第195話ミューズの神の思し召し(1)

悪友からブラームスの交響曲の演奏会チケットを二枚もらった。

どうしても、仕事の都合で行けなくなったらしい。

しかし、演奏会は明日の夜。

二枚もらったにしても、誰かを誘うにも、時間がなさすぎる。

女性の「友人」ならばいるが、コンサートに誘うほどの「間柄」ではない。

しかもクラシックの演奏会、そのうえ、ブラームスの交響曲となると、音楽ファンでないと、なかなか聞かないから、連れていく相手もいない。

結局、誰も誘わなかった。


「まあ、いいや、一人でも、どうせタダだから」

「そのほうが、じっくり聴くことが出来る」

「隣の席に鞄も置ける」

そう思ったら、すごく気楽になった。

開演は、夜七時なので、定時の六時に仕事を終え、地下鉄に乗った。

後は、コンサートホールに直行となる。


その地下鉄の中で気になったのは、総務部の尚子が乗っていること、同期だから少し頭を下げる。

尚子も気づいたらしい、頭を少し下げてきた。

しかし、俺は人事部だから、滅多に話などはしたことはない。

もともと、女性と話すことが苦手なこともある。

そんなことで、一言もかわさず、コンサートホール最寄りの駅に着いた。


「あれ?尚子も降りるんだ」

自分より先に降りる尚子を見てしまった。

「尚子、ここに住んでいるわけではないのに」

さすが人事部である。

社員の住所も、ある程度は把握している。


「でも、まあ、尚子だって、お年頃さ」

「デートの一つでもするだろう」

そんなことを思って、その後は尚子の姿などは見ず、コンサートホールへ一直線になる。


「うーん、さすがに有名オーケストラの演奏会だなあ」

「当日券チケット売り場に、行列だ」

「下手すると入れないぜ」

そんなことを思って、当日券売り場を通り過ぎようとすると


「あれ?」

本当に驚いた。

尚子が、行列に並んでいるのである。

それも、必死な形相、汗までかいている。


「これは・・・彼氏とのデートかなあ」

「よくわからないけれど・・・」

「チケットを彼氏からもらっていないのかなあ」

「でも、いいや、一枚余っているから」

同じ会社で、同期の縁もある。

行列中の尚子に近づき、「ほぼ初めて」声をかけた。


「あの、尚子さん、チケット一枚余分にあるけれど」

「もし、誰かの分まで買うのだったら、二枚でもいいです」

俺も男だ。

尚子の恋路を邪魔してはならないと思ったのである。


尚子は、本当に驚いた顔。

「え?一枚で十分です!」

「どうしても、このコンサート聞きたくて!」

「私、モタモタしてて、買いそびれていて!」

尚子の顔は、パッと輝いている。


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