第18話




     17



 聖夜に近づき光が灯り、街には様々な声が集い始めていた。


「サンタさんに何をするんですか、東原先生っ!」

「放して! 放して厳島先生!! あと数時間でクリスマスなんです。イブなんですっ。恋人はサンタクロースなんです! つまりサンタは私の敵なんですぅ!!」

「何を意味の分からない事を口走っているんですか!? 夜食の買い出しは済んだんですから、さっさと学校に戻りますよ!!」

「誰だっ、日本にクリスマスなんて異教徒の祭りを流行らせた馬鹿野郎はッ。いずれっ、いずれタイムマシンが発明されたら、まっさきに狩り出して磔にしてやるぅ……!」


 このような微笑ましいやり取りが、世界中でなされている事だろう。


 街中の明かりを見ながら香苗はそう感じて、保羽リコを振り返った。


「おそらく銀野会長たちは池か湖に向かうはずよ」


 コートの裾をはたきながら香苗は続けた。


「でもどこへ向かうのか予想がつかない。バスに乗られて、もし見失うと厄介よ。駅前で乗り換えされたり、移動手段を変えられたりすれば、相手の行き先が絞れなくなる以上、こっちは不味いことだらけになる」

「なら、見失わなければ良いだけの話しよ」

「そう。基本に立ち返って、尾行しかない」

「銀野ヨロズはこちらを振り切るために、あらゆる手を使ってくるはず……」

「冴えてるじゃないの、リコ。その通りよ」


 保羽リコと香苗は駅近くのファストフード店で見張っていた。捕り物道具をコートの下に忍ばせるなど、準備は万端だった。あとは相手の出方を待つだけだ。


 森田君が動きやすいように、二人はわざと離れた場所に陣取っておいたのだ。先日の二人の行動パターンからするに、おそらく駅前までやってくるだろう。

 という香苗たちの読みは、さっそく外れた。


 香苗が放っていた密偵が、スマホに森田君の同行を知らせてきたのだ。


「……どっちに向かっているって? ……そう、分かった」


 香苗は顔を曇らせて応答し、保羽リコへと告げた。


「リコ、森田清太は学校へむかっているそうよ」

「駅前ではなく……学校!? なぜそんなところへ――」

「さあね。ともかく走るわよ!」


 香苗と保羽リコは店を飛び出して、夜の街を駆けた。

 走りながら保羽リコが、香苗へと問いかけてくる。


「……ところで、香苗。なんでわかるの? あたしら二人だけなんじゃ?」

「パシャ子ちゃん……いいえ。『草の者』を使ったのよ」


 香苗はスマホを振ってにやりとした。

 第二新聞部のアマガエル似の少女は、未だに香苗の密偵として機能している。


 だが、保羽リコには伝わらなかったらしい。


「く、草? 葉っぱのやつ? それとも専門用語か何か?」

「なんでもいいから、リコ、走る。向こうはゆっくり歩いているらしいから。銀野会長と合流されてタクシーにでも乗られる前に、追いつかないと」


 香苗がそう急かすと、保羽リコは走ることに集中したようだった。


 コートが煩わしく感じるほど身体が温まってくると、森田君らしき人影を遠くに見つけた。保羽リコと香苗は一安心したが、その顔にすぐさま緊張が走った。


 二人の目の前に、人影が立ち塞がったのだ。


「どこへいこうというのだね?」


 両手を広げて香苗たちの行く手を防ぎつつ、その人影はそう言った。

 それは七三分けの堅苦しい雰囲気の男子生徒、副会長であった。


「副会長!?」


 足を止めて驚く保羽リコを、副会長はびしっと指でさした。


「暴走がすぎるぞ、風紀委員会。森田を追い回すのは止めてもらおう」

「銀野会長にこうしろと言われたの?」


 香苗が問いかけると、副会長は右腕で虚空を一薙ぎした。


「誰に言われたかなど、どうでもいい。ただ守るだけだ。先輩として、後輩を」


 副会長は漢だった。

 副会長の眼光は鋭く、ただならぬ雰囲気で圧倒していた。すさまじい気迫を全身から放つ副会長は、誰が見ても強敵にしか見えない。


 保羽リコが素早く、香苗へと目配せした。


「香苗」

「おうよ」


 保羽リコと香苗は目線を合わせて頷き、短い掛け声で意思を疎通し、互いに距離を取った。かと思うと、副会長の方へ猛然と突進し始めた。両サイドから仕掛けるつもりだな、と副会長が身構えたその左右を、保羽リコと香苗は見向きもせずにすり抜けた。


 副会長は勇ましかった。

 弁舌がいつにもまして爽やかだった。眼鏡が機能的でスマートだった。七三の髪型も決まっていた。ほんとうに後輩想いの良い先輩だった。


 けれど哀しいかな、副会長は筋金入りの文系なので、体育会系の領分で戦えば手も足も出なかった。そもそも、副会長は半端ではない運動音痴だ。


『副会長って歩くより走る方が遅いよね』と言われるほどなのだ。


「こらぁ、無視するな卑怯者ぉ!」


 副会長の哀愁漂う怒声を後ろに残し、香苗と保羽リコは森田君を追った。争っても益が無いのに馬鹿正直に相手をしてやるほど、保羽リコも香苗も暇ではない。


(見えたっ!)


 香苗は見間違いではないことに確信を持った。


 森田君と、防寒具を身に着けたコート姿のヨロズ先輩が合流している姿が、香苗の前方に見える。すぐさま角を曲がり、森田君たちは学校の塀に遮られて姿を消した。


 おそらくバス停に向かっている。


「――んっ?」

「香苗?」

「……いえ、なんでもない! 目前に集中!」


 ヨロズ先輩の姿に香苗は違和感を覚えたが、すぐに気にならなくなった。

 目の前に真打が登場したためである。


 真打は、その体を茶色のコートですっぽりと覆っていた。シンプル・イズ・ベスト。特殊な界隈では、もはや格調高さすら漂わせつつあるオールドファッションだ。

 白色の街灯に照らされ、靴とコートの間から肌色がほっそりと見えていた。


 ここがもし荒野であったなら、ダンブルウィードが転がり、砂埃が風に巻き上げられ、決闘の雰囲気が漂っていたことだろう。だがここは日本で、十二月の冬だった。


 なによりこの場にいる三人はガンマンではなく、ただの学生である。賞金首の無法者でもなければ、正義の保安官でもなく、血も涙もない賞金影ぎでもない。風紀委員である二人の女子生徒と、パンツを脱ぐことが大好きなド変態が一人いるだけだ。だというのに、ホルスターの銃把へと徐々に利き手が迫っていくような緊張感が漂っている。


 香苗は目を細めて、現れた真打――山下へと呼びかけた。


「山下君……こんばんは」

「こんばんは。風紀の方々、終業式も終わったこんな夜遅く、どちらへ?」

「それはこっちのセリフよ、山下君」

「この状況でそれは、愚問ではないかな?」

「ええ、そうだったわ……ね!!」


 香苗のコートを払う動きと、山下のコートを掴む動きはほぼ同時。

 目にもとまらぬ早業でコートを脱ぎ捨て、さらに脱ぎ捨てたコートを風の流れを読み切って乗せ、香苗たちの視界を奪おうとさえする神業。


 山下は変態の達人であったが、しかし香苗は取締りの達人だった。

 パン一で全力ダッシュする山下めがけ、香苗がボーラを投げた。


 複数のロープの先端に重りがついた投擲アイテムだ。香苗が所持していたボーラは、重りがゴムで出来た、暴漢の捕縛に特化したボーラだった。地面を這うようにして山下の足元めがけて一直線。ロープと重りが絡まり、見事に山下をすっ転ばせて動きを封じてしまう。


 山下得意の健脚も、発揮する前に仕留めれば恐るるに足らず。

 なにより、香苗に油断は無かった。


「リコ、車道!!」

「あいよ!」


 日頃の風紀活動によって鍛えられた二人の抜群の連携は、変人・変態共の連携など敵わぬほど冴えわたっている。車道の方では保羽リコが軽トラックを止め、荷台でしれっとアイロンがけを行っていたエクストリーム・アイロニング部の部長を捕縛していた。


 香苗は山下を組み敷いて、彼の脱ぎ捨てたコートをかぶせた。

 あまりに見事なその手並みに、山下がほぞを噛んでいる。


「くっ、まさか、こんな一瞬で……」

「風紀を舐めてもらっては困るわね、一年坊や。同じ手が二度も通用するほど甘くないわよ。それと、覚えておきなさい。スタンドプレイからチームワークを生み出すなんて、個々の能力が高いだけでは決して成し得ないものよ」

「俺はコートの下がパン一だっただけだ。このファッションのどこがいけない?」

「それをファッションだと考えている所よ」

「相変わらず了見の狭い連中だ。ちゃんと拭け、正義の眼鏡は良く曇る」

「お黙り。非常識は悪なのよ、たとえ常識が悪だとしても」


 香苗は言い切った。

 圧倒的な正論だった。


「むしろあんたたちは、常識に依存せねば自己を確立できない、身薄いものだわ。あんたたちのそれが、もし自らの内側より湧き出て自立する個性だなんて思っているのなら、大きな間違いよ。もう少しわきまえなさい、常識と言う無個性の支えなしには立つことすらままならない『強烈な個性の分際』というものをね」

「……ぐっ……」


 山下に返す言葉はなった。

 さらなる鞭を頂くための誘い文句すら、浮かんでこない。


 それは悔しく、辛く、やるせなく、それでいて今までにない甘美な興奮を呼び覚ますものだった。尽くして来た己の信念を揺すぶられたのだと気付き、山下は首を垂れた。


「……森田、許せ……俺は未熟だった……愛するという事は、減ったと感じてしまう事とどう向き合っていくのかという事でもあるのかむがっ!?」


 ぐだぐだうるさいと、香苗は山下に猿ぐつわを噛ませた。

 風紀の完全勝利であった。


「ふふっ、ヘンタイ共がいくらやってきても、組織立っていないのなら対応は容易い。生瀬ちゃんには悪いけど、生瀬孝也はなかなか良い働きをしてくれたみた――」

「香苗!!」


 保羽リコが叫んで指さしている。

 香苗は指先を見て、目を見開く。


 バスが出発してしまった。

 通り過ぎたバスの後ろ窓に、二人のコート姿が見える。


「清太たちはバスに乗って行っちゃったわよ!」

「大丈夫よ、バスなら」


 保羽リコの焦りを打ち消すように、香苗はそう言って微笑んだ。

 ぬかりはない、という顔だった。


 保羽リコが唖然としている。


「へ? ど、どゆこと、香苗?」

「尾行は草の者がやっているはず。上手くバスに乗っていれば、そろそろ――ね?」


 香苗のスマホが鳴った。

 どうやら森田君たちにつけていた『つなぎ』は、健在のようだ。


 香苗はよくやったと思いながら、電話に出た。


「パシャ子ちゃん、でかしたわね。そのまま乗客に紛れて二人の行き先をこちらに……はい? なに? 今、それどころじゃない? 変なのに絡まれてる? あなた以上に変な奴なんてそうそう……は? 転んでカメラを落とした? ショルダーストラップが壊れて、おまけにフォーカスリングの調子がおかしくなって困ってたら……知らない人に取り上げられた? 目の前でDIYされかかっている? なに訳の分かんない事を言って……バスには乗れたの? ちょ、こら待――……あっ、切りやがった……」


 香苗はぽつりと呟いた。


 気まずい沈黙が訪れる。

 保羽リコがおずおずと香苗の顔を伺った。


「か、香苗……?」

「バスのナンバーは控えているわよね、リコ?」

「もちろん」

「なら近場のタクシーを拾って駅まで――」


 そう言って香苗はスマホをいじったが、近くにタクシーは走って居ない。そこで香苗はピンときた。どうして森田君たちが、駅前へと向かわなかったのか、その理由が分かった。


「なっ、そ、それで駅ではなく学校の方へ……」


 都心でのイルミネーション祭りの帰り客を狙い、近辺のタクシーは駅前に集結しているらしい。香苗はほぞを噛んだ。森田君側に誘導されていたのだ。山下たちの妨害により作り出されたわずかな隙に、距離を放されてしまった。


 このままでは森田君たちを取り逃がしてしまう。


「走って駅まで行く、香苗?」

「そこそこ距離があるからね。さすがに足が無いとバスには……」


 香苗は必死で考えた。

 時間が時間だけに、学校の駐輪場にも自転車はない。


 こんな時間に学校にある足といえば……車だ。

 軽自動車がある。


「東原先生がいるわ、香苗」

「ええ、そうね、リコ。そうだった」


 ほぼ同時に思い至った二人は、頷きあった。

 香苗と保羽リコは捕まえた山下とアイロニング部を縛り上げ、裏門へと引っ立てながら、職員室の様子をうかがった。


 明かりがついて、残業中の東原先生の姿が見える。

 しかし、すぐ近くに厳島先生もいた。おそらく、東原先生が仕事をさぼらないよう見張っているのだろう。


 厳島先生は顔面こそ凶悪なものの、本当に面倒見の良い先輩教師の鏡である。


 東原先生の持つ自動車を使わせてもらおうとしても、厳島先生に止められてしまうだろう。事情を話せば分かってもらえるかもしれないが、ヨロズ先輩と森田君が手を回している可能性もある。なにせ、厳島先生は生徒会の顧問でもあるのだ。


 香苗はそう考えて、決断を保羽リコへと問うた。


「どうする、リコ?」

「……ええいっ、しかたない。あとで説教は覚悟しましょう」

「それしかないか、それしかないな……」


 香苗は苦々しげにそう言った。




     18



「厳島先生っ」


 職員室の戸を叩き、風紀委員の二人が顔を出した。

 こんな時間になに事かと訝しむ厳島先生に、保羽リコと香苗はこう続けた。


「実はさきほど、校門のところで半裸の一年とアイロニング部部長を捕まえまして。出来れば職員室でしばらく預かっていて欲しいのですが?」


 そう言われては、厳島先生としては対応するしかなかった。


「どこにいるのです、その二人は?」

「こちらです」


 保羽リコに誘導されるまま、厳島先生は後についていった。

 すると来訪者用の下足場に、捕縛された二人の男子生徒の姿があった。


 二人とも猿ぐつわを噛まされ、座らされていた。


 アイロニング部の方は大人しかったが、一年生の方はむーむーっと何やら唸っている。日戸梅高校では有名な、二人の男子生徒だ。


 厳島先生は腰に手を当てて溜息を洩らした。


「まったく、虜囚に対して猿ぐつわを噛ますなんて。いくら普段の素行に問題のある子たちであったとしても、なかなか手荒い事を……待ちなさい、今解きます」


 厳島先生はしゃがんで、山下の猿ぐつわを解きにかかった。猿ぐつわは風紀委員たちが普段使う結び方ではなく、非常に解きにくい結び方になっていた。


「動かないで。大丈夫ですから。なかなか強く結んでありますね……」


 厳島先生は少し不思議に思いながらも、一年生を落ち着かせようと声をかけた。

 もがもがと言葉にならない呻きを出し続けているのだ。


 厳島先生は結び目と格闘しながら、ようやっと猿ぐつわを緩めることに成功した。


「ええっと、ここを、こうして……それで、ここを――よし」

「――厳島先生っ、風紀の狙いは東原先生だ!!」


 山下は開口一番そう言った。

 山下にそう言われて、厳島先生はあたりを見回した。


 いつのまにか、風紀委員二人の姿が消えている事に厳島先生はやっと気付いた。




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