第22話




     23



 森田君は走りながら自問した。


 ヨロズ先輩の事をちゃんと見ていたか?


 自答は歴然だ。

 見ていなかった。


 嫌われたくない、微笑む顔がみたい、幸せそうにしてほしい、それだけだ。

 そんなのは理解とは言わない。


 ヨロズ先輩と付き合う事が出来て舞い上がっていただけ。


 相手の事を慮るふりをして、相手の気持ちを知ることが怖かっただけだ。森田君自身が目を背けていた事に、向き合わないといけない。


 それがどれほど、自分の意に添わない事であったとしても。


 言葉は無くとも分かり合えるはず。わかってくれているはず。想えば想われるはず。心を確かめ合うのなんて見つめ合うだけで良い。そっと手を握り合えばいい。

 そんな甘い言葉が通じるのは表層だけだ。


 誰かを想うという事の、誰かと想い合おうとする事の、その果てしのない面倒くささから遠ざかろうとする、普遍的な不誠実さが縋らせる恐ろしい魔法の言葉だ。


(ずっと感じてた……)


 ヨロズ先輩は、保羽リコへの当てつけで自分と付き合ったのではないか?

 先輩が積極的になってくれるのは、必ず保羽リコが居る時だった。


 生徒会に引き抜いたのもそれが理由だった。埋めてくれと頼んできたのも保羽リコが『弟のように育ててきた』と言ったから。


(全部ぜんぶ、リコ姉ぇばっかりだ……)


 森田君はそう感じた。


 想いは言葉と形にして、ぶつけなければならない時がある。

 きっと今がその時だ。


(言わないと伝わらないんだ。伝えなくちゃならないんだ)


 与えて減ったと感じるなら、それはおそらく愛ではない。

 そうかもしれない。


(けどっ、減ったと感じてしまっても、それでもやっぱり好きなんだ……!!)


 突き刺さった言葉を胸に押し込みながら、森田君は走った。




     24



「先輩、お出かけですか?」


 家の鍵を閉めたヨロズ先輩は、そう声を掛けられて振り向いた。

 森田君が門扉の前にいた。


 走ってきたのか、森田君の頬は上気しているようだった。


「ええ。体調も落ち着いてきたから、今から買い物に」


 ヨロズ先輩がそう答えると、森田君はほっとしたようだった。


「そうですか、良かった。あの、少し良いですか? ……お話があるんです」

「ええ。なら――」

「すぐに済みますから、このままで構いませんよ」


 家に招き入れようとしたヨロズ先輩を、森田君は朗らかに制した。


「それで、森田君、話と言うのは?」

「先輩は、ボクの事、好きなんですか?」


 単刀直入に森田君からそう問われ、ヨロズ先輩は戸惑いつつも頷いた。


「……? ええ、もちろん」

「それは本当に、恋人としての好きですか?」

「……どうしたの、森田君?」


 いつもの様子とは違う森田君に、ヨロズ先輩の戸惑いは深くなった。迫りくる寒波の熾烈さに洞の中で縮こまるリスのように、怯えが足元から這い上がってくる。


 だがそんなヨロズ先輩を知ってか知らずか、森田君はさらに踏み込んできた。


「大切な事なんです。先輩の口から、答えを聞きたいんです」

「でなければ付き合ったりしないわ、森田君。どうしていきなり、そんな事――」

「先輩、気付いてますか? ボクを名前で呼んでくれるのは、リコ姉ぇが居る時だけなんですよ? 先輩の方から歩み寄って来てくれる時は、ほとんど、そうなんですよ?」

「…………」

「互いの事を見て、歩み寄って行くのが恋人だと思うんです。でもたぶん、先輩が見ているのはボク以外の誰かじゃないかっていう気がして。……ボクを生徒会に入れてくれたのも、ボクの面倒を良く見てくれたのも、ボクと付き合ってくれたのも…………リコ姉ぇへの当てつけなのかな、って……ボクはそう思ったんです」

「……それは、その……」


 違う。

 その言葉を口から出す事ができず、ヨロズ先輩は無言のうちに肯定してしまった。


「その……森田君、わたしは……」

「いいんです。それでも、先輩の傍にいられたことは幸せだったから。でも、その……やっぱり、そういうのはボク、つらいです……」

「…………」


 森田君の声は落ち着いていた。


「……ボク、思うんです。埋めただけで付き合えるなんて、そんな交換条件みたいなこと、やっぱりおかしいって。ボクは先輩と付き合うっていう、そんな形が欲しかったんじゃないんです。先輩をもっと好きになりたくて、先輩にも、もっと好きになってほしかったんです。その果てに、付き合うべきだったんです」


 森田君はゆっくりと、一言一言、丁寧にそう語った。

 よく考えた上で話しているのだろう。


 森田君の紡ぎ出す言葉に、ヨロズ先輩は一言の反論も浮かんでこなかった。

 突かれていたのだ、核心を。


「だから、こんな形で付き合うのは、やめたいんです。リコ姉ぇが居なくても、ちゃんと先輩がボクのことを心から名前で呼んでくれるように、ボクはもっと頑張りますから。ちゃんと、先輩の事を見ますから……先輩にも、ちゃんとボクの事を見て欲しいです」

「…………わかったわ。森田君が、そう望むなら……」

「自分勝手に、突然こんな事を言って、ほんとうにごめんなさい」


 森田君は頭を下げてそう言った。

 そして苦しそうな顔一つせず、ぱっと笑って手を振った。


「先輩。年明けは、海外なんですよね。いってらっしゃい、良いお年を。次は、『高層ビルから突き飛ばしてほしい』でしたよね。……それじゃぁ、ボクはこれで」


 変わらぬ足取りで森田君は去っていく。


 森田君の背中に、ヨロズ先輩は手を伸ばそうとして、けれど身体が動かなかった。

 傷つけてしまった。強く、鋭く。


 甘えて甘えて、森田君の苦しみに想いを馳せることもなく、寄りかかってばかりで、森田君を押しつぶしてしまっていた事に気付けなかった。


 いつもは割り切れていた。

 白か黒か。好きか、嫌いか。大切か、そうでないか。


 必要か、不必要か。

 簡単だった。簡単だったのに……


 なぜ割り切れない。今までできていたことが、森田君に対しては出来ない? 違うなら違うと、そうならそうと、なぜ言えなかった?

 彼の事が好きだから? 彼を傷つけたくないから?


 傷つけてしまう自分が嫌だから?

 それとも、彼の純粋さが怖いから……?


 森田君が、そう望むなら?


(なら、私はどう望んだの……?)


 わかったわ……だなんて、何をわかったというの? 別れるという事? 森田君に指摘された事? 森田君の望んでいる事? 彼の想いや意思?


 自分の気持ち?

 考え? 願い?


 未だに好意を寄せてくれる彼に対して、なんて不誠実な態度だろう。


(いったい私は、何を分かったと、そう言ってしまったの……?)


 ヨロズ先輩は頭を抱え、深くため息をついた。

 嘲りの吐息が白く濁り、陽の中で弄ばれて消えていく。


 たまらなく、おかしかった。

 自分の事しか見て居なかったくせに、自分のことすら分からないなんて。





                第二巻END


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