第23話
『ボードに書かれたこの文言……何か隠されたメッセージかもしれないっす。〈三年生の卒業式に関しての各種調整〉、ふむふむ。もう、そう言う時期っすねぇ。〈期末テストへ向けての勉強会〉、生徒会役員は平均より上じゃないと面目が立たないから、大変っすねぇ。〈高校入試の教室準備と新入生歓迎会について〉、別れあれば出会いありっすね。〈生徒議会発案の第二新聞部への制裁に関して〉……これは、消しておくっす』
きゅっきゅとホワイトボードイレーザーの音がする。
『むむぅ? 床にどうしてカセットコンロが落ちてるっすか?』
ホワイトボードの裏や机の下やらを見ているのだろう。ゴンっと何かに頭をぶつけるような音と『ひうぅう~』っという呻き声が一度聞こえる。
ドタバタと、パシャ子は部屋を見ているらしい。
『やはり怪しいっす。暖房がついてるっす。なのに人が居ないっす。おかしいっす。ドケチの副会長が徹底的に電気の消し忘れは注意してるはずっす!』
『だれがドケチだ』
『ほみゃ!?』
ガタンと音が聞こえる。パシャ子が飛び上がって驚いたのだろう。
『戸を開けっ放しにして、ここで何をしている?』
(この声は、副会長……!)
森田君はピンとくる。
副会長がやってきたのだ。森田君にとっては救いの糸……という訳でもないが、一応は味方なのだ。この窮地にもたらされた頼もしい援軍だ。
『特ダネの気配がしたっす! この部屋、家探しさせるっす!』
『世迷言はそこまでだ、第二新聞部』
戸をしめる音と共に、副会長はぴしゃりと言った。
『まったく、我が生徒会役員は銀野会長の下、徹底されている。全生徒の模範たるべく、日夜自らを厳しく律している者ばかりだ。言いがかりはよしてもらおう』
『む、むむぅ……』
副会長の雰囲気に、パシャ子も飲まれているらしい。
このまま上手く、第二新聞部を追い出してくれるかもしれない。森田君は胸をなでおろしかけ、ふと自らの置かれている状態に思い至った。
とても、やわらかい、感触。
「ふふっ、ちかーい」
生瀬さんが怪しく微笑んでいる。
生瀬さんが身体をぐにぐにと密着させてきて、柑橘系の香りが森田君の鼻をくすぐった。柔軟剤のものか、化粧品のものか。とかく、とても良い匂いだ。女の子の温もりと、柔らかさ。かてて加えて、生瀬さんがかなり着痩せするタイプだという事実が、むにむにとした二つの感触によって、森田君の肌を通して伝わって来る。
「せーたくん、どーお?」
言葉が幼くなればなるほど、生瀬さんは雰囲気が大人びていく。
先ほどまでの愛くるしさから一転、生瀬さんは妖艶な上目遣いをしていた。熱っぽく潤んだ瞳。温かな吐息が森田君の首筋を撫でるたび、背筋がぞくぞくする。あまりのギャップに、森田君の混乱に拍車がかかった。
(南無妙法蓮華経っ、南無阿弥陀仏っ、般若はらみた、色即是空、空即是色っ、女子柔軟、胸部柔和、良香満載、無我境地、我不可能、煩悩来襲っ、危機一髪!)
脳内で読経するも、雑念が次々と割って入り、まるで効果が無い。不味い事態を何とかするために、より不味い事態に陥っている。
なにより、こんな所を見つかったら終わりだ。
言い訳一つできない。
「お願い、動かないで生瀬さん……」
「なんでー? ふみゅ?」
「し、静かにして……ね?」
生瀬さんの口を手で塞ぎ、森田君はしーっと指をたてた。
「…………」
生瀬さんは抵抗しなかったが、深呼吸するように息をすって、心地よさそうに目を細めている。森田君の手の匂いを嗅いでいるらしい。手の平から伝わってくる感触に、森田君は心臓が弾けそうになっていた。
森田君の手の平を、生瀬さんが舌先で小突いてくるのだ。狼狽する森田君の姿を楽しむように、生瀬さんは目尻をさげていた。
「――っ!? ~~~~っ!?!?」
自分で自分の口も塞ぎ、森田君は声にならない声をだした。
前門の虎、後門の狼。
野兎の森田君はなすすべなく、息をひそめてじっと耐えるしかない。
『だがまぁ、様々な部活動には、なるべく配慮するのが銀野会長の方針。なにより、本校の礎でもある。痛くも無い腹だ。探りたければ探るが良い』
『そ、そう言われると……探る気が失せるっす……』
『なんだ、それは』
副会長の呆れた声音に、森田君の背筋は震えが止まらない。パシャ子を追い払うどころか家探しの許可を与え、さらには足音がロッカーへと迫って来る。
『まったく、部長といい、君といい、第二新聞部というのは――』
がちゃっとドアが開いて、森田君は副会長と目があった。
おそらく副会長のことだから、役員室のほうき掛けでもしようと、用具ロッカーを開いたのだろう。そういう綺麗好きでマメなところは、実に副会長らしい。
「……」
「……」
森田君は顔面蒼白だった。
七三眼鏡の怜悧な副会長の風貌は、きょとんとなっていた。
狭苦しい密室に若い男女が二人。
森田君は生瀬さんの口を塞いでいる。絶対に言い逃れなど不可能なこの状況で、森田君はただ一言、消え入りそうな声を絞り出した。
「ふ、ふくかいちょう。た、たすけて……」
「…………」
ぱたん、っとドアは閉められた。
謝罪でも釈明でもない、このどうしようもない状況下での、「助けて」という単なるお願い。その場で叱責されて当然のはずだが、副会長は無下にはしなかった。ドア越しではあったが、副会長の困惑と焦燥と親心は、痛いほど森田君に伝わってくる。
『どうしたっすか? 副会長』
『……い、いや、なんでもない……』
『掃除するんじゃ? ほうき、ださないっすか?』
パシャ子の位置的に、どうやらロッカーの中身は見られて居なかったらしい。
不幸中の幸いであり、つまり不幸は絶賛継続中だ。
『あ、ああ、そのつもり、だったんだが……』
『大丈夫っすか? 副会長』
『な、なにがだ?』
『顔が真っ青っすよ?』
味方してくれている副会長の胸中を察し、森田君はぎゅっと目をつぶった。この事態の処理を押し付けてしまい、申し訳なくて仕方がない。
『……すこし、胃の具合が悪くなってきてな……』
『それは良くないっす』
『チョコを、大量に食べたせいかもしれん』
『なるほど。確かにさっき、ものすごく食べってたっすね』
『ああ』
『早めに保健室、いくっすか?』
『そうだな。そうしよう。そうだ……ついてきてくれないか?』
『わかったっす』
副会長の申し出をパシャ子は素直に聞き入れたが、こう付け足した。
『けどその前に……その用具ロッカー、もう一度開けて貰いたいっす』
『な、なぜかな?』
『家探しして良い、って副会長が言ったっす』
『やる気が……おきないのでは?』
『いまの副会長を見てると、やる気がむらむら起きてきたっす』
『保健室に行ってからでも、遅くはあるまい?』
『いますぐじゃなきゃ、ダメな気がするっす』
『…………』
「…………」
まずい。
半端ではなくまずい。
パシャ子の声が鋭さを帯び始めている。イエロージャーナリズムの権化、第二新聞部によって磨かれたパシャ子の性格上、おいそれと引いたりはしない。食らいついたら離さない。煮ても焼いても食えないすっぽんを、聞屋と呼ぶのだ。
嫌なリズムを刻み始めた鼓動が、ロッカーの外に漏れ出てしまうと、森田君は息を止めていた。だが鼓動が止まるはずはなく、危機的流れも止まらない。
『どうしたっすか? 副会長。痛くない腹は、いくらでも探っていいんじゃ?』
『……いや、それは……』
『歯切れが悪いっす。いつもの副会長は、もっと堂々としてるっす』
『た、体調が、優れんからな……』
パシャ子の声が、どんどんとロッカーへと近づいて来ている。森田君は冷や汗が止まらなかったが、副会長はきっとそれ以上に止まらないだろう。
『それだけっすか?』
『ぬ?』
『急にお腹痛くなっちゃうような何かが、あったんじゃ?』
『…………』
ばたんっと、ロッカーの扉から音がした。副会長が背中をつけている。もう後は無い。パシャ子に迫られ、瀬戸際まで追いつめられているのだ。
森田君の心臓はきゅっと縮み上がり、もはやこれまでと覚悟した。
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