懐かしき商店街
柊木まもる
懐かしき商店街にて
東急世田谷線に、松陰神社前という駅がある。
今、私はこの駅の、三軒茶屋方面のホームに立っていた。
時々、かつて住んでいたこの街にやって来たくなるのだ。
松陰神社前駅周辺は、そういう街だった。
夕方17時ごろ。商店街は、家路へと向かう人と、買い物をしている主婦でにぎわっていた。
「おや、向山さんじゃないの!」
そう言って私に声をかけてきたのは、この商店街で40年魚屋をやっている北村さんだった。
「どうも、お久しぶりです。」
「どうしたの?引っ越しんたんじゃないの?」
「ええ、まあそうなんですが、やっぱりこの雰囲気が好きで、時々来ちゃうんですよね・・・。」
「へぇ~そう。今どこ住んでるんだっけ?」
「今は小田急線の新百合ヶ丘ですね。」
「新百合ヶ丘ってことは・・・川崎かい?」
「そうですね、まあ川崎とはいっても多摩に近いですが・・・。」
私は以前、というより生まれてから結婚し子供が生まれるまで、この街に住んでいた。両親はこの商店街で八百屋をやっていた。ご近所付き合いが盛んな街で、商店街の人はみんな顔なじみだった。休みになれば商店街の食堂に集まり、男たちは麻雀を打ち、女たちはお茶を飲みながら世間話をし、子供は公園に行って遊んでいたものだ。
しかし、生まれてきた子供と妻と3人暮らしをするには実家が狭かったため、家族で新百合ヶ丘のマンションに引っ越しをした。引っ越し先のマンションは商店街とは全く違う、ご近所付き合いの全くないところだった。隣に住んでいる人がどんな人かも知らない、私からすれば信じられない空間だった。
「どうだい、向こうでの暮らしは?」
「寂しいというか、ドライというか。こことは対照的なところですね。隣に住んでいる人がどんな人かも知らないですから。」
「知らないの!?まぁ~信じられない!」
そこへ、ご主人が戻ってきた。
「おや、しんちゃんじゃねえか!どうした?寂しくなったか!」
「まあ、それに近いですね。北村のおじさんも元気そうで。」
「俺は元気だよ。築地がつぶれねえ限り元気だよ!まあ、今穴がどうたらこうたらで向こうは大変らしいけどよ、おれたちゃ魚さえ来ればなんでもいいわ!」
「ははは。相変らずですね。」
「引っ越してどのくらいになるんだっけ?」
「6年ですね。でも、もっと経った気がしますけどね・・・。」
「6年か!ついこの間のことだな!それよりよしんちゃん、この間よ・・・」
「あんた・・・人の話聞いてるのかい?」
マイペースに会話を展開するおじさんも相変わらずである。
「おうそうだ!果物屋の高橋さん呼んでこようか、なあ!お前さん、仲良かったろう!」
いや、私はそろそろ帰るので、と私がいう前に電話をかけていた。
「ごめんね、相変らずあんな調子なのよ。」
「いいえ、そんなところも懐かしいです。」
今はこうして調子よく接してくれるおじさんだが、私が子供の時にはとても怖いおじさんだった。ちょっとしたいたずらも見逃さず、厳しく叱ってくれた。私は、両親以外の、近所の人から叱られたことで学んだことも多かった。当時はとても鬱陶しいと思っていたが、今ではそれがとても貴重なことだったんだな、と思った。
私の息子は近所の人を信用していなかった。学校の先生から、知っている人でも声をかけられたらすぐ逃げなさいと指導されているからだ。学校側としては、子供が犯罪に巻き込まれないようにするためにしている指導なのだと思うのだが、とても寂しいことだなと思った。妻曰く、家庭によっては外で遊ばせることすら禁止しているのだという。そして、遊ばせる代わりに、塾に通わせて中学受験に備えているらしいのだ。
寂しい時代になったなと私は思った。自分が子供の時には近所の大人が自分たちのことを見てくれて、叱ってくれた。様々なことを教えてくれた。親が教えてくれないことを教えてくれるのが近所の人だった。それが今はすべて学校任せになっている。子供たちは自分の親が言ったことしか聞かない。いや、親の言うことも聞かないのかもしれない。私の息子は幸いなことに私や妻の言ったことをよく聞いてくれるが、息子の友人は親に対しても反抗的な態度を取っていうことを聞かないのだという。ほんの何十年でここまで変わってしまうのかと思うと、何か寂しい思いがこみ上げてきた。
そんな寂しい思いを埋めるために、私はこの街に来ているのかもしれない。
「おう!新太郎じゃないか!」
そう声をかけてくれたのは友人の加納だった。彼は私の幼馴染であり、私の家の2軒隣でクリーニング店をやっていた家族の息子であった。
「お久しぶり!元気だったか?」
「俺はいつも元気だぜ。お、そうだ、これから飲まないか?」
「いいよ、金曜日だし一杯やるか!」
私は妻に今夜は遅くなる旨のメールを入れて、商店街にある居酒屋へと向かった。
懐かしき商店街 柊木まもる @Mamoru_Hiragi
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