第25話




「ち、ちが……ちがうんですよ、先輩、これは……」


 その違いとやらを伝える難しさを痛感しつつも、森田君は言わざるを得なかった。ヨロズ先輩は戸にがたっと身体をよりかけ、柱を掴んで体を支えている。

 どうやら、身体がふらついたらしい。


 相変わらずヨロズ先輩の表情は読みにくいが、森田君には分かる。まちがいなく、勘違いしている。ただ状況が状況だけに、誤解されても致し方あるまい。


「これは、なんていうか、抵抗の証というか、激戦を経たその一瞬の隙というか、真正のオフホワイトというか……こうなるに至るには、色々とあって――」

「ごめんなさい、お邪魔して」

「ちがいますっ、違いますから、先輩!」


 立ち去ろうとしたヨロズ先輩を追い、森田君は廊下へと飛び出した。

 森田君が強い声で呼びかけると、ヨロズ先輩はぴたっと足を止めてくれたものの、背は向けたままだ。顔も合わせたくないのか、振り向いてはくれない。


「……どう、ちがうの?」

「え?」

「森田君、いなくなって、私、一生懸命探して……風紀委員会の追跡だって、がんばって逃げて。それなのに、役員室で生瀬さんを押し倒していたわ……」

「あれは、生瀬さんが、変で……その、様子が、いつもと違ってて」

「そう。生瀬さんの様子がいつもと違うから、押し倒したのね」

「――っ!?」


 ヨロズ先輩の声は普段通りで、それが一層恐ろしい。

 背を向けて立ち去ろうとした先輩の手を、森田君は必死で掴んだ。いつもの森田君からは信じられないほど、強引に。このままヨロズ先輩を行かせたら、取り返しのつかない事になってしまうと、森田君の直感ががなり立てていた。


「ま、待って先輩っ、話を聞いてください!」

「……痛いわ、森田君……」

「ご、ごめんなさい」


 ヨロズ先輩にそう言われ、森田君は慌てて力を緩めたが、手は離さなかった。


「誤解させてごめんなさい。でも、ホントなんです。信じてください」

「……」

「ああなったのは、本当に偶然で。やむにやまれない事情があったんです。……ボク、そんなに信用無いですか? 今まで、先輩を裏切った事、ありましたか?」

「…………」

「せめて、ちゃんと話す機会が欲しいです……」

「……わかったわ……」


 ヨロズ先輩の了承の言葉を聞いて、森田君は気付いた。握る手に力を込めなくなった途端、指先が情けなく震え出していたらしい。ヨロズ先輩にも筒抜けだったのだろう。その気恥ずかしさをこらえ切れず、森田君は慌てて手を放した。


 役員室へと戻り、森田君は掻い摘んで話した。


「――それで、生瀬さんの様子がおかしくて、あられもない生瀬さんを第二新聞部に撮られては困るから、用具ロッカーに隠れて、副会長に庇ってもらって事なきを得た。そうして安心した弾みにああなってしまった……と?」

「はい」


 自分で説明しておいてなんだが、ちゃんと伝わっているのかと森田君は心配になる。ヨロズ先輩の顔色を森田君は恐る恐るうかがったが、表情は読めなかった。


「……ごめんなさい、森田君」

「?」


 ヨロズ先輩に頭を下げられ、森田君は反応に困った。


「さっき廊下で、ひどいことを、言ってしまったから。その、森田君の言う事をまったく聞かずに、決めつけてしまって……ごめんなさい」

「あの、生瀬さんにも、事情を話してもらいますから。なんだか、酔っぱらっているみたいだったので。そしたら、先輩も納得してくれますか?」

「いえ、その必要はないわ」

「……え……」

「森田君を信じるから。わたし、その、どうかしていたわ……」


 ヨロズ先輩がどうかしているのは毎度の事なので大丈夫です、と森田君はツッコミかけたが、辛うじて言葉を飲み込んで生瀬さんを見やった。


「いやでも、ボクも、生瀬さんから聞きたいですし、事情」


 静かに寝息を立てる生瀬さんは、とても清楚だ。


(いつもと変わらない……よね、こうして見ると)


 優しく柔らかい面持ちに、きちんとした制服姿。どんな馬鹿な話やお願いでも、ちゃんと聞いてくれる上に、協力までしてくれる、心優しき女神のような人だ。

 その女神が見せた、さっきの凄まじいアレは何だったのか。

 どうしてああなったのか、森田君は気になっていた。


「森田君、生瀬さんが」

「あ、起きそうですね」


 横になっていた生瀬さんが、身じろぎしていた。

 毛布代わりにかけていた森田君の上着が、生瀬さんからずり落ちる。生瀬さんは眉根を寄せて、小さなうめき声をあげると、うっすらと目を開けた。


「う、うぅーん……」

「生瀬さん? よかった、目が覚めた? 大丈夫?」

「……もりた、くん? ぎんの、会長? あれ、わたし、えっと――」


 上体を起こして目元をこすり、生瀬さんはきょろきょろと見回している。表情が少しぽやっとしている。まだ夢見心地のようだった。


「さっき、様子が変だったから。具合でも悪かったの?」

「様子が、変?」

「……? おぼえてないの?」

「おぼえてって、あれは、夢、じゃ……え? あれ、わたし――んっ!?」


 寝ぼけていた生瀬さんは、どうやら頭がはっきりしたらしい。生瀬さんの顔が火を噴かんばかりに、みるみる耳まで真っ赤になっていく。


「あ、あああっ、あの、森田君、さ、ささっ、さっきのは、その、ウィスキーボンボンの勢いというか……その、さっきのあれは、あれは、ぜんぶ――」

「……生瀬さん?」

「か、体だけのっ、体だけの関係だからぁ!」

「生瀬さんんんっ!?!?」


 眠りから覚めた生瀬さんは脱兎のごとく、役員室から飛び出してしまった。

 とんでも無い爆弾発言を置き捨てて。

 混乱した生瀬さんの説明力の無さは、もはや兵器であった。


「も、森田君……!? から、体だけの、カンケイ……?」

「あ、や、そ、違います! 違いますから!」


 顔を引きつらせたヨロズ先輩に、必死に手を振って森田君は否定した。


「生瀬さんがそう言ったわ、あんなに顔を赤らめて!」

「それは、その……」

「ほんとうに何もなかったのっ?」

「なにもって、先輩が考えてるような間違いは決して――」

「私の考えているような事って?」

「ボクが生瀬さんを襲って、みだらな事をしたとか、そう言う事です」

「なら、生瀬さんはどうしてあんなに真っ赤だったの?」

「それはその、口を塞いだり、体を舐めたり、服を脱ごうとしたり、色々あって」

「口を塞いだ!? 身体を舐めた!? 服を脱ごうとした!?」

「そ、それも決して変な意味ではっ!」

「変な意味でしょうっ、それは!」


 ヨロズ先輩の剣幕と正論に、森田君はたじろいだ。

 だが、ここで引く訳にはいかない。


「そうですけどっ、さ、さっき――ボクの事を信じてくれるって、先輩が!」

「生瀬さんは可愛いものねっ。表情だって豊かで、優しくて、しなやかで。小さくて女の子らしくて……二人きりになったら我慢できないのね、森田君でも!」

「どうしてそうなるんですかっ!?」

「そうなるでしょうっ、どう考えたって!」


 口をついて出た声は、森田君自身が驚くほど大きかった。それに呼応するように、ヨロズ先輩も大きな声をだしていた。

 頭がくらくらするほど、かっとなってしまった。


「…………」

「…………」


 肩で息をし、森田君は深呼吸して、腰を浮かせた。

 ヨロズ先輩も目を逸らし、息を整えている。

 思いもよらなかった。こんな激しい言い合いをする事になるなんて。


「席をはずします。落ち着いた方が良いです。お互いに」

「……逃げるのね、そうやって。旗色が悪いから」

「感情的になりすぎてます。ボクも、先輩も。らしくありませんよ、こんなの。……それに、今の先輩の言い方、ひどすぎますっ……!」

「…………」


 ヨロズ先輩を残し、森田君は生徒会役員室を後にした。

 足取りは鋭く、やや重い。

 いやに身体が火照り、激しく動いた訳でもないのに頭がぼやけている。廊下の窓を開けて冬風を浴びても、なかなか頭の熱を拭う事が森田君は出来なかった。




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