アリス イン アンダーグラウンド
@toshiyo-f
プロローグ ①少女を拾う
2013年10月6日 日曜日 午後12時
「今日、学校じゃなかった?」
開いている玄関の扉にノックしながら顔を覗かせたミキは、ダイニングの先にある開かれた引き戸の向こう側にもう一人居る事に気付き、普段とは違う雰囲気を感じて入室を躊躇った。部屋にいたルカは目を向けずに指先を上に向けてミキに手招きした。
「いいよ。入ったら閉めて。」
「彼女?」
ルカはベッドのすぐ脇にあるデスクチェアに腰かけ、片膝を抱いたまま、ミキの問いかけに答えることなく、ベッドに横たわる少女に目を落としていた。
「入れよ。」
ルカに促され、ミキが部屋にあがるとルカは玄関を閉めに向かったが、鍵はかけなかった。なんとなく、ミキにもルカの警戒心が伝わってきた。
「今朝、そこでさ……。」
ルカは住んでいるアパートの駐輪場を指し示すように指を下に向けながら話し始めた。
家を出たら自分の原付にもたれかかっている少女がいた。話し掛けづらい雰囲気で、歩きで行こうかと思ったが、授業に間に合わないので迷っている時に、ミキから掛かってきた電話に出ようとした瞬間、少女に手を掴まれたと次第を説明した。
「電話、ダメ。警察、ダメ。病院、ダメ。って。家出っちゃ家出なんだろうけど、服装おかしい。これ、レントゲンか何かで着替えるアレじゃん?何も持ってないみたいだし、これ履いてたんだよ?」
と、ルカが指さしたのは、よく便所に用いられているゴムサンダルだった。
少女は酷く疲れている様子で、電話がバイブになっていたせいもあり、通報されると思ったのだろう、友達と言ったらごめんなさいと謝って座り込み、そのまま意識を失いかけたとルカは言う。
「多分、昨日寝てないんだろうな。」
「どうすんの?」
「わかんない。目が覚めたら聞いてみる。」
「何を?」
ルカには思うところがありそうだったが、ミキは少女に好奇心を覚えていた。
「あの子、何歳くらいだと思う?」
「わかんない。同じくらいに見えるけど?」
「同じくらいに見えたら、もっと年下かもよ?」
アッシュブラウンの長い髪、日本人離れした顔立ち、外国人らしい気はするが、全国平均の二倍近く外国人の割合が高いつくば市では、帰化した日本人か外国籍かを外見で判断することは難しかった。
「行くところがなかったのは俺も同じだし……。」
そう言いかけた瞬間、床を蹴りつけたようなものすごい音がして、ルカがダイニングからベッドに走った。ルカは起き上がろうとしていた少女の口を覆うように頭を押さえつけて寝かすと、シーと人差し指を立てた。
「朦朧としてたけど、自分でここまで来たんだよ。覚えてる?騒がれると困るのはこっちも一緒。帰りたいなら出ていって。鍵は開いてる。行くところがないなら、静かにして。わかる?」
少女は驚いた表情で黙って縦に首を振り、それを見てルカもゆっくり手を離したが、それらを見ていたミキが一番驚いていた。
「お前、何すんのかと思った。」
「平日の昼間なら誰も居ないだろうけど、日曜はまだ寝てる人がいるかもしんないし。」
「いや、そういう事じゃないし。」
ルカは水を入れたグラスを少女に手渡した。少女はそれを受けとるが、うつむき加減にグラスを見つめるだけだった。ルカがグラスを取り上げ、一口飲んで再び渡すと、少女も同じように飲んだ。
「連絡したいところがあれば使って。迎えが必要なら、来てもらっていい。場所が分からなかったら代わるから。」と言って、ルカがケータイを差し出した。少女はルカのスマートフォンを受け取ると、マップアプリを開いて現在地を確認した。周辺の地図を確認していると、腹の鳴る音がした。
「腹も減るよね。」
ルカはダイニングに向かった。
「自炊って何作ってんの?」
レトルトを温める準備を始めたルカにミキが聞いた。
「適当。一応、牛乳、卵、肉類は買うようにしてる。」
「魚とナッツ類と葉酸が含まれる野菜類、ベリーなんかあれば脳には良いかもね。あと、チョコレート!」
「食事で成績決まるならみんなやるわ。」
「ある程度はみんなやってるよ。パソコンだって電気だけで動いてる訳じゃない。クッキーだってスパゲッティだって食う。」
「はいはい、スパゲッティね。」
ルカはミキのプログラムにGoTo文を多用して修正した事があり、処理順序に関係なくあっち飛びこっち飛びした、解りにくいプログラムを書いてしまう癖があった。それは俗に、スパゲッティプログラムと呼ばれた。
「スパゲッティも場合に依っては役に立つかもね。まず、読む気が失せる。」と、ミキが笑った。
「キャラクタコードとデコーダだけの可読性が全く無いプログラムがあるっつーのは、スゲーと思うわ。」
「
「あいつ、そういう訳のわかんねぇ所に燃えるよな。」
ルカは電子レンジで温めたカレーを部屋のテーブルに置いて、少し離れたダイニングで様子をうかがった。少女は素直に床に降りて座り、出されたカレーを静かに食べ始めた。人間らしい動作を見て、何をするかわからないような緊張感は薄れた。
「名前は……言いたくないか。」
ルカは質問を考えていた。
「俺は
ルカは紙に自分達の名前を書いて、鳴神に「LUCA」神帰に「MIKI」と書き加えて見せた。拒絶されれば会話にならない。何処まで会話が成立するかを探っていた。
「ルカ、ミキ。」と、少女が読んだ。ミキが調子に乗って言う。
「ジャパニーズ ラーン ファースト イングリッシュ ワード イズ This is a pen!」
少女はカレーが気管に入ったかのように激しくむせこみ、下を向いたまま体を小刻みに震わせた。
「ウケた。」
「やめて差し上げろ、食ってる最中に。」
テレビのニュースが気になったのか、少女はテレビに目を向けた。ニュースは株価の話題だった。最近話題になっていたのは、忘れられる権利についてだった。インターネット上に一度挙げられてしまったものは、すぐに拡散されたり、誰に保存されたかわからなかったりして、全て消し去ることが不可能と言われてきた。それを解消する技術を開発し、特徴が合致した画像や関連する情報を消去してくれるという。
かなり精度が高いらしく、技術革新として、しばしば取り上げられていた。ニュースは近いうちに上場されるようだという報道だったが、少女は眉間にシワを寄せるような表情でテレビを見ていた。
元々は暗号化やセキュリティの会社だったらしいが、保護目的の検索、消去がビジネスになってからは、急速に業績を伸ばしていた。その裏で、良からぬ噂もあった。どんなサーバにも自在に侵入できる可能性が否定出来なかったり、安易な消去による情報混乱が起きないかという懸念が払拭しきれていなかった。同社は、削除依頼を受ける管理会社にシステムそのものを提供する事で実現していると説明していた。
「昨日、いきなり呼び出し食らってさ、何かと思ったら国交省物件って間違いなくサンプリングした証拠に現場写真残さなくちゃいけないんだけど、初めて現場行った社員が物件名書いた看板に集まってにっこりピース写真撮ってきたらしくて。」
「修学旅行かよ。」
「採取したサンプル瓶が写ってたら、良くないにしてもギリ証拠になるけど、肝心のサンプルが写ってないんだと。別の日に撮り直すと不正だし、二度と国交省物件受注出来なくなるって笑うに笑えなくて、今からバイク便寄越すから、鳴神、お前が行ってくれ!って。」
「
「小春。いやいや、何で知らないオッサンに抱きついて片道2時間もデートしなきゃなんないの?なんて事させんだ。」
「キッツ!行ったの?」
「行ったよ。日暮れまでに絶対間に合わせてやるから車貸せって小春の車奪取して。俺までにっこりピース撮ったら面白いだろうなと思って送ったら鬼電!」
「ブッハハハハッ!!送ったのかよ!」
「笑いすぎて2分でギブ。間違えましたってデジカメの写真送って、お前いい根性してるなって言われたから、お陰様でってしれっと言ってやったよ。」
少女がテレビに見入っている間、二人はいつものように雑談に興じていたが、次第に「今日、どうする?」という会話に戻ってきて、
「いつまでもここにいてもしょうがないしな。」と、ルカが着替えを用意し始めた。
「着替えたら、少し外に出よう。」
少女は人目を気にする素振りもなく、渡された服に着替え始めた。少しぶかっとして見えるものの、それなりに着ることができた。ハーフパンツはウエストがゆるかったので、ルカが身に付けていた無段階のベルトを外して渡し、交換した。
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