それでも私は生きなければ。
柳 陸祢
第一章「みんな私を異常者だと思ってるだろう? うん、私もだよ」
第1話「登校初日、やっぱり寒い」
時に、私はパソコンに向かって、たらたらと長ったらしい超どうでもいいような文章を書いていた。
自分で言うのも何だが、正直時間の無駄だと思う。
だが分かっていても、不思議とキーボードを操作する手は止まらない。
内容を少しだけ見せよう。
タイトル「リア充に対するアンチテーゼ」
初手から言わせてもらう、リア充はクソだ。
その理由をいくつか上げよう。
まず一つ、彼らリア充は、元々フラットであったはずの人間関係に、何かと上下を付けたがる。
二つ、なにかと集団での行動を好む。
三つ、考えることを放棄して本質を無視する。
四つ、繕うことを、建前と名を打って正当化する。
五つ、目の毒。
おい、最後のなんだ。
とまあこんな具合に、私は今、たらたらとどうでもいいことを書き連ねている最中だ。
ある程度書いたら改行し、大文字アルファベットを打ちたいときはシフトを押し、句読点を打ち、最後にはマルをつけて、文章に一区切りをつける。
暖炉でパチパチと火の子が弾ける音をかき消して、カタカタとキーボードを打つ音がせわしなく部屋に響いていた。
エンターキーを薬指で弾くたび、かたりと気持ちが整理され、ああ時間の無駄だなあと邪念が混る。
邪念はそれまで頭で形成されていた文章を一瞬で吹き飛ばし、あれなんだったけとキーボードを打つ手がピタリと止まった。
その度に、それまで書いていた文章を目で追い、あ、そうだったと思い出しては、またカタカタとキーボードを打つ。
よし。
最後の一文を書き終え、自分の気持ちにもマルをつける。
すると、それまで気にしていなかった肩の凝りや腰の痛みが一斉に合唱を始め、私は「あいてててて」と言いながら、左手で右肩を揉みほぐし、右手で腰をさすった。
「お疲れ様です、竜美さま」
私が椅子の背もたれを使って上半身を拗らせていると、金色のドアノブの側で待機していたメイドが、ぺこりと頭を下げてそう言った。
私は「疲れたよー」と棒読みな口調でそれに答え、マウスの横で待機させていた冷めたコーヒーを啜る。
冷めたコーヒーは不味かった。
私が不味いコーヒーの入ったカップを指で弾くと、キンッと陶器独特のひんやりとした音が鳴る。
その音が合図になったのか、うちの有能なメイドは、「淹れ直しましょうか?」と気を利かせてくれた。
私は「頼む」と一言、頬杖をつきながら言うと、メイドは「かしこまりました」と言って、カップとカップソーサーを、持っていたお盆の上に丁寧な仕草で乗せる。
そのまま部屋を出て行く彼女の背中を目で追いながら、私は「ぷは〜」と変なため息をつき、机に突っ伏した。
「やっと・・・・」
明日から学校か、と口に出そうになった言葉を歯でかみ殺す。
そう、明日から私の高校生活がはじまがはじまるのだ。
別にワクワクして居ても立っても居られない、と言うわけではないが、それでも少しだけ身構えてしまう今日の頃。
眠れない私はこうして、誰かさんから課せられた課題を渋々こなしていた。
机に顔を埋めながらため息を漏らす。
次いで顔を上げて液晶画面を見た。
重い右手を持ち上げてマウスを操作し、テキストデータを保存すると、ビターな木の扉がコンコンとノックの音を鳴らした。
扉の向こうからは、「開けてー」と篭った声が聞こえる。
私は背もたれにだらーっと背中を預け、左手を前に突き出すと、かちゃりと中からかけるタイプの鍵が開いた。
「終わったー?」
扉を開け入ってきたのは、少し湿った茶髪を腰まで伸ばした、紫の瞳を持つ一人の美女。
着ている白い薄手の寝巻きはその下に見える絹のような健康肌をよく際立たせ、上に羽織っている薄ピンク色のパーカーは端正な顔立ちによく似合う。
髪が湿っているところから、風呂に入ってきたのだろう。
人に課題を押し付けておいてよくもまあ、あんなにくつろげるものだ。
紹介しよう、我が姉、長井 兎美である。
私が目を瞑り、「詰んだー」とまたしても棒読みな口調で言うと、姉は「終わらなかったのー?」と、心細げに言う。
私はマウスを操作し、印刷の画面を広げると、OKのボタンをクリック。
すると、部屋の角にある腰ほどの高さの棚の上に置いてあるプリンターが、かちゃりと機械音を鳴らした。
プリンターは続けざまにかちゃりかちゃりと機械音を鳴らし、私がさっきまで書いていた文章を書類にして印刷する。
姉はその様を見て、「なんだ、出来てるじゃない」と戯けた態度で言った。
「明日から学校なんだぞー、私はー」
私がまたまた棒読みで言うと、姉は「ごめんごめん、ありがとね」と言ってニコッと微笑む。次いで「どれどれー」と紙面に目を落として、内容を読み始めた。
「・・・・相変わらずね」
「人にやらせといて文句言うな、だいたいNG出したところで、こんな時間から書き直すのは無理だろ」
姉は「まあね」と言って小さくため息を漏らすと、続けてぷふっと微笑した。
私が「何かご不明な点でも?」と聞くと、姉は
「いいえ、誤字脱字が一切無いあたり、あなたに頼んでよかったなと思って」
と、笑い混じりに言う、私は「ふーん」と気にしてなさそうな声音で返すと、もう一回頬杖をつき直した。
はたしてそれは、誤字脱字を許さない私を褒めているのか、それとも有能な人間を吟味できる自分自身を褒めたのか理解に苦しむところだ。
と、そんなことを思いながら、ペラペラと紙をめくっていく姉を見ていると、再び扉がコンコンとノックの音を鳴らす。
その音に姉も反応を示し、私が頬杖に使っていた左手を前に突き出すと、姉が「私が」と言って、鍵を開けた。
「失礼します」
入ってきたのはまたしても美女。
端正な顔立ちに似合うボーイッシュな短髪黒髪。清楚な白黒のメイド服は第1ボタンまでしっかりと閉められ、白くきめ細やかな肌は首元を見れば魅了されるほどだ。
紹介しよう、うちの使用人、能登 圭(のと けい)だ。
圭は扉を閉じて鍵を閉めると、姉の方を向いて深く頭を下げながら「こんばんは、兎美さま」と丁寧な挨拶をする。
淹れ直したコーヒーを机の上に置くと、再び深々と無駄の無い丁寧なお辞儀した。
「よし、誤字脱字も無いし、文法もおかしく無いし、長さ的にも悪く無い、完璧ね」
姉はそう言って、棚の上で紙束をトントンすると「たっくんありがとね、私は寝るわ」と言い、またしてもニコッと微笑んで部屋を出る。
その呼び方、圭の前ではやめてね。
私はそんな姉に「おやすみ」と言って手をぶらぶらさせる。連れて圭も頭を下げて「おやすみなさい」と丁寧にお辞儀をした。
パタリと扉が閉まる音が、暖炉の火音と重なる。
湯気が立つ圭の淹れ直してくれたコーヒーをじゅじゅっと啜ると、はあと小さくため息が漏れた。
「竜美様もおやすみになりますか?」
「コーヒー飲んだ後にか?、良い冗談だ」
私が圭の親切心をばすっと切り捨てると、圭は「申し訳ございません」と頭を下げた。
私は少し罪悪感を感じ、圭に「圭こそもう寝ろよ?」と言って、壁にかかっている時計を見た。
現在時刻1時21分。本当ならもう使用人は寝て良い時間だ、それなのにこんな時間まで私についていてくれる圭はやっぱり優しいと思う。
圭は「主人より先に眠るなんてできません」ときっぱり断った。
私が「私はコーヒー飲んだらもうすぐ寝るよ?」と言っても圭は、「それでも主人のお側についています、それが仕事です」と言って聞かない。
私はならせめてと「メイド服脱いで座ってくれ、なんか罪悪感がぱない」と言うと圭は「分かりました」と言って、部屋の角に置いてある椅子を私のデスクの横に持ってきて座り、そのままメイド服を脱ぎ始めた。
「おいおいおいおい、何やってんだ」
「脱げとおっしゃるので、そういう気分になったんだなと・・・」
「私が悪かった、脱ぐな」
私が言うと、圭は渋々「分かりました」と言って、外しかけていたエプロンを肩に掛け直す。
おいそういう気分ってなんだ、おい。
私ははあ、とため息をつき、コーヒーを啜る。
程よいまろやかな甘みが舌を包み、喉を流れる暖かさは心地よく感じられた。
「学校は楽しみですか?竜美様」
ふと圭がそんなことを問う。
私は少し間を置き、「まあ、少し」と言ってカップに唇をつけた。
圭が、「それは良かったです、竜美さま」と横で言う。少し気恥ずかしくなった私は一気にコーヒーを喉に流し込んで
「仕事だ仕事、あれが完成する前に最低8人、見つける必要がある」
と言い、席を立つ。
「もう寝る」
私が言うと圭は
「・・・そうですか、では寝室までお送りします」
と言って、自分の座っていた椅子を元の位置に戻した。
「いいよ、暖炉の火消して、もう圭は寝てくれ」
私が言うと、それでも圭は「しかし・・・」と言ってついて来ようとする。
なので仕方なく魔法の呪文「命令だ」を使って黙らせた。
圭は「むぅ・・・」と頬を膨らませる。
無表情が崩れた。かわいい。
私は、渋々「分かりました」と言って暖炉の火の始末にかかる圭を見ながら部屋を後にし、寝室へと向かった。
毛布をかけずにそのままベッドに倒れこんだ私は、コーヒーのせいでまだ眠る気も起きず、明日のことを考えることにした。
まあとりあえず朝清羅に捕まるだろうし、言い訳考えておかなくちゃいけないな。
後は寮・・・・・あいつに頼むか。
とそんなことを思っていると、寝室の扉がキィと開かれる音が聞こえた。
私は少し驚いて、目を閉じ寝たふりを決め込む。
こちらに近づいてくるトントンという足音が鼓膜を刺激していた。
「おやすみなさい、竜美さま」
聞き覚えのある澄んだ声。圭の声だった。
私はマットに埋めていた顔をスライドさせ、声の方向を見る。
柔らかな黄色の光が美麗な顔を照らしていた。
「寝ろ」
私はそう言って、再びマットに顔を埋めた。
* * * ::
十月。
冷たい風が肌を撫ではじめ、秋から冬へと季節が移ろう境目の時期。
通学路は、真秋ならばその紅葉を楽しめたであろう色失った茶褐色の落ち葉で薄く覆われていた。
道行く人間は私一人ではなく、同じ制服を着た人間もいれば、これから仕事に向かうのだろうスーツを着た人間もいる。はたまた人間じゃないのもわんわん吠えながら同じ道を歩き、その飼い主であろう人間と共に、落ち葉をがさごそと掻き乱した。
ちょろちょろと流れる幅の狭い川を覆う葉の薄い並木道。
そこに並列する乾いた煉瓦道にポツンと佇むバス停で、私は四五分ぼーっと空を見ていた。
しばらく寒さに耐えていると、無骨なエンジン音を鳴らしながら通学専用バスが目の前に停車する。
重い足乗りでバスに乗り込むと、バス内の暖房器具によって温められた空気が肌を掠め、外とのあまりの気温差に、すくんでいた肩ががくんと落ちた。
席に座った私は、首元から伝わってくる心地よい暖気に、家を出た時振り払ったはずの眠気を再び呼び起こされ、コクリと首を落としながら、夢の世界へのおさそいに身を任せた。
だがこれが不思議、目的地に着くのにしばらく時間があると知っていながらも、ここでは完全に眠ることができず、落ちるか落ちないかのすれすれのラインで意識をとどめておくのである。
中途半端な眠気は鬱陶しい。
中途半端に眠って体力を消費するより、カフェインでも取って強制的に眠気を吹き飛ばしてしまうか、それとも完全にこのまま眠ってしまうか・・・・
だがこんな心地よい暖房の効いた中だ。
正直、完全に眠ってしまうと自力で起きられる自信がない。
私は前者を選択した。
鞄の中に手を突っ込み、まだ暖かさの残るスチール缶の感触を確かめる。
家から持ってきたお好みの一本。目を覚ましたい時にはこれに限る。
取り出し、私は指をかけ力を込めた。
ぱしっという音が周囲に響き、周囲の物言わぬ目線がギロリうるせえなあ、とこちらに語りかける。
「あ、すいません・・・」
軽く首で会釈しながら、速やかに小さく謝罪の言葉を口にした。
なんとも言えない罪悪感を覚えながら、缶の中身をくいっと一気に口に流し込み、ついでに罪悪感も一緒に飲み込んで、やがてはコーヒーと一緒に消化された。
ちょっと誤算かな・・・
これからの高校生活、私はできるだけ周囲からの視線を浴びないように気を使わなければならない。
私のような人間は特にそれに気を使い、特別それを好む。
十分ほどバスに揺られていると、やがて目的地に着いた。
運転席の左側にあるドアが、空気の抜ける音とともに開く。
地に降り立ち、外気を肺に送り込む。
すると、再び外気温は私の頬を軽く撫で、次に首元をさっと触っていった。
「寒いな・・・」
思わず声が漏れ出た、寒い。
鞄から手編み感あふれる白色のマフラーを取り出して、長い白髪もろともそれを首に巻き付けた。
首に直接あたる寒風がなくなるだけで、だいぶ体感温度は変わるものだ。まあ多少はましになった。
マフラーに顔を埋めて、はぁと息を吐く。
吐息は布地の隙間を通って空中に白く残り、やがて消える。
横を一人、同じ制服を着た女生徒が横切った。
それに続いて何人もの生徒が私を横切って前方へと足を進めていく。
連られて、私も彼らの行く方向に目をやると、そこに目的地はあった。
「国立創府州大学付属高等学校・・・」
白い立派な門構えと巨大な校舎を前にして、私は思わずその目的地の名前を口にした。
国立創府州大学付属高等学校。
山の上に建てられたマンモス大学。国立創府州大学に付属する高等学校。
いわゆるお嬢様お坊ちゃん学校というやつで、ここに通うほとんどの人間が、大企業の御曹司やご令嬢、つまりはリッチ層の連中。
周りの生徒を見渡せば、一見普通の女子高生に見えるやからも、友達と一緒に会話しながら登校している男子生徒も、よく見ればその一つ一つの素行にはきちんと教え込まれた礼儀があり、どこか品があるように見える。
本来は四月の時点で入学式はすでに行われているのだが、私の登校が今日が初めてであることには、きちんとした理由があった。
私はいわゆる追認入学生というやつで、追いつき入学とも言う。
詳しくはウェブでともいかないので簡単に説明すると、受験は他の生徒と同じ日に受けたものの、様々な家庭の事情によってその後の入学手続きが遅れ、入学そのものが他の生徒と時期がずれてしまった生徒のことを言う。
まあ私にも様々な家庭事情があって、こうして入学が五か月近くも遅れてしまったのだ。
校門を潜り抜けると、まっすぐ生徒用玄関口へと向かった。
幸い事前に下駄箱の位置とクラスだけは電話で伝えられていたので、迷うことなく自分の下駄箱を探し出すことができた。
なんとそれは生徒用玄関口の一番奥の一番隅、しかも一番下の段。一番靴が取りにくい位置。
「はぁ・・・」
登校初日朝一番に憂鬱な気分に晒され、自然とため息が漏れる。
いちいち愚痴を言っても始まらないので、ここは妥協しておとなしく上履きに履き替える。
「今日ほんっと寒いね~」
「ほんとほんと~もう冬だね~」
「あ!手あったかいね~」
「うそ~そんな変わらないよ~」
陽気な笑い声と共にそんな会話が聞こえてきた。
目をやると、二人の女生徒が窓際で体を寄せ合って手を握り合っている。
私は表情を変えないが、それでもスリッパを持ち上げた手が一瞬止まった。
やっぱりリッチな学校とはいえ、一歩中に足を踏み入れれば、そこは普通の高校と大差ない。
やけに豪華で近未来チックな校舎に相応しくない格好のリア充達が、きゃっきゃうふふと戯れているのだ。
ああやって友情という言葉を掲げて体を寄せ合い、その人肌を感じてぬくもりを得るという行為は、むしろ他人の体温を奪い利用する行為であり、あまり良いと行いではない、だが、彼ら彼女らはそんなこともわからずに、ああやってゼロ距離に身を寄せ合う。
ちょっと考えればそんなことはわかるはずだが、それをしない。
きっと彼らは考えることを放棄したのだろう。
・・・・それとも、あの女子達の間には友情以上ただならぬ密接なつながりがあるのだろうか、恋なのだろうか。
女の子同士の恋ならば私にも許せる、なんかああゆうのは見てて良い、百合最高。
スリッパに履き替え、人の行き交いが激しい廊下を抜ける。
なるべく目立たないように気配を殺して歩いていても、それでも完全に集視を抑えることはできない。
長い白髪に赤い目というなんとも異質な容姿は自然と人の注目を集めてしまうのだ。
すれ違い際に何人かの視線は私を捕らえ、そのうち何人かとは目が合ったが、その度にすぐ目線を外した。
校舎内の構造は非常に複雑で、まるで迷路のようだ。さすが国立大付属校と言わざるを得ない。
当てもないまま歩いてても校舎が広すぎてらちが明かないので、階段を上る前に一度、踊り場の壁に飾ってある校内案内図を見て確認することにした。
見ると、職員室はすでに通り過ぎていたことに気づく。
私はその場で踵を返し、この後上る予定だった階段の前を後にした。
生徒用玄関口の横を通り過ぎ、そのすぐ横にある保健室の向かい側。
そもそもスリッパに履き替えた後の最初の曲がる方向を間違えていたようだった。
扉の上のプレートの『職員室』の文字を確認して、私は扉の前に立った。
その場で立ち尽くした。
あ、でも、友達だからこそ体温を奪うことも承諾できるんだよ?と言われれば、私の論理は破綻するなあ・・・と、さっきの自分の超どうでもいい理論に対する超どうでもいいアンチテーゼが頭をよぎったが、これも今は超どうでもいい。
なんだろう、職員室って別に何も悪いことしてないのに、なぜか入りずらいものだ。
たぶんこれは共感できる人多いと思う。
私は深呼吸をして、入室の覚悟を決めた。
恐る恐る手を伸ばして扉をノックし、失礼しますと小さく言って扉を開ける。
中に入ると、そこにはすでに、見知った顔が仁王立ちで待ち構えていた。
「おっはよう!新入生、さて、まずは自己紹介と行こうかな」
束ねた黒髪を肩から垂らし、同じ色を受け継いだ黒のスーツを着た女性が、腰に手を当ててそこに立っていた。
内心少し引いたが、それでも外面は平静を装った(つもりだ)。
「・・・・・聞かなくてもわかっているでしょう高橋先生」
「ははっ、なーに、前置きは物語において必要不可欠な大切ものなのだよ、何より物語が始まらない」
「・・・物語の始まり方にはあまり意味がない、常にそこにある今こそがもう物語の一部なんですよ」
なーんて、昔誰か言ってたような、言ってなかったような・・・・私か。
「・・・・・はは、相変わらず君は言うことが面白いなあ〜」
ちょっといいこと言ったつもりだったが、そこまで響かなかったようだ。
「・・・・」
「・・・・」
しばしの沈黙。
気まずそうにお互い目線をキョロキョロさせ数秒後、英語主任、高橋清羅がにこりと微笑み、それに返して私も口元を緩ませた。
表情でのコミュニケーションは、たとえ数秒であったとしても、普通の会話の何倍もの情報が行き交うから怖い。
私は手を後ろに回して扉を閉める。
廊下にはかすかにガタンという扉の閉まる音が響いた。それは誰の耳にも止まることはなく、行くところ向かい行き交う人間の話し声と足音でかき消された。
「髪は染めてくると思ったんだがな」
「別にいいでしょう、これはこれで不便しませんし」
「まぁ君がいいなら構わんが、たぶん目立つぞ?」
「わかってます、ここに来るまでに何人の人間とすれ違ったと思ってるんですか・・・」
ここに来るまでの痛い視線を思い出す。
視線と言うのはたとえそこに悪意が込められていなくても、なぜか不思議と痛く感じられてしまうものだ。
「で? 染める気ににはなったか?」
「・・・・なりませんよ」
「だろうな」
分かり切ったような口調で言う高橋先生。
私の返答をすでに予期していたようだった。
「それで長井、少し話があるんだが」
「話? このまま教室に連れていかれると思ったんですが」
「連行するわけじゃないんだから、そんなたいそうな覚悟はしなくていい」
先生は踵を返し、右手を挙げて私の後追を促す。
「来たまえ」
五か月遅れの入学式。
その花々とした高校生活最初の行事は、なんと私の場合、本来生徒をしかりつけるために使用するはずの、『生徒指導室』で行われるのだった――――。
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