第40話

「西寺君、ホントにありがとう」

 俺は稲庭高校に編入してから初めて同級生と昼飯を食べていた。梅村は刀条の席に座っていた。刀条は果歩とかいう他のクラスの女子と一緒に昼飯を食べているので、昼休みの時間、刀条の席は基本空いているのだ。

「いいや、俺の方こそありがとな。時計まで貰っちゃって」

「そんな、礼を言うのは僕の方だよ。蓮夏さんから連絡あったよ。プレゼント届けてくれてありがとう」

「いや、配達くらいお安い御用だよ。また何かあったら、届けてやるよ」

「西寺君は優しいなあ。でも、次からは僕が行くよ。会うのが恐いなんて尻込みしている場合じゃない」

「そうだな」

「それに、僕だけでなく空手部全員が西寺君には感謝しているんだ。めちゃくちゃになっていた部を元通りにしてくれたのは、西寺君らのおかげなんだから」

「元通りって、馬場先輩を許せるのか?」

「許したくはないけど、終わってしまったことは仕方がないし、恨んでばかりでも先へ進まないだろ。だから、全部許してあげることにしたんだ」

「そんな簡単に?」

「うん。先輩、昨日から今朝まで部員一人一人に電話で謝っていたみたいなんだ。俺が悪かったってね。そういう真摯な姿勢を見せられたら許さざるを得ないでしょ」

 梅村は爽やかだった。道場で悲痛な顔で俺に助けを求めていた時とはまるで違った、清々しい顔をしていた。

 あんな仕打ちを受けながら、馬場先輩を許したと言う梅村。

 俺は梅村を改めて見直した。

「――梅村は強いな」

「いいや、僕は弱いよ。本当に僕は弱い。今回のことで自分の弱さを身に染みて実感したよ。僕が強かったら、先輩の暴走だった止められたんだ。止められれば、僕も僕以外の部員も怪我をすることはなかったんだ。それが出来なかったのは、ひとえに僕の責任だよ。僕はもっと強くなりたい。僕にとって、大切な人を守れるようになるために」

 大切な人とは蓮夏さんのことだろうか。

「その人がそんなことを望んでいるかはまだ――」

 寂しげに梅村が言う。

「わからないんだけどね」

「それなら、想いを確かめに行こう」

「えっ⁉」

「今日、放課後の用事が終わったら、その足で馬場先輩の家に行こう。幸い、放課後の用事には馬場先輩も一緒なんだ。先輩と二人っきりってのは心配だから俺もついて行くよ」

 しばらく悩んだ様子を見せた後、梅村は言った。

「ありがとう西寺君。ついて来てもらってもいいかな?」

「任せとけ」


 放課後、俺は梅村と刀条と共に道場に来ていた。俺たちが十七時ぴったりに道場に入ると、道場の中には灰島と馬場先輩がいた。

「やあ、西寺君。おっ、ひさなちゃんに君は介時君か。みんなに会えて嬉しいよ」

「こちらこそ嬉しいです、灰島さん。あなたは俺たち空手部の恩人だと聞きました。先日はどうもありがとうございました」

 梅村は、教室で俺と刀条にした時と同じように深々と頭を下げた。

「いいって、いいって。そんなにかしこまらなくても。さっきも修悟君に土下座されたばっかりだからね。謝られてばかりじゃ、僕の身体がもたないよ」

 灰島は頭をかいていた。

「梅村、顔を上げろ。お前はそれ以上、謝らなくてもいい。俺が謝るのが筋ってもんだ」

 野太い馬場先輩の言葉にゆっくりと梅村は顔を上げた。馬場先輩は、梅村が顔を上げたのを確認すると床に膝をついて頭を下げた。

「この度は多大なご迷惑をおかけして本当に申し訳なかった。灰島さん、西寺君、刀条さん、それに梅村。俺の身勝手な行動で部員たちをあんな目に遭わせたこと、決して許されることではない。本当に申し訳ない」

 許しを乞うことなく、ただひたすら謝る姿を見ているのはたまらなく偲びなかった。

 だって、今回のことは馬場先輩だけの責任ではないのだ。きっかけは馬場先輩にあるにしても、ほとんど怪異のせいなのだから。

 俺はそう知っているけど、馬場先輩も梅村も他の空手部の部員たちもそんなことだとは全く知らない。

 馬場先輩だって、自分のした行動におかしい点をいくつも感じているだろうが、根本的なところではその行動原理は馬場先輩本人のものだ。だから、ああして心の底から謝っているのだし。それに行き過ぎた暴力が怪異の仕業だとは思わないだろう。

 そんなことを考えると、見ているだけでつらかった。

「そろそろ頭を上げてください。馬場先輩。僕らはとっくに許しているんです。もういいんですよ。過ぎたことです。だから、どうか、どうか頭を上げてください」

「……梅村」

「早く、頭を上げなよ。修悟君。土下座ってのは、あんまり見ていて気持ちのいいもんじゃないからね」

「……はい」

 立ち上がった馬場先輩の目には涙が滲んでいた。

 だが、馬場先輩の自責は続いた。

「梅村、責任をとって俺は空手部をやめようと思う。次の部長は梅村、お前だ。お前ならいまの俺より人望もあるし、実力もある。誰も異論を唱えないだろう。任せたぞ」

 困ったように灰島が口を挟む。

「おいおい、修悟君。そういうのじゃないだろう」

「けじめはつけさせてください」

 それだけ言い放って馬場先輩はこの場から去ろうとした。

 ――パチンッ

 突然、音がして息が止まった。

 梅村が馬場先輩の頬に平手打ちを浴びせていた。

 あまりにも早すぎて、梅村以外の誰にもなにが起こったのか一瞬わからなかった。

 馬場先輩は呆然とした顔をしていた。

 俺が現状を理解した時、梅村は馬場先輩に強い言葉を浴びせた。

「逃げるなよ! けじめをつける? そのために部活を辞める? そんなんじゃけじめなんていわないんですよっ! けじめってのは最後まで責任をとることでしょうが! 先輩はそれでいいかもしれないけど、残された僕らはどうなるんですか? 先輩がいなくなって安心できる? ええ、安心はできるかもしれません。でも、それじゃ、一生どっかで後味悪い思いを引きづって生きなくちゃならないでしょうがっ! けじめをつけるってなら、僕らとやり直して見せて下さいよ! 僕たちと今度こそ、切れない絆ってのを紡いでみせろよ!」

 言い終えた後の梅村は、はあはあと肩で大きく息をしていた。顔が真っ赤に染まっていた。けれど、表情はどこまでも真っ直ぐで真剣そのものだった。

 耳元に突き刺さった数々の言葉は梅村の心の叫びだった。どこまでも先輩を、部活の皆を思う人間の心からの叫びだった。

 馬場先輩は諦めたような顔ではっきりとした声でつぶやいた。

「負けたよ、梅村」

「……先輩」

「こんな俺でもいいのか?」

「いいって言っているじゃないですか。なあみんな?」

 梅村が後ろを振り返ったのにつられるようにして、俺も振り返ると道場の入り口付近に空手部に所属する生徒たちが大勢いた。知らない間に、梅村が集めていたらしい。空手部員たちは口々に言った。

「もちろんです」

「梅村先輩が大丈夫って言うなら、俺も信じます」

「本当はいやですけど、先輩がいい関係を築こうと努力してくれたら我慢します」

「もう体罰をしないなら、いいですよ」

「その代わり、俺たちを全国まで連れていってくださいよ」

「これからもよろしくお願いします」

 あんなことがあったというのに、空手部員たちの顔は晴れ晴れとしていた。

 謝罪があったとはいえ、こんな風に笑えるほど馬場先輩の罪を許したのだろうか。いや、本当は馬場先輩が部活に留まることを嫌だと思っている部員も少なからずいるのだろう。それでも、そんな感情は一切表面に出さないでいるのは、彼らの度量の大きさによるものだろう。

 馬場は心の奥にある今にもあふれそうなものを堪えているように見えた。

「……すまない、みんな。また世話になる。よろしく頼む」

 馬場先輩は清々しく頭を下げた。

 灰島が馬場先輩に声をかけた。

「――修悟君。今度こそ間違えるなよ?」

「――はい」

 その声はとても力強かった。

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