第二章
第8話
6
森田君は授業にあまり集中できず、悶々とする日々がつづいた。
授業どころか、クラスメイトや友人たちとの会話も、どこか上の空だった。耳や目から入ってくるはずの情報が、思い悩む心に弾かれて、右から左へと抜けていく。
森田君の悩みの要点は、たった一つ。
(ヨロズ先輩は何のために、埋めてくれなどと言ったのだろう……?)
何度考えても森田君には想像がつかなかった。
分からないなら聞いてしまおう。
直接的には聞きにくいが、遠回しになら聞いても問題ないだろう。
そう考えて森田君がヨロズ先輩に、平日に尋ねた限りではこうだ。
「先輩って、マンガとか小説とか、書いたりするんですか?」
「しないわ。アレは読んで楽しむものよ。書こうなんて、人生の大切な時間を激しく消費しなければならないのよ。並大抵の人間に出来る事ではないと思う」
「では、演じたりはしますか?」
「役者はやるモノでは無く、見るモノだと教えられたわ。小学校でね」
森田君はそれとなく探りを入れたが、疑問の尻尾すらつかめなかった。
ヨロズ先輩の最後の返答は簡潔だった。
「……理由が必要なの?」
好きな人がそう言っているから、では、あなたは行動できないの? ヨロズ先輩の言外の一言で、森田君はそれ以上聞くに聞けなくなってしまった。
(つまり先輩は言いたくないんだな)
森田君はそう理解した。
言いたくない事を無理に詮索するのは、人として間違っているだろう。
すでに人として間違った事に十分加担している気もするが、だからといって、どこまでも間違って良いという訳ではないはずだ。崖から落ちるとしても、落ちるのならなるべく短い距離の方が良い。また、距離が短くなるように努力すべきであろう。
いわゆる、出口戦略と言うヤツである。出口を作るべき部分を盛大に間違っている気もするが、それ以上考える余裕など森田君には残されていなかった。
そして――
(もう、土曜か……)
銀野家の表札を眺めつつ、森田君はため息が漏れた。
五日は瞬く間に過ぎ、休日となっていた。
早朝のランニングや友人から手ほどきを受けた筋トレは、当然ながら、効果が実感できるレベルではなかった。家での練習の成果は、穴掘りのコツを多少掴んだ程度だ。いろいろと道具が必要だが、購入資金などから、まだすべてを揃えてはいない。
(あいかわらず立派だな、先輩の家って)
森田君は目前の家屋を見上げつつ、呼び鈴へと手を伸ばす。
銀野家の呼び鈴を鳴らすのはこれで二回目だが、森田君は緊張した。
もしヨロズ先輩の親御さんが出てきたら、どうしたものか。
だが、そんな森田君の心配は杞憂に終わる。ヨロズ先輩の親御さんの姿はなく、またヨロズ先輩一人らしい。ヨロズ先輩に出迎えられ、森田君が玄関をくぐり、リビングへと進みながら家の中を見る限り、どうやら今回も家には二人きりのようだった。
(たしか、先輩も、一人っ子なんだよね……)
ちょっとした共通点に、森田君は親近感を覚えた。
するとヨロズ先輩が紅茶を一口飲み、タブレット端末で地図を指で示して森田君に見せた。
「前回は山のこの辺りで、中止になったわね」
「はい。今日は、その先まで行ければと思います」
「シャベルは用意しておいたけれど……山で穴を掘る所まで行けるかしら?」
ヨロズ先輩はティーカップを置いて、綺麗な顎に指を当てた。
森田君は首を横に振る。
「いきなり色々とやろうとしても、ボクたぶん、わってなっちゃうので。穴掘りの仕方も、今は試行錯誤してる最中で。徐々に身体を慣らしていきたいです」
森田君はエベレストに挑む登山家の気持ちだった。
順応が追い付いていない。
無理をして、すべてを無に帰する訳にはいかない。この前のように警察屋さんに呼び止められたり、あるいは学校関係者に露見するかもしれない。切り抜ける方法や、ばれた時の誤魔化し方も、ヨロズ先輩とちゃんと話し合っておくべきだ。
先走ってはいけないと、森田君は譲らなかった。
「わかったわ、森田君」
森田君の頑なな口ぶりに、ヨロズ先輩も納得してくれたらしい。
結局上手く事を運ぶには、回数を重ねるしかない。
リビングでノートを広げ、前回の反省のまとめと、改良点のおさらいをおこなった。
段差や道路の状態などを考慮してバス停までの道のりを変える事や、銀野家のフローリングに傷がつくかもしれないので、先輩がトランクケースに入るのは玄関の方が良い、などという些細な事まで、さまざまに意見を出し合う。
ヨロズ先輩とは、肩が触れ合う距離だ。
森田君の心拍数は否応なく高まった。
(良い匂いがする……)
前回よりも幾分か冷静である分、森田君はより、ドギマギとしてしまう自分に気づいた。
今日のヨロズ先輩はポニーテールだ。
うなじに見惚れてしまう。
ヨロズ先輩の姿を間近で見られる。
生徒会での活動とは違う、プライベートな空間で。
前回といい、今回といい、森田君にとっては、これが一番のご褒美だった。
ティーカップを唇に当てているだけで、ヨロズ先輩は絵になる。
森田君は出された紅茶の美味しさに気付き、前回は味が分からないほど追い込まれていたのかと、ふと思った。
少し気を緩めた森田君へと、ヨロズ先輩が咳ばらいをした。
「森田君、この前は初めてだったから言わなかったけれど、ちゃんと犯人らしく、下足痕に注意を払ってほしいわ。ビニール袋と輪ゴムがあれば一手間で出来るから。そういうディディールをしっかり作ってもらわないと、困るわ」
ヨロズ先輩にやんわりと注意され、森田君は目をぱちくりとさせた。
「先輩がボクを困らせている分量に比べれば、些細な事だと思いますけど………」
「たとえば私のスマホ」
森田君の呟きは聞こえていないのか、ヨロズ先輩はガラステーブルの上を指さした。
「これの通話履歴を見られたら大変でしょう? もし事件が発覚したら警察がすっ飛んできてしまうわよ。警察の情報端末の修復技術を舐めないでね。電子レンジ程度では手緩いわよ。私と一緒に埋めるか、どこかのゴミ箱に捨てないと」
「……ついでに、海外逃亡のためのパスポートでも取得しますか?」
「それも一つの手ね」
ヨロズ先輩はナイスアイデアだと頷いている。
森田君としては少々皮肉のつもりで言ったのだが……ヨロズ先輩は構わず続けた。
「犯人引き渡し条約を結んでいないか、結んでいたとしても無視する様な国への出国準備を整えておいたら素敵ね。死体が発見されるまでは国内でも良いけれど、発見されれば終わりと考えなさい。日本の警察を侮ってはだめよ」
「そ、そこまで拘らないとダメですか……?」
森田君が自身の額の汗を拭きながらそう聞くと、ヨロズ先輩にじっと見つめられた。
「森田君、たとえ実物を揃えられなくても、なるべく正確にイメージする事が大切なのよ。それが雰囲気や緊張感に直結する要素でもあるの」
ヨロズ先輩は透き通るような声でそう言った。
なかなかの拘りだ。なんだか、伝説の映画監督のようでもある。
森田君がぽかんとしていると、ヨロズ先輩は人差し指をぴんと立てた。
「女の子はね、ムードを大事にするものなのよ。欲望の赴くままにやりたいことだけやるなんて、そんなのケダモノだわ。乙女の想いを踏みにじった、非文明的な行いよ」
「文明的に埋めるという境地への至り方が分からないです、先輩……」
森田君は辛うじてそう答えたが、ヨロズ先輩は気にした様子もない。
「人を埋めるという事を、もっと常識的に考えないと。たとえ失敗するにしても、どんな物事もやるんだったら、なあなあで進めるなんてよくないのよ」
落ち着いた声でヨロズ先輩に説明されるほど、森田君は理解が遠のく気がした。ヨロズ先輩の綺麗な瞳と美しい声によって、より拍車がかかっている。
常識を説きながら玄関へと向かい、靴箱の前でトランクケースに入って、『さあ、そろそろ行きましょう、森田君』と目配せするヨロズ先輩は、なかなかにシュールだった。
どうしてヨロズ先輩はこんなに非常識な事を、これほど真顔で言い放てるのか。
何が良くて、悪いのか。
コインの表と裏のよう。
ここ最近、森田君としては常識と非常識の区別が曖昧になってきていた。
だが、やるといった以上、ヨロズ先輩をほっておくわけにもいかない。
森田君はトランクケースを閉め、キャスターの動きを確認し、玄関ドアを開けて外に出てから、預かっていたカギで玄関に鍵をかけた。
長い道のりがまた始まる。
森田君はひゅっと息を吐いて、パンパンと自らの両頬を叩いた。
目指すは山だ。
山の中腹の雑木林までは、何としてもたどり着こう。前回よりは、前に。少しでも進歩したところをヨロズ先輩に見せたい。
森田君はそう思い、両拳を握り締めて気合いを入れた。
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