トゥリエスを二人は駆け巡る

宮川和輝

第一章 崩壊の羅針盤

プロローグ

 それはまるで、新月の闇の中、灼熱の釜戸が開かれたかのようだった。

 釜戸の縁に居並ぶは歪な短剣の羅列。捻じ曲がったその刃の檻が上下から中身の灼熱を囲い、星々の輝きを受けて妖しく輝く。

 その上には、縦に並んだ三対の黄金の宝石があり、不定形に揺れる灼熱とは対照的に微塵も動きを見せない。

 月明りすらない闇夜の中で、灼熱の紅色と黄金の輝きは不気味を通り越した神秘性すら帯びていた。

 無垢な童女であるならば、その光景に感嘆の吐息を漏らしたことだろうが、しかし、闇を照らす星の輝きで一瞬だけ顕わになった全貌は――息を呑むほど、異形だった。

 ちろりちろりと檻の隙間から漏れ出る紅蓮は火の粉にあらず、正体は爬虫類の細長い舌先。さらに、短剣の檻は醜い牙の群であり、三対の宝石は瞳孔のない六個の瞳である。

 それらの部位を結集した頭部は鱗に覆われた蜥蜴とかげのような形相であり、首から下もその通り。細長い首と痩せ細った矮躯、短く細い二本の腕が全貌である。

 口内を示す灼熱と瞳の黄金が闇の中で妙に高い位置にあるのは、この縦に長い身体を太い二本の足で支えているからだ。

 まさしく、『化け物』。

 全体として、どこまでもアンバランスさが目立つ。生き物として明らかに歪だった。

 そんな異形の六つの瞳は、眼下の一点に無機質な視線を投じている。闇夜の中にいるのは、化け物だけではなかった。

 視線の先に立つのは、黄金の鞘に収まる長大な大剣を背負い、急所を覆うように身体の各部に鎧を身に着けた、『人間』である。

 小豆色の豊かな長髪、挑戦的な輝きを抱く薔薇色の瞳、起伏のある体のライン――女性、しかも年端もいかぬ少女がそこに居た。

 この状況を見守る第三者がいたならば、なんと無謀なことを、と化け物の危険性の如何にかかわらず嘆いただろう。それほどまでに、彼女は美しく可憐であった。

 実際、化け物の歪な牙は、彼女の柔肌を容易く引き裂き、強靭な顎でもって鎧を紙のように引きちぎることができる。

 だが、相対する彼女に悲壮や恐怖の気配はない。眉根を寄せ、まなじりを吊り上げた厳しい表情は、怒りから来るものだった。

「やってくれたわね、崩壊の羅針盤コラプス・ゲート……!」

 か細い喉を震わせて、乾いた唇から怒りのままに言葉を絞り出す。

 夜目のよく効く薔薇色の視線の先、彼女の身長とちょうど重なる化け物の胸部に、憤怒の理由は存在している。

 全身を鱗で覆う化け物の、唯一鱗のない部分。

 そこに、苦悶に歪む『人の顔』があった。

 激痛に堪えきれぬかのように、顔をしわだらけにする複数の人面。

 呻きと言葉にならぬ悲鳴を漏らし、穴という穴から流れる体液に塗れた姿。それは、紛れもなく元が人であったことを示していた。

 倫理観を打ち崩すような、臓腑の底から震え上がる事実――人間を生きたまま身体に取り込んでいる、否、誰かによって『混ぜられている』。

 その事実に行きついた少女は、恐れるよりも先に総身に怒りを滾らせた。


 だが、その怒りを、敵意ともとれるソレを化け物がどう捉えたか。

 身じろぎもせず無機質に少女を見ていた三対の瞳が、突然文字通りに目の色を変える。

 黄金から、血のような赤色に。

 変化に気付いた少女が脊髄反射で背中の剣に手をかけると同時に、化け物が六つの内二つの瞳の表面に無数の幾何学きかがく模様――『魔術式』を展開した。

 それは、体内の魔力を表出し、そして幾何学的な魔術記号を式の如く整然と組み合わせることで、『魔術』を発生させる人外の理。

 この魔力の表出という行為は才能によって可能不可能が生まれるもので、故に魔術、並びに魔術式はごく一部の人間にしか行使できないはずなのだ。

 それは人外である生き物にも適用される。そも、式を理解できるほどの知能を持たない獣はいくら才能があれど魔術を行使することはできないのだが、逆に言えば知能と才能さえあればどんな生き物であっても行使が可能。

 つまり、少女の視線の先で魔術式を展開した化け物は、魔術を行使するほどの知能を得ているのである。

 故に、少女は目を見開き、驚愕を露わにする。

「なん、魔術を――!?」

『――――ルうぅゥぅぇえェォおオアあアアッッッ!』

 炸裂音と重低音が混ざった化け物の咆哮が、大気をビリビリと震わせた。大音声が少女の鼓膜を貫き、その衝撃に一瞬身体の動きを止める。

 同時、一対の瞳の表面で魔術式が魔力の淡い燐光を放ち――二条の熱線と成って、少女へと撃ち出された。

 紛れもない魔術の発動。咆哮にひるみながらも少女は反射的に上半身をねじりあげ、迫る二条の間に無理やり身体を突っ込む。

 それでも一本が右の肩当を直撃する――が、しかし肩当に刻まれていた魔術式が効果を発揮。あらかじめ発動を約束するようにして式を調整した魔術は、たとえ才能のない少女でも、意識外での魔術の行使を可能にする。

 故に、二重の半透明のサークルが浮かぶ『障壁シールド』の魔術が勝手に展開し、激突した熱線を弾き飛ばした。

 肩当を信頼していたのか、少女の思考と身体は既に次の行動――反撃に移っている。

 背中の大剣を抜き払い、前進。

 薔薇色の目は、化け物の残る四つの瞳を捉える。そこには、既に四つもの魔術式が描かれようとしていた。波状攻撃のつもりか、と少女は見切るが、踏み込む足を止めることはない。

 踏み出した足が大地を蹴り、驚異的な身体能力によって一瞬で最高速に至る。それはまさしく矢のごとく。

 瞬きの内に、彼我の距離が一足で埋められていた。

 目の前に一瞬にして現れた少女の姿に、焦りか否か、化け物は短く奇妙な叫声を上げる。残る四つの瞳が蒼と琥珀に色を変えた。

 同時に四つの魔術式が完成し、次の瞬間には化け物の瞳から青白い雷撃の槍と巨岩の砲弾が撃ち放たれていた。

 二本の雷撃の槍と遅れて少女に迫る二つの巨岩。

 対して、少女はただ、黄金の宝剣を振るう。

 刀身に雷撃が絡みつき、握る少女の細腕を痺れさせ電熱で焼く――ことはなかった。

 刃に触れた雷の槍は、果たして如何なる手管か、魔力に還元されて魔力光の燐光を散らすのみに終わる。続く巨岩も同じ運命を辿った。

『――――――ッ!?』

 目の前の光景に、信じられない、とでも言いたげに喚く化け物。慌てて一対の瞳に魔術式を充満させるが、時既に遅し。

 六つの瞳には、大剣を振りかぶる少女の姿が映っていた。



 気が付けば、朝焼けのぼんやりとした光が少女の周囲を包んでいた。彼女の足元には両断された化け物の死骸が転がっており、周囲を背の低い木々が取り囲んでいる。

 彼女は手のひらサイズの魔術式を展開する箱型通信魔具を耳に当て、視線を足元に落としていた。苦痛の表情のまま、化け物と共に息絶えた人の顔を、苦渋をにじませた表情で見つめている。

「はい……やはり奴らの仕業だったわ。痕跡もほとんど残っていなかったわ、兄さん」

 少女は悔しげに首を振った。通信の向こう側の人物も、その無念が伝わったのか、わずかな沈黙を置いて言葉を続ける。

「……わかった。次は、トゥリエス、ね」

 その言葉を最後に魔術式が停止し、通信が途絶える。

 通信魔具を懐にしまい、少女は僅かな逡巡の後に、そっと腕を伸ばす。手甲に魔術式が展開され、『着火イグナイト』の親指ほどの火の玉が形成される。それを足元の、すっかり乾いてしまった化け物の死骸に触れさせると、あっという間に火が回って全貌が煌々とした赤に包まれてしまう。

 その赤を見つめながら、少女はぽつりとこぼした。

「待っていなさい、崩壊の羅針盤コラプスゲート……非道にはアカシャの鉄槌が下るのよ」

 そして少女は踵を返すと、二度と振り返ることもなく、森を後にした。

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