鏡の国のアリス ⑮うまく言えない I love you.


「ただいま。」


「お帰りなさい。今日は早かったんですね。」


「なんか、すげぇ家で飯食いたくて……。」


「5分待てますか?すぐ出来ますけど……。」


「うん。」


 作業着のまま倒れ込むようにベッドに横になったルカをキッチンから見ていたアリスが、少し時間を置いて、そっと音を立てずに見に行くと、ルカは1分経たずに深い眠りについていた。アリスはベッド脇に腰を下ろし、ルカの額に頭を寄せて目を閉じた。





 11月8日 火曜日


「入ってましたよ。」


 ルカが温め直した鍋を食べ終えるタイミングでアリスが通帳を開いて見せた。


「……ん?百万、一千万……ん?」


 箸を置いて通帳を受け取り、右手の親指で位を確認しながら、もう一度読み上げた。


「いち、じゅう、ひゃく、せん、まん、十、百、千……4億7800万円!?」


「あなたの言う条件を満たしているなら示談書届いた時にサインします。」


 思わず、ルカが


「結婚して!」


 と言うと、すかさず通帳を取り上げてアリスが言った。


「結局、金か!」


「ちが……そうじゃなくて……。」


「今、愛してるって言いそうになったでしょ?君ほど素晴らしい女性はこの世に居ない?今ならどんな殺し文句も聞けそうね。」


「…………。」


 先手を打たれて返答のしようがなくなったルカに、呆れた顔をしながらふざけた調子でアリスが言い放った。


「こういう時ばっかり!もう、信じられない!お金の力は怖いわぁ!」


「じゃあ、何て言えばいいんだよ!あー……もお!」


 ルカは胡座をかいたまま後ろに倒れた。両手で顔を覆うルカを見てアリスは微笑んだが、シンクの縁に手をつきながら落ち着いたトーンで指摘した。


「それよりあなた、学費の心配した方がいいわ。生計を共にする同居人の収入が世帯収入に含まれるとしたら、免除きかなくなるんじゃない?配偶者となったら尚更よ。今年度分、払えるの?」


 想定外の事態にルカは頭を抱えた。


「ヤバい。ギリ……なんとか……。」


 今から計算し始めているルカにため息をつきながら、アリスが言った。


「あと1年でしょ?それまで別居しようかしら。」


 思いもよらないアリスの言葉に飛び起きて、ルカはアリスの肩をつかんだ。


「ごめん、俺が悪かった。」


「……何にごめんなの?」


「わかんない。わかんないけど、何が悪かった?」


「……ミキに聞いたの。あなた、高校卒業しなかったって。」


「……仕事は探せばいくらでもあるよ。」


「今、それを言い訳に大学も辞める方向で計算しなかった?代理が止めるはずだわ。私のせいで何も出来なくなるなら、いない方がマシじゃない?」


「待って、何言ってんのかわかんない。」


「あなたは自分に対していい加減過ぎるわ。人には散々言った癖に、あなたは何がしたいの?どうなりたいのよ?もっと自分を大事に考えて欲しいの。」


「卒業すればいいの?卒業したら結婚してくれる?」


「そうじゃなくて……。」


 アリスは時計を見て話を切り上げようとした。


「時間よ。もう、行って。」


「時間なんてどうだっていいよ。」


「それがよくないって言ってるのよ!兎に角、考えさせて。私、あなたの事、真剣に考えたいの。このままだと、あなた……。」


「…………。」


 ルカは力一杯アリスを抱き締めて唇でアリスの口を塞いだ。アリスは抵抗を試みたが、呼吸が苦しくなる程で、腕一本抜く事も出来なかった。息苦しさで眩暈を感じ、アリスが脱力したところでルカの腕の力がゆるんだ。ルカはアリスの首筋に口づけた。


「ルカ……好きよ、愛してるわ。」


 アリスの言葉が刺さるように、胸に痺れるような痛みが走った。


「じゃあ、何で……。」


 辛さを押し殺しても滲み出てくるような表情で見つめるルカを見ていられず、アリスは部屋に戻ってベッドに腰を下ろした。


「考える時間が欲しいの。それだけよ。」


 納得できないまま、部屋に戻って鞄を肩にかけると、アリスと目を合わせることなく、ルカは玄関に向かった。


「行ってくる。」


「いってらっしゃい。」


 玄関が閉まると、アリスの頬に涙が伝った。



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