り直してタブレットに向かい、返信した。





『私も今日は気分が沈んでいたわ。ぱっと忘れたいんだけど、何か面白い話ない?昔やったバカな事、教えて。』


『そんなに昔じゃないけど、友達とどれくらい連絡先交換できるかってやった事があるよ!道行く女の人に、あんまり綺麗だったからとかテキトーな事言って、連絡先交換するんだ。彼氏いるか聞いて、キスしてもいいですか?って聞いたりした。』





「!?!??!??」


 目を丸くして固まったアリスを見て、ミキが席を立ってアリスの後ろから再びタブレットを覗きこんだ。


「こりゃまた、盛大な墓穴を……。タイミングの悪さ選手権があったら、なかなかの成績残せんじゃないの?」


 ミキは笑いを堪えていた。


「友達ってあなたでしょ!こういう事考え付くの!」


「キスは俺じゃない。本当に。」


アリスはミキに疑いの眼差しを向けつつ、迷いながら打った。





『どうだったの?』


『詳細は言えないけど、ゼロ人じゃなかったよ!』





 ミキは黙って片手を広げて見せた。


「信じられない!」


 怒るアリスをよそに、ミキは腹を抱えて笑いだした。





『まぁ、応じてくれたのがみんな彼氏持ちばっかりで怖いもん見たなって途中でやめたんだけど。』





「そうさせたのはアンタ達でしょ!!何言ってるの!?」


おっしゃる通り。」





『そっちは?』


『思い付く限りでバカだったと思うのは、夫を選んだ事だわ。今、物凄く後悔してるの。』


『そりゃ、ご愁傷様。』





「優しすぎるのもたまきずだよね。あんまりいじめないでくれる?俺の役目だから。」


 アリスはミキを見上げた。


「居ない時の事責めてもしょうがないじゃん。凄い切ない顔してたよ。そんな状態でも、君を笑わせようとしてる。大人になるか、子供でいたいか、今決めたら? 」


「…………。」



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