第12話




     7



 翌日の日曜日、再び森田家で落ち合った。

 昨日と同じ要領だ。


 トランクケースに森田君を入れ、閉めて、運ぶ。実にシンプルで意味不明だ。こんな馬鹿な真似、歴戦の結婚式余興芸人か、密輸業者くらいしかしないだろう。


 前回とは違い、玄関の段差は乗り越えられた。

 生瀬さんはほっと一息つく。


 助っ人が一人居るだけで、すんなり物事が進んでくれる。

 共犯者がいる心強さというのだろうか。


 並んで歩く如奧先輩が、いつもと変わりの無い様子で居てくれるおかげで、生瀬さんはすれ違う人にビクビクせずに済んだ。心に余裕が生まれる。


 生瀬さんはふと気になって、如奧先輩にたずねた。


「今日は、椅子の人とはご一緒じゃないんですね」

「あら、椅子の人、だなんて……」

「え?」

「彼ら彼女らも、四六時中、椅子の真似事をしている訳ではないというのに。エリちゃんったら、さらりと人間性をはぎ取ってしまうのね」

「へ?」


 如奧先輩の思わぬ正論に、生瀬さんはきょとんとした。


「あ、や、そ、そういう事では――」

「さすがエリちゃん。とっても自然体で巧みだわ」


 わたわたと手を振る生瀬さんを、如奧先輩は感心するように見た。


「近頃は磨きがかかってきているもの。あの子たちが今の言葉を聞いたら、もうエリちゃん無しでは生きて行けなくなってしまうわ、きっと」


 如奧先輩はひどく満足げに頷いていた。


 などと他愛もないやり取りをするのも束の間、生瀬さんは足を止めた。如奧先輩が立ち止まっているのだ。一本足の真っ赤な郵便ポストの前で。


「どうかしましたか?」

「ねぇ、エリちゃん。つけられているわよ」

「はい?」

「これはきっと、トランクの彼も秘密にしたい事だろうから、するのなら早めに対処しておいた方が良いと思うのだけれど、どうかしら?」

「つけられ、てるんですか……?」


 生瀬さんは振り返った。

 保羽リコと香苗の姿を探したが、見当たらない。


 顔が割れている人間が尾行するというのは、かなり至難の業だ。変装しているらしき人影も見えない。風紀委員の顔なら、生瀬さんは大体知っている。


「先輩、ほんとうに?」

「ええ、間違いないわ」

「どうして、わかるんですか?」

「だってほら、ここに」


 如奧先輩はおもむろに、傍らの郵便ポストをかぽっと持ち上げた。本来、持ち上がるはずの無いそれが、軽々と持ち上がっている。


 ポストの中には少女が居た。

 手にカメラを持っている。


 生瀬さんと同じく、カメラ少女はぽかんとしていた。


 如奧先輩の持ち上げた郵便ポストは、精巧に作られた段ボール細工であったらしい。と、生瀬さんは気付いた。カメラ少女が郵便ポストに擬態していたのだ。


「ね? エリちゃん。つけられてるでしょ?」

「な、ななっ、なぜ分かったっすか!?」

「うふふっ、さぁ、なぜかしらねぇ」


 はわわっと狼狽するカメラ少女を逃がさぬように、如奧先輩は生瀬さんとトランクケースを用いて、自然と包囲してしまっていた。


「ところで、あなたは誰かしら?」

「第二新聞部の……ええっと、たしか、パシャ子、さん?」


 生瀬さんが聞くと、パシャ子は目をむいた。


「そう呼んで良いのは、部長だけっす。あと、小林先輩だけっす。それと、顧問の先生と、中学の知り合いと、あとは友達だけっす!」


 親しくなれば、そう呼んで良いらしい。


「ご、ごめんなさい」

「分かればいいっす。特別にパシャ子と呼ぶことを許可してあげるっす」


 隠し撮りされていたのに、何故か生瀬さんの方が謝った。本来頭を下げるべき方が、ふんぞり返っている。まったくあべこべであった。


「ばれちまったもんはしかたないっすね」


 うんしょっと体を伸ばしたカメラ少女は、どことなくアマガエルに似ていた。


「まあまあ、ずいぶん、堂々とした密偵さんね」

「何事も諦めが肝心っす」

「うーん、潔いけれど、少しつまらないわね。その考え方は」

「そう言われても、取材対象に勘付かれたら、そこで終了っす。でも、諦めないっすよ。だって先日も、第二は美術室での逢瀬を見事すっぱ抜いたっす!」


 パシャ子がそう言うと、生瀬さんがあわあわと口を挟む。


「逢瀬って、あれはそんな、違いますっ……!」

「違わないっす!」


 パシャ子は確信をもって言い放った。


「あれは間違いなくデキてるっす。男と女のただれた関係ってやつっす。ロマンポルノっす。若気の至りっす。青春の暴走っす。男が女を押し倒した時なんて、邪魔が入らなければ、とんでもなく破廉恥な事になっていたに違いないっす!」

「ち、違いあります!!」


 躍起になった生瀬さんが顔を真っ赤にして否定した。


「あら、あの記事、あなたのスクープだったの?」

「はいっす。アングルにこだわり抜いた渾身の一作っす!」

「……あ、あなたが、あれを……?」


 犯人の思わぬ出現に、生瀬さんは声を震わせた。


「ふっふっふっ。このカメラがあれば、一瞬の真実も決して見逃さ――は、はれ?」


 胸元で抱えていたはずのカメラがいつの間にか消えており、パシャ子はきょろきょろと足元と周囲を見回して、ふっと顔を上げた。


「あらほんとね、良く撮れてるわ。ほら、エリちゃん、この子上手よ」

「ほわわっ!? い、いつの間に!?」


 パシャ子は慌てふためいていた。

 如奧先輩がパシャ子のカメラを持っていたのだ。


「ああぁ、カメラはダメっす、それは命っす、返して欲しいっすぅ」

「あら、ごめんなさい。はい、どうぞ」

「……?」


 あっけなくカメラを優しく手渡され、パシャ子はぽけっとしていた。


「どうしたの?」

「こんなにすんなり返してくれると思わなかったっす」

「あら、どうしてかしら?」

「だってあなたの事、部長は悪鬼羅刹の様に言ってたし、小林先輩は妖怪変化だって言ってたっす。でも、全然そんな事ないっす。あなた、良い人っす!」

「それが報道のだいご味よね」


 屈託のないパシャ子の笑顔に、如奧先輩はうんうんと頷いた。


「世間で流布しているものが、真実とは限らない」

「はいっす。上質な出鱈目を書くためにはまず捻じ曲げるための真実が必要、それが第二新聞部の気高きモットーっすから!!」


 えっへんとパシャ子は胸を張った。

 滅茶苦茶なモットーであったが、第二新聞部の本質でもあった。


「まあ、すてき。がんばってね」

「がんばるっす」


 第二新聞部の人間であるという事は、確実に性格に難点を抱えているはずなのだが、如奧先輩は一瞬でパシャ子を懐柔してしまったようであった。遊びながら子犬に芸を仕込むドッグトレーナーのような巧みさを、生瀬さんはふと感じた。


「それでね、パシャ子ちゃん……と、呼んで良いかしら?」

「いいっすよ。あなたは良い人っぽいから」

「第二新聞部の部長さんに、伝言をお願いできる? 『一年の生瀬エリに何かあれば、二年の如奧がそちらにうかがう事になる』と」

「それだけっすか?」

「ええ、たったそれだけよ」

「それくらいなら、お安い御用っす」

「まぁ、ありがとう。おねがいね」

「任せるっす。それじゃ、またっす!」

「あ、ちょっと――」


 段ボール細工の郵便ポストを忘れていますよ、と生瀬さんが指摘するものの、聞こえていないのかパシャ子は走り去ってしまった。



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