鏡の国のアリス ⑭はじめまして


 11月5日 土曜日


 ルカは大学で行われたコンテストを終えた年積に声を掛けた。


「惜しかったな。」


「鳴神!つうか、聞いて!俺、昨日、凄い人に会っちゃった!凄いブッ飛んだ話聞いてさ!」


「……は?」


「伝説だよ。安全上の都合で名前は聞けなかったんだけど、何か、旦那さんの都合で茨城に来てるんだって。多分、どっかの招聘しょうへい研究員だと思うんだけど!今、産休中で金が発生する仕事は受けられないんだけど、時間持て余してるから手伝える事があったら振ってくれって頼まれたんだ。俺、その人紹介するよ!コレも全部分解して見せるから!協力出来る事があったら何でもやるわ!」


「ありがたいんだけど……それでいいの?」


「あ、そだ。金は要らないんだけど、その代わりお願いがあって、子供の名前つけて欲しいんだって。」


「えぇ?そんな重大なこと任される立場に無いよ。旦那さんいるんでしょ?亭主に頼めばいいんじゃないの?」


「なんか、奥さんが決めていいって言われてるらしいんだけど、日本人の名前の付け方がイマイチよくわからないんだって。」


「……本当に俺でいいなら、俺が考えるけど……。」


「ちょっと待って。」


 年積がLINEで連絡を取ると、すぐに快諾の返信があった。


「楽しみにしてるって!IDはこれね。」


 そういって見せられたIDを検索すると、名前がnullだった。


「ヌル?ネーミングセンスがミキみたいだな。」


「ホテルすぐ近くなんだ。来る?」


「頼む。調べんだけどサイズ感しか分かんなくて、実物触ったこと無いんだ。」


「明日の昼まで時間あるから、全部見せるよ!」






 11月7日 月曜日


 測定の合間に職場の喫煙所で一服しながらnullに連絡を取ってみると、すぐに返事が来た。





『はじめまして。先ずはあなたの素直なイメージを教えて。』


『人の言葉を理解する人工猫。でも、人の言葉は返さない。出力は感情ごとに幾つかのパターンで、猫同士でも会話が出来たらいいなと思ってる。』





「?もう、自由に話しているわ。私たちには直接、聞こえないだけで。」


「?」


 アリスの意外な言葉にミキが天井を見上げて考えた。


「……あ、そうか。人間の目が一番強く感じる555ナノメートルの緑の光で540テラヘルツだ。元素分析も文学的に、元素の名前を聞けるようになったって言うことも出来るか。」


「見えない、聞こえない形にして届ける技術という点では、テレパシーも実現していると思うの。ただ、イメージしていた使い方と違っただけで。光通信は可視光線域を使っているからピカピカおしゃべりしてるの見えるでしょ?きっと凄く賑やかよ。宇宙は音で溢れているわ。聞こえるか聞こえないかは別として。」


「いいね、そのセンス。電子顕微鏡で断面を観察したいとき、樹脂に埋めて真空脱泡するんだけど、ガラスドームの内側に置いた試料が真空になっても見えるんだよね。それまで空を見上げても何とも感じたことは無かったんだけど、今、真空ドームの内側にある試料が見えてるってどういう事かって考えたら、伝わる何かが何もない筈の真空を無数の粒子が光速で通過してるイメージが急に湧いてきて、一瞬で宇宙感じられた事あったなぁ……。」


「ルカが覚えろって持ってきた教科書に書いてあったから、ルカはわかってるのかと思ってた。」


 意外そうなアリスにミキが笑った。


「そういう事、結構良くあるよ。陽子同士で何で反発しないのかとか、電子とくっついて電気的に中性になったら原子、消滅しない?何でヘリウムとして存在できて、安定なの?みたいな。みんなハイハイ適当に暗記するだけだけど、聞いてて引っ掛かった時にぶっ込むセンス、大事だよね。


わかってない奴が問題作ってんじゃないかって思ってるけど、小学校の算数って、問題が間違ってる事が少なくなくて、200ミリリットルの牛乳瓶と200ミリリットルのジュース瓶並べて、どっちが多く入りますか?とか、平気で出してくるんだよ。」


「同じって答えじゃなくて?」


「違う。同じ容器に中身を開けた絵があって、中身の量が違うように見せるわけ。」


「ナンセンス。それなら、どちらが多く残っていたかって書かないと。」


 アリスは首を傾げた。


「そう。あり得ない絵を、こう考えろって意図せず刷り込んでっちゃうんだよね。クラスは30人、外に遊びに出た人が20人、教室に残った人は何人ですか?とか。」


「トイレに行ったり、次の授業の為に教室を移動してるかも。教室を出た人がわからなければ、答えようがないわ。10人欠席でゼロ人かもしれないし。」


「そう。10人以下だろうどまり。決めつけた考え方に慣れると、知らず知らずに短絡していって、知ってるのに繋がらない知識って俺もあると思う。」


「人間らしさね。」


「去年まで小遣い稼ぎに小学生の家庭教師カテキョちょっとやってたんだけど、グラフを読み解く問題で窓側とドア側の2つの気温変化グラフを見て、部屋を暖めるにはヒーターをどっちに設置すれば良いか考えさせる出題が教科書に載ってたんだ。


その子、凄く困ってて、出入口に設置したら接触したり倒す可能性があるから危なすぎて置けないし、窓に置いたらカーテンに燃え移って火事になるって言うんだよ。その問題の挿し絵、窓にカーテンかかってて、確かに危ないんだよね。」


「あー、言われてみれば確かにその通り。」


「でしょ?算数以前に生活科の問題。安全より大事なものなんかあるわけ無い。小学生に論破されるような問題通した奴等何考えてんだ?と思って面白いから出版社に質問状送ったら、数学的思考の問題だとか正当化に必死で恥の上塗りしてきやがって。そんなんだから大人はバカだと思われる。」


「検討し直しますって返せばいいのに。」


「本当それ。正しい情報の取り扱いが出来ない事を露呈しただけ。幾つか取扱説明書読んだけど、ぶつかるから人の動線上に置くなって書いてあるし、窓辺は直射日光で部品が変形して故障するとか、カーテンの傍に置くなってやっぱり書いてあるんだよ。


めちゃめちゃ誉めてやったよ。設置場所を考えるなら気温グラフよりヒーターの取扱説明書を読むべきだよな?って。」


「それが一番正しいわ。」





『声帯の簡略化の他に理由はあるの?』


『オーダーに忠実にと思う部分もあるけど、時に言葉は無力だ。』


『それは私も感じることがあるわ。色んな風に言ってみても夫から満足のいく返事が得られたことがないの。ただ抱き合ってる時の方が通じ合える気がするわ。まるで言葉の通じない宇宙人。』


『すげぇわかる。うちのお嫁さんも好きだって説明してるのに、全然理解しない。まさに宇宙人だ。言葉によるすれ違いを起こすより、無い方が伝わる気持ちも信じたい。』


『それは、一言好きって言えば済む話じゃない?信じていたって気持ちを確かめ合いたい時だってあるわ、私にだって。』


『真剣に相手の事考えてる時にそんな言葉浮かばないよ。言い出すタイミングが全然わかんない。』


『人語を理解する必要も無いんじゃない?音声の強さや口調だけでもある程度の感情判別はつけられると思うの。もっと簡略化出来そう。』


『AI自身が危険にさらされる事を回避するには必要だと思ったんだ。そっちはどう思う?』


『無いよりはあった方がいいかも。そうするわ。』





「焼肉大好きって即答しておいて私に言えないなら、あなたが好きなのは焼肉なのよ。」


 ルカに不満をこぼすアリスを横目に、ミキが笑っていた。


「そう言わずに。あいつだって、ただ待ってた訳じゃないよ。あいつの会社、転勤あるの知ってる?卒業して就職してたら、あいつ居なかったかも知れないんだよ。仕事が忙しかったからって言ってたけど、多分、違うと思うよ。連絡取れた時、すげぇ嬉しそうだったし。


まぁ、進学する算段だったのかも知れないけどさぁ?あいつ、しばらく動きたくないって言ったんだよ。高卒認定受かってるからいいんだけど、出席日数足りなくて、単位落としてる。あいつ、高校卒業してないよ。進学して時間稼ぐために準社員契約からアルバイトに降格したと考えると、かなりのマイナスだよね。」


「それ、本当なの……?」


「真意は直接聞いてみな。そろそろ時間だ。送るよ。」


 アリスはタブレットの画面を閉じると、ミキのベッドで寝息をたてる雪見にキスをして、


「また明日ね。」


 と、声を掛け、電気を消して部屋を出た。



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