第28話
そのまま階段を登り切り、ずかずかと俺の真ん前まで来て言う。
剣幕の鋭さに顔に汗が滲み、背中の毛がぶわーっと逆立つ。
「お前、なんて言った⁉」
「梅村がどうなっても――」
「お前、梅村に何をした!」
俺が言い終わらないうちに馬場は僕の胸倉をつかむ。
「――手を放せ。話せるもんも話せなくなる」
俺は止めていた息を吐き出し、声を絞り出した。
「卑怯者め!これなら話せるだろう?さっさと、話せ!」
馬場はほんの少し力を緩めたが、表情は梅村に何かあったらタダでは済まさないぞという怒りで一色だった。ほんと矛盾している。
あんだけ梅村のことを殴っておきながら、自分以外のものが梅村を傷つけようものなら喰い殺してやるくらいの勢いだ。歪んだ愛情か。
可哀想な奴。それに気付けないなんて。
「梅村は俺たちが預かっている。梅村を放して欲しいのなら俺の代理人と勝負しろ。いいか馬場。今日の午後五時に道場に来い。早く来るのも遅れて来るのもなしだ。きっかり五時に来い。もしお前が来なかったら、梅村の命の保証はないと思え。俺の代理人はちょっとばかし血の気の多い奴でね。何をするかわからないんだ。知り合いの俺ですら命の危険を感じてしまうほどにね。だから来たほうがいいよ。梅村のためにも。あんたのためにも」
俺が一言一言、口からの出まかせをしゃべるにつれて馬場は顔を歪ませていった。
――キリキリ、と。
悔しそうで必死な顔。俺を殴らないように、最高潮に達した怒りをどうにか抑えようとしているようだった。
馬場の右足が、いまから俺を蹴るかのように後ろに引かれ、震えていた。
不思議と恐れはなかった。俺は完璧に開き直っていた。
ハッタリ。ただのハッタリだ、こんなもん。
だが、嘘も時に真実に変わることがある。
受け手の感情や思い込みで、嘘八百の情報もいとも簡単に真実になるのだ。
決して嘘だとは思わせない。
俺の誇りにかけて。
梅村は朝から教室にいたし、今も昼飯を食べている最中だろう。もしも梅村の不在を教室まで確かめに来られでもしたら、俺の計画は破綻する。先のことを何も考えていない、その場限りの嘘。こんな大事な場面でこの程度の策しか思いつかない俺は無能のド阿呆なのかもしれない。
それでも俺は一応考えてはいる。
朱目蜘蛛――怒りに人を染める怪異。
目の前の馬場は朱目蜘蛛によって怒りに染められていた。鼻息は荒く、顔を真っ赤にさせ、胸倉をつかむ手はわなわなと震えている。こんな状態で冷静な判断ができる訳がない。
それに怪異のせいもあるとはいえ、後輩への矛盾した愛情。こういった矛盾した感情を持つ者は、往々にして大切なことに気付くことが出来ない。
俺は知っていた。自分が守りたいものを守るために何をするべきなのかわからない人間を。どこか、ずれている人間を。
だから馬場は、ハッタリに見事に引っかかると、俺は確信していた。
さて何分経ったか。息もつけない膠着状況がしばらく続いた後、ようやく馬場が口を開いた。
「わかった。お前の言う通りにしよう。午後五時に道場だな。お前の代理人やらと戦ってやろう」
俺をギロリとにらみつけ、胸倉をつかんでいた手を放す。そのまま殺気をまき散らしながら階段を降りて行く。
「なあ、馬場。一つ訊いていいか?」
「なんだ? まだ言いたいことがあるのか?」
「蓮夏とかいう人って何者なんだ?」
「お前には関係ない話だ」
馬場はそう強く言い捨てて、この場から帰っていった。
蓮夏という人のことを馬場はどうしても話したくないらしい。そう思わせるには十分にはっきりとした声で馬場は拒絶した。
蓮夏って人について知られたくないことでもあるのだろうか?
うーん。胸がもやもやする。
もやもやも束の間、馬場の姿が完全に見えなくなって、肩の力が抜けていった。
「はあー。緊張した」
言葉にすると肩といわず全身からも力が抜けて、その場でへたり込んでしまった。
相当情けない格好だにゃ。
いかん。語尾まで情けなくなっている。
ともかく、これで俺の役目は終わった。後は灰島に任せるしかない。
「ん?」
ふと下を見ると、馬場が持っていたブラックコーヒーが落ちていた。
馬場に届けるのも癪なので、ふたを開けて飲んでみる。
「――意外と旨い」
心なしかそのコーヒーは、いつもよりもコクがあったように感じた。
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