第6話




     4



 見慣れた一軒家が目に入っても、森田君の気持ちは強張ったままだった。今日の出来事を思い返し、来週の事に思いを馳せると、足取りが重くなっていく。


 この先、どうなってしまうのか?

 全く分からない。


 けれど、このまま終わってしまうなんて、森田君は嫌だった。

 中途半端は好きでは無い。


 鍵を入れたところで、戸の鍵が閉まっていない事に森田君は気付いた。

 女性ものの靴が玄関にある。テレビの音も聞こえてくる。


 家に誰かが居るようだと、森田君は家の奥を見た。


「おばさん? リコ姉ぇ?」


 森田君は腰かけて靴ひもを解きながら、首をひねって屋内へ声をかけた。


 森田家の合鍵を持っているのは、父親を除いてその二人だけだ。居間の戸が開き、少女が顔をひょっこりとのぞかせた。意志の強そうな目が森田君と合うと、ショートヘアを揺らして足早に歩み寄って来た。隣家の幼馴染である高校二年生、保羽リコだった。


「なんだ、リコ姉ぇか」

「リコ姉ぇか、じゃないっ。清太、玄関の鍵、閉めてなかったんだから!」


 保羽リコはたしなめるように、腕を組んで森田君を見下ろしていた。


「……ほんとに?」

「あたしが嘘ついてどーすんの」

「あれ、おかしいな。出かける時、考え事してたからかな」


 森田君は首を傾げた。

 今朝はいろいろなことで頭がいっぱいで、気が回っていなかったのだろう。


 森田君がそう自省していると、組んだ腕を解いて保羽リコが曇らせていた。


「もう、どうしたの、清太? らしくないなぁ」

「ごめん、リコ姉ぇ」

「……なにかあった?」


 保羽リコの鋭い問いかけに、森田君はドキリとした。


「え?」

「なんだか、疲れてるみたいだし」


 保羽リコが心配そうに森田君の顔を覗き込んできた。


 些細な変化でも気付いてくれる。

 こうした関係は、小さい時分から変わらない。


 森田君と自らの額に手を当て、保羽リコは熱を確かめている。真っ直ぐな瞳が心の内側まで見透かしてくるようで、それは困ると森田君は目を逸らした。


「大丈夫だって、リコ姉ぇ」

「ほんと? 頭、ぼやっとしない? 咳はない? 寒気とかは?」

「ちょっと寝不足なだけで、なんでもないよ。あ、そうそう――」


 森田君は話題を変えるべく、先程、警察屋さんに会ったことを伝えた。あの警察屋さんは、保羽リコのお兄さんだ。近頃家に帰っていないらしい。

 元気そうだったと森田君は伝えた。


 もちろん、ヨロズ先輩との事は除外しながら。


 森田君から顔と手の平を離し、保羽リコは腰に手を当てて顔を膨らませた。


「ったくもう、清太に伝言するくらいなら、顔くらい見せに帰ってくればいいのに。その方がお母さんだって喜ぶし、ほんっと兄さんは……」


 ぷりぷりとしている保羽リコへと、森田君は首を傾げて見せた。


「それで、リコ姉ぇはなんでウチに?」

「ん? ああ、そうだった。夕ご飯、ウチに食べにくる約束でしょ? 呼びに来たのに清太が居ないから、待ってたのよ。おじさんも用事が済んだら来るってさ」

「父さんが? またすっぽかすんじゃ……」

「ははっ、かもね。お母さんは足りない食材の買い出しに行ってるから、私たちで鍋とか食器の準備、それと簡単な下ごしらえくらいはしとかないと」


 保羽リコがそう言って腕をまくると、森田君はわかったと二階を指さした。


「そだね。じゃあ、着替えて来るよ」

「わかった。なるべく早くウチに来て。あと、鍵、閉め忘れないように!」

「はい、リコ姉ぇ」


 苦笑いで自室に戻ると、森田君はベッドに倒れ込んだ。枕へと顔をうずめ、息を吸う。そこでやっと、身体に溜まっていた様々な力を抜くことが出来たような気がした。


(今日の出来事は、いったい何だったんだろうか……?)


 告白は成功した……と、森田君は思えなかった。

 好きだと告白したら、埋めてくれと言われ、埋めに行ったが失敗してしまった。


(つまりこれは、告白は受け入れられなかったと言う事?)


 いやいや、先輩は来週もチャレンジしましょう、と言ってくれた。

 だから、まだ脈はあるのだ。

 よかった。


(……いや良くないっ!)


 森田君は枕から顔をあげ、首を振った。

 ちっとも事態は好転していない。


 そもそも好きだからといって、相手の言う事を何でも聞いてしまうのは良くないのではないか? 都合のいい男になってしまうのではないか?

 ここは毅然とした態度で注意すべきではないか? 

 人を埋めるなんて間違っています、と。


 ヨロズ先輩は上級生だけれど、言うべき事はしっかり言わないとダメなはず。

 けれどヨロズ先輩と森田君は対等ではない。惚れた者の弱みだ。森田君は先輩に嫌われたくないが、ヨロズ先輩はそうは考えて居ないだろう。


 せっかく先輩から頼って来てもらえたのだ。しかもヨロズ先輩の『他の人に知られたくない』という素振りを見る限り、森田君の口の堅さを信じてくれているのだろう。


(信頼は裏切りたくない。人として)


 それに、ヨロズ先輩と二人だけの秘密を持てるなんて、素敵な事だ。

 しかしヨロズ先輩は『私が好きなら埋められるはず、行動で示して』と言っていただけで、埋めればお付き合いできる、という事ではないのかもしれない。


「はうあうわぅぅ……」


 奇妙な声を上げて森田君は頭を抱えた。

 考えれば考えるほど、こんがらがってくる。


(いやいや、もっと単純に考えるべきだ。これは先輩へのアピールチャンスだ、って)


 告白した時の蛮勇を思い出せ、と森田君は自身に言い聞かせた。

 後先など考えていたら、ヨロズ先輩に対して告白など絶対していなかった。一歩踏み出してしまえば、あとは前進あるのみではないか。


 今ここで奮い立たずに、なんとする。


(それにしても……)


 森田君は自分の不甲斐なさを思い出した。


(知らなかった……好きな人をトランクケースに詰めて、穴を掘って山中に埋めるというただそれだけの事が、これほど大変だったなんて……ボクってほんと、経験浅いな……)


 高校一年生でそんな事を知っていたら問題である。という冷静な判断力が、恋する男子高校生にあろうはずもなく、ベッドから降りて森田君は腕立て伏せをはじめた。


 とにかく体力だ。

 山に入れば坂道が続く。ヨロズ先輩は雰囲気や設定を大事にする人だろうから、トランクケースから出て歩くなどと言う協力は望めないだろう。


「森田君、死体が歩いていたら台無しだわ。ゾンビものじゃないのよ?」


 そう言われる事は、森田君にも何となくわかる。

 想像以上に女の子は重い。


 先輩の体重はおおよそ……五十キロ……くらい、だろうか?


(いや、もっと重かったような……い、いやほらっ、せ、先輩は背が高いしっ! 服も着てたしっ、女の子の体重は大陸間弾道弾ミサイルの発射コードよりも知ろうとしてはいけないモノ、ってリコ姉が前に言ってたし……そもそも、相手が何キロだろうが軽いと思えるくらい自分の身体を鍛えれば済む話じゃないかっ)


 バスを降りてから人気のない坂道を行き、穴を掘って埋める。

 技術もあるだろうが、基本は体力勝負だ。


 スタミナが無い事には話にならない。今日、嫌と言うほど思い知らされた。明日は筋肉痛になるだろうから、より思い知る事になるだろう。


(朝はランニングだな。あと、学校までは自転車ではなく歩こう。これから毎日、欠かさないようにしないと。運動部の人にトレーニングの仕方を聞いておこう)


 なるべく坂道が多いコースを探るのだ。教科書も学校の下足ロッカーに入れたりせず、リュックを重くして担ごう。ペットボトルの水を入れるのが良いだろう。

 シャベルやスコップの使い方にも慣れておいた方が良い。


 坂道を登っている時や、穴を掘っている所で息が上がるような、そんな軟弱な所をこれ以上ヨロズ先輩に見せるのは、森田君の男としてのプライドが許さなかった。


 森田君は腕立てを止めると、ノートにやるべきことを書き出した。身体を鍛えるにしても、ちゃんと計画的にやろうと思ったのだ。

 なにせ、やる事は多い。


 ちなみに、件の誘拐事件は恋人同士の戯れだったらしい。それを通行人が誤って記憶して通報しており、女性の無事が確認され、カップルは警察から厳重注意を受けたそうである。という事が、地元のテレビ局で報じられていた。


(まったく、あんたらのせいでこっちは危うく心臓止まるかと思ったんだぞ!)


 保羽家で鍋をつつきながら、森田君は心の中で吠えた。


 しかしその直後、このバカップルに文句が言えるほど高尚な事をしていなかったという事実に気づき「でもまあ、お互い様ですよね……」と何とも言えない心持ちになった。




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