第6話
4
「んふふぅ~、むっふふぅ~」
風紀委員会室で机仕事にいそしむ保羽リコは、鼻歌まじりだった。
時おり意味もなく顔をほころばせ、るんるんと足をパタパタさせる。その様子があまりにも無垢なものだから、誰もがつられて笑顔になった。
『何か良い事あったんですねぇ』
『素敵な笑顔ですね、ほんと』
『汚れの無い幸せに溢れてますよぉ』
風紀委員たちは保羽リコをそう評したが、香苗の見解はまた違った。
悪意が純粋すぎるのだ。
マイナスとマイナスを掛け合わせるとプラスになる、という数学的な理屈に近いものがあるかもしれない。「幸せとは不幸の上の楼閣」「悪意を足し算するな、正義の風紀委員ならば常に掛け算しろ」という東原先生の格言にも通じる。
部下の風紀委員たちが外回りに出かけ、机仕事が一段落して「あ、茶柱が立ってるぅ」と保羽リコは湯呑みに喜びを見出している。わざわざこんな事を切り出すのもどうかとは思いつつも、お茶のおかわりを注ぐついでに香苗は声をかけた。
「ねぇ、リコ」
「んん~? なーに香苗ぇ?」
「さっきね、気になってちょいと探ってもらった所によるとね、銀野会長と森田清太はアクション・スタント部で何やらやってたらしいのよ」
「へぇ、そうなのぉ~」
ふぅふぅと湯呑みに息を吹きかけている保羽リコは、あくまで呑気なものだった。勝ったかどうかも定かではないのに、兜の緒がゆるゆるだ。
「余裕ぶっこいてる所、言いにくいんだけどさ」
「もう、なによぉ?」
「森田清太はいまだに銀野会長の事が好きな訳で、そりゃ二人の関係は恋人同士ではなくなったけど、どうにも破局って感じでもないわけよ。ぶっちゃけ、銀野会長さえその気になれば何時でも二人は恋人同士に戻るんじゃないの?」
「…………」
お茶を幸せそうにすすっていた保羽リコは、ふはぁっと一服の余韻を吐き出しつつ、小さな籠から煎餅を一枚取って、おもむろに袋を破こうとしたその手をピタッと止めた。
そして真顔で香苗を見た。
「……え?」
「いやだからさ、リコ。もしかしてさ、あの二人の仲が完全に終わったって勘違いしてない? 全然終わってないわよ、あの二人。むしろ、いつボウボウ燃え始めるか分かんないくらい、二人の関係は程よく乾燥してきてる気がするんだけど?」
「…………」
「…………」
「……マジ?」
「むしろそれ以外の解釈ってある?」
きょとんとした後に保羽リコはむむむっと眉根を寄せて、しばし何事か考えるような仕草をしたかと思うと、ばっと椅子から立ち上がって目をむいた。
「早く言ってよ香苗! そういう大切な事は!! 委員長補佐でしょ!?」
「……き、気付いてないと、思わなかったからぁ……」
委員長補佐かどうかは関係ないでしょ、と香苗はツッコミたくもあったが、保羽リコの剣幕に押されて言うタイミングを逃してしまった。
森田君とヨロズ先輩が恋人同士ではなくなった――その一点があまりに嬉しすぎて、どうやら、保羽リコは考えが及んでいなかったらしい。
「ちょっと神様どういうこと!? これどういうこと!?」
天井に向かってリコが抗議の声を上げていた。
神さまからすれば、とばっちりも良い所である。
「お年玉全額受け取っておいて、これはその道のプロとして仕事が中途半端じゃないかな!? かなっ!? そっちの職業倫理的にどうなのよ、これ!?」
「いや、神様は五円分の仕事はきっちりやってくれたと思うなぁ。お年玉全額入れたのはあんたの勝手だし、そもそも『力見せたら全額やる』つったのは、あんただしさ。あの神社の神様の力的にもさ、五円が適正価格だったんじゃないかなぁ。むしろ、五円以上の働きは間違いなくしてくれている気もするし。違う?」
「…………それは、確かにそうね……」
香苗のド正論に、保羽リコは少し落ち着きを取り戻したらしい。
「香苗、二人はスタント部で何かやってたのよね?」
「らしいわ。ああ、ちょい待ち、リコ」
立ち上がって出て行こうとした保羽リコは、香苗にそう呼び留められた。
「なに?」
「考えなしに動かない。スタント部に聞き込みに行ってもムダだってば。銀野会長の事だから、上手い事スタント部の連中を言い包めているに決まってんだからさ。銀野会長にどんな思惑があろうと、こっちが知りたい要点なんて聞きだせない。むしろ、風紀が動いているって向こうに余計な警戒心を与える事になるだけよ」
「でもそれってさ、裏を返せば、前回、前々回に引き続き、また動き出そうとしてるかもってことよね? 銀野ヨロズと清太が」
「おそらく」
「くっ」
油断して出遅れるとは不覚、と保羽リコは悔やんでいる。
眉にぐぬぬとシワを寄せ、保羽リコはかっと目を見開いた。
「そうか、これはチャンスよね! 薪でも恋でも、乾燥した時が一番燃えやすくもあり、折れやすくもあるって聞くし。ここでしっかり銀野ヨロズのふしだらな行為を防いで、二人の恋の息の根を止めておけば、必ずや終止符を打てるはず!」
「……うん、まぁ、そうなのかなぁ……」
「きっとそうよ!」
首を傾げる香苗の冷静な目とは対照的に、保羽リコの目はやる気に燃えていた。なんだかんだで、神社で神様に喝を叩き込んでもらっていたらしい。
「くっくっくっ、ひっひっひっ……見ってなさいよ、銀野ヨロズめぇ! あんたのその澄ました仮面をはぎ取って、邪悪な正体を白日の下に晒してやるわ。地位も名誉も人望もすべて失い、ボロボロの制服とボサボサの髪でひもじさに耐え、校舎の片隅で段ボールのゴザを敷いて、通りすがりの私にパンを買う金を恵んでくださいと頭を垂れるのよ。そしたら私は言ってやるの『パンが無ければ雑草を食べればいいじゃない』って!」
「…………」
何とも言えず、香苗は頬をぽりぽりと掻いた。
「ふふっ、むふふふっ、想像しただけで胸が高鳴るわ!」
保羽リコは嬉しそうに腕をぐっと突き出したが、飛躍しすぎである。
加えて、考え方が完全に悪役のそれと同じだ。
そもそもヨロズ先輩の家は裕福だ。そんな事になるはずもない。仮にそんな事になったとしても、まず間違いなく森田君が一番に救いの手を差し伸べるはずで、弁当やら何やら差し入れする事になって、再び仲が急接近するから元の木阿弥――
などという発想が保羽リコにあるはずもない。
そんな事は香苗も百も承知である。
とりあえず気の済むまで、やりたいようにやらせてあげよう。現状、どう転んでも一番痛い目を見る確率が最も高いのはリコだし。
というのが香苗の考えであった。
「しっかし、わっかんないわねぇ。なんで別れたワケ? てっきりリコがオウンゴールしたもんだとばかり思ってたけど……仲がこじれたにしては、森田清太は相変わらず銀野会長一筋っぽいし。むしろ、銀野会長の方が戸惑ってる感じだし……」
「ケンカした……訳でもなさそうよね」
「向こうから相談してくる、訳もないか。森田清太はそもそも迷いがなくなった感じだからね。銀野会長はあたしらに、んなこと打ち明けるはずもないし」
これまでに二度、森田君がらみで競り合ったのだ。
風紀委員会と生徒会長は、仲良しこよしではない。
日戸梅高校は『変人ホイホイ』と言われ、奇人や変態どもが非常に多い。野放しにしていると健全な学校運営に支障をきたすほどで、そういった連中を取り締まる風紀委員会の力は相対的に強くなった。生徒会傘下の委員会でありながら、独特の権力を有しているのだ。時と場合によっては、生徒会長を辞職に追い込んでしまえるほどに。
香苗は思案した。
「リコ、今回攻めるなら、銀野会長を狙った方が良いわ」
「……香苗?」
訝しむように保羽リコに名を呼ばれ、香苗は首を傾げた。
「なに? 不満?」
「まさか」
「あんたの事だから、銀野会長を攻めるなんて喜ぶと思ったんだけど……」
「そうじゃなくて……手強い方に噛み付け、なんて香苗っぽくないから」
「ふふふっ。手強い方に噛み付けなんて、私は言ってない」
にやりと、あくどい笑みで香苗は言った。
「ほえ?」
「私の見たかぎり、もう森田清太の方が銀野会長より手ごわいはず。なにかそう、腰が据わった感じがするのよね。……あんたの発破が大分効いてるみたいでさ。ああいうのは攻めるのがとても難しい。むしろ銀野会長の方が弱っているんじゃないかってね。ま、あんたほど勘は鋭くないから、どっちを狙うかはリコが決めてちょうだい」
「答えるまでもないわ」
保羽リコはきりっとした顔で即答した。
強い意志に満ちた良い声だ。
黙って真面目な顔をしていれば、保羽リコはそれなりに出来る女っぽくなるのだから、普段の言動によるイメージ損失額は半端では無いなぁ――
と香苗はふと思った。
「おーけー。そんじゃ、第一第二と綺麗にダウンを食らった、その雪辱を晴らさせてもらいましょうや。第三ラウンド開始よ、リコ……」
風紀の二人は三度、ヨロズ先輩へと挑みかかる準備に取り掛かった。
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