前編 ④再会
7月21日 木曜日 午後11時
「お疲れ様です。……はい……はい。……それ、多分、
ルカはベッドに仰向けの姿勢で、職場からの電話に応対していた。
「……いいです。自分、見ますよ。ただ、明日はちょっと……はい。はい、わかりました。遅くまでお疲れ様です。」
ルカは電話を切ってケータイを置いたが、もう一度手に取り、画面をしばらく眺めていた。少女に電話番号を教えた事はなかった。しかし、確かに掛かってきた履歴が残っている。バカなふりしてかけてやろうかとは何度も考えてみたものの、電話の向こう側の状況が読めず、二の足を踏んでいた。
少女を知る人物はかなり限られていると踏んでいた。何度となく頭の中でシミュレーションしてみるが、何をぶつければ接触に繋がるかが見えないままだった。しばらく考えていると、玄関をノックする音が聞こえた。
「はい。」
ミキの前乗りかと思いながらケータイを机に置き、取り敢えずジーパンを履いて玄関を開けると、温かい石鹸の香りがした。
目が合った瞬間、目線が逸れ、揺れる長い髪が部屋から洩れる明かりに照らし出された。つい、今しがた思い浮かべていた少女がそこに立っていた。
ルカは想定外の事態に驚き、一瞬にして頭が真っ白になって、何を言っていいかわからなくなってしまった。
「……どうしたの?」
「いえ、ただ、顔が見たくなって……。」
「なんかあった?」
「いえ、ただ、会いたかっただけです。」
少女はしがみつくようにうつむいたままルカのTシャツを握りしめた。ルカは取り敢えず玄関に入れてドアを閉めたが、想像していた少女像との違いに動揺していた。
ブルーグレーの澄んだ瞳、いかにも女の子らしいワンピースに身を包んだ少女は、以前より大人びて見えた。
「……嬉しいんだけど、出直せない?俺、明日、用事があって、もう寝ないといけないし……。」
「……一緒に寝ても良いですか?」
一瞬、ルカが固まった。
「何言ってるかわかってんの?おっさんは?」
「明日の朝、迎えに来ます。」
「まじか。」
ドアスコープから覗いて車がない事を確認したルカは思わず頭を抱えた。
「10時過ぎに出歩いたらダメだって教えたよね?」
「……条例では11時になっていました。」
「知恵つけてきたな。」
「朝5時過ぎまで出歩けません。」
「……4時じゃなくて?」
「じゃあ、4時ですね。」
安堵したような笑顔を見せた少女にルカは戸惑うばかりだった。
「いや、待て。送るよ。どこ?」
「私、子供じゃないです。」
「あの時は俺もそう思ってた。今は、立場が違う。」
「何歳からが大人なんですか?」
「最低は16だよ?」
「17です。」
「無理。」
「今、16って言ったじゃないですか。」
「16で大人と見なすには色々と条件があって……。」
「何ですか?」
「満たせるとは思えない条件だ。じゃあ、聞くけど、自分を証明出来るもの何かある?あるなら俺も考える。」
「…………。」
ルカは少女自身、証明の所在を知らない事を確信したが、ほんのりと少女から漂う石鹸の香りが余計な想像を掻き立て、考えがまとまらなくなっていた。
「あのね、お前を否定したい訳じゃない。凄く嬉しいんだけど、受け入れるにはそれなりの準備が必要なんだよ。大体、一晩一緒に居ました、何もありませんでしたは、今度こそ通用しない。」
「それの何がいけないんですか?」
「お前のそういうところが。しなくていいケガするし、ケガじゃすまない場合だってある。最悪、俺も只じゃ済まない。」
「そんなに危険なんですか?」
「何がだ。」
「???わかりません。具体的に言って下さい。」
「普通じゃないことを自負しない!まず普通の事を普通にできるように……。」
お互い、何をどう伝えるかわからなくなって、もどかしさにイライラし始めた。少女の両手が何かを伝えようと形を模索するが、何も表す事は出来なかった。
「あなたが私をバカにするんです。」
「バカにはしてない。お前がバカなんだ。」
「何語なら通じるのよ……。」
少女も頭を抱えた。
「いい?お前が納得するような物語にする辻褄合わせ位、男は幾らでも付き合うよ?何ら行動が伴わなくても言質渡せば許してくれるって見くびられてるから簡単に利用されちゃうんだよ。理由も無く急に冷たくなったとか、難癖みたいな理由つけられて仕方がなかったみたいに思い込んでる奴、どんだけ居ると思う?
いきなり連絡つかなくなってトンズラされたらどうすんの?みんな優しくて親切だと思ったら大間違いだよ。もっと、こう……少し考えて行動……。」
「つまり、あなたは信じられない と言いたい。」
「違う。そうは言ってない。」
「!?!??!??わからない!ええ、私はバカですよ。私は自分では何一つ決められなくて……っ!」
「落ち着け!俺も今、考えてる!」
ルカも自分で何を言っているのかわからなくなっていた。考える事が白紙に戻り、頭がぐちゃぐちゃになりながらも事態の整理に集中した。会いたいと伝えたのは自分だった。発端は自分かと思うと妙な恥ずかしさがあったが、何を話したかったのかを必死に思い返した。
「ちょっと待って。見せたいものがあるんだ……。」
ルカが机上からケータイを持ってきた。
「今覚えて。あれから色々考えたんだけど、多分、必要だったのはこれじゃないかと思って……。」
そう言いながら、少女に向けてケータイを渡した。
「それを見る限り、必要なのは記憶。他には何も要らない。理由が一筆書けりゃいい。審査にはどれくらい時間がかかるかわからないけど、最低、働く能力があれば出せる筈なんだ。これは、自分が決められる。」
ルカはケータイを操作して、少女に所在地の確認をさせた。
「ここから一番近いのは多分、ここ。でも開いてる時間が決まってる。代理でも書けるみたいだから、それは付き合えるよ。」
少女が顔をあげたタイミングで、ルカは少女をそっと抱き寄せた。
「ありがと、わざわざ来てくれて。ごめんね、あの時、答えてあげられなかったから……。それだけ言いたくて……。」
少女はルカの鼓動を聞いて、自分よりはるかに緊張していることがわかると、何故か心が落ち着いた。
「俺も……会いたかった……。」
ルカの言葉に応えるように少女がルカの背中に手を回すと、ルカは額をつき合わせた。しばらく黙って見つめあっていたが、求めるような少女の瞳に吸い込まれるように、ルカがそっと少女の唇に口をつけた。ほんの一瞬、時間が止まったかのように感じられた。
「よけろ。」
ルカが少女の額を小突いた。小突かれた額に手を当てながら、
「幸せ。」
と言って微笑む少女に、ルカがぼやいた。
「違う。俺の方が全然幸せ。お前、何もわかってないよ。」
目を合わせる事ができないルカに、少女は少し可笑しくなって笑った。
「わかったら寝ろ。一晩考えていいから。」
ルカはためらいがちに部屋の鍵を閉めた。少女が部屋にあがり、ベッドに腰をおろすと、ルカはタオルケットだけを取って電気を消し、ベッドに寄りかかる姿勢で目を閉じた。
静まり返ってしばらくした頃、少女は起き上がってルカの顔をのぞきこんだ。頭を突き合わせるように寝転がってみたり、ルカの髪の毛を触ってみたりしたが、どうにもこうにも眠れなかった。
そのうち少女はそっと床に降りてルカの左肩に寄り添い、大事そうに両手でルカの左手をつつみ、指先にキスをした。その瞬間、ルカが強く抱き寄せ、少女を静かに床に横たわらせた。
「本当にどうなっても知らないよ。」
夜の闇に溶けていくように、二人は指を絡ませ合いながら、深く、甘い口づけを交わした。
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