意識世界と無意識世界の恋 ~マンタ釣り~
SOUSOU
第1話
少しかすれた老人の声がどこからか、「18・19・・・・20」と聞こえる。
その「20」という声に合わせるかのようにバスはある駅でとまった。
☆☆☆
森の中を運転手のいない、20人ほどをのせた小型のバスが思っているよりも早いスピードでかけてゆく。悠子は一瞬「怖い」と思い、下をうつむき、他の乗客をゆっくりと見まわしたが周囲は平然としていた。
一つ前に座る学生らしき男性は文庫本まで手にし、くつろいでいた。
文庫本の大きめのもくじが視界に入る。「マンタ釣り攻略法」と書かれた文字を悠子は確認するように目で追った。「マンタ?釣り?意味が分からない・・・」悠子は首を振り、外の景色に目をやった。真っ暗な夜中の匂いに、朝方の静けさ、そして妙な閉塞感を感じる空気。見えるのは遠くの山の街並みだけ。「何かいつもの日常と違うような気がする・・・」悠子はそう溜息をつくと、現実逃避かのように目をつむり、自分を落ち着かせようと深呼吸を2回した。肺から吐きだされる空気が煙のように白くもれる。
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このバスの持ち主は、ある老夫婦。主にバスの操作をするのは、年老いた男性の方だ。操作といっても、男性は数字を大きな声でよみあげるだけ。なのに、バスは男性の「1・・・」で、出発する。それも、坂道になると速度をあげて・・・。
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同乗していたタケルは悠子の恋人。タケルもまた、他の人間と同じようにビックリもせず、居眠りまでしている。悠子はなぜだか、一言も話せなかった。必死でバスにしがみついていた。「このバスはどこに向かっているのだろう・・・」そう思うと同時にこのバスの老人の声に身を任せるしかないのかな、と半ば諦めの心情になっていた。バスはその間も休む事なく、走り続ける。長い長いトンネルをぬけ、いくつもの坂道を走り、いつの間にかバスはロープウエイが通りそうな小高い山のお腹あたりまで走ってきた。
「20」の声でピタッと止まったバスは「着きましたよ」と言わんばかりにドアを開けた。順番をまてない人達が我先にと狭い出口に急ぐ。そんな後ろ姿を見ながら悠子はタケルを見た。タケルはまだ席に座ったまま、外を眺めていた。そんな2人を気にする事なく、次々と人が降りていく。悠子もおいていかれまいと黒い小さな鞄を手にした。みんなは、大きめの鞄を重たそうにもっている。赤・白・緑・黄色、カラフルな大きなバッグが目の前を「お先に」とでもいうかのように通りすぎていく。悠子は自分の小さなハンドバックが恥ずかしくなり、背中で隠すように後ろに持ち直した。そして、タケルを見た。タケルもいつの間にか大きめの鞄を足元から引っ張り出していた。そして、ポンと悠子の方を叩いた。運転手のいないバスが新しい場所へ出発する準備をしているように見える。もう悠子の後ろに人はいない。悠子とタケルがバスを降りた瞬間、またどこからともなく老人の声が聞こえた。「1・・・2・・・・3・・・・」バスは「はい」とでもいうように出発していった。悠子はバスの後ろ姿に見とれた。
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「悠子、いこう」、タケルは悠子の名前をよんだ。悠子は、どこにいくのかを聞いていなかったのか、聞いた内容を忘れたのか、よく分からないでいた。そんな悠子を気にする事なく、タケルは楽しそうな表情を浮かべている。温度差がありすぎて、悠子はタケルに何も聞けなかった。そんな悠子の視界に一人の女性の姿が入ってきた。悠子とは正反対にスタイルは抜群、姿勢も凛としていて、女性の美しさを全て持っているような女の人。「こんなところに、一人で?・・・・」と不自然さを感じたが、ここでは全てが悠子にとって不自然だったので、妙に納得できる事だとも感じた。
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咲というその女性は一見無愛想だが、笑う笑顔がなんとも自然でかわいらしさを醸し出す。特に右頬にできるえくぼがかわいらしさを強調していた。悠子とは対照的な活発そうな女性だ。この時はこの女性が自分の人生に関わるなど思ってもいなかった。
タケルはそんな咲に見向きもせず、この土地ならではの「マンタ釣り」に夢中になっているようだった。今日のために購入したという新しい大きな、2メートルほどある緑色の竿を何度も確認するように手でなでながら・・・。辺りをみると先ほどのバスの状況と同じようなカラフルな世界が広がっていた。それぞれが、得意げに自分の竿を確認している。
中には改造しているような何色も重なる様な竿を持っている男性や小さめのピンクのラメ入りの竿を2本左右の手でもっている女性もいる。同じような年頃から年配の人、子供連れの家族までいる。悠子は自分は竿を持っていない事をふと思い出したが、こんな競技はしたくなかったので、丁度いいかと思いなおした。
「こんな竿、どこに売っているのだろう、見た事もない」と首をひねりながら、タケルの後をついて歩いていた。「マンタ釣り?あの水族館でみるサメのようなマンタ?それを、こんな高台で釣る?」悠子は自分がおかしいのか、周りがおかしいのか、という疑問ももうどうでもいいようなくらい混乱していた。でも、どこかで、「地上マンタを自然界で捕獲することは不可能に近い事だ」と聞いたことがあるような気がする。いつ、どこで、誰に聞いたのだろうか・・。悠子の頭の中に沢山の文字が羅列していた。それを並び変えようとしていた時、中年の男性の声が聞こえた。
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「集まってください。マンタ釣りの競技に出られる方はペアを組んでください。もうすぐ始まりますよ。ペアが決まりましたら、抽選をしますので事務室の受付まで来て下さい」と係員の男性が大きな声で案内していた。タケルは当然というように悠子の手をひっぱった。「さあ、受付に行こう、この抽選が大切だからね」タケルは楽しみで仕方がないと言う表情で声を発していた。悠子は、「無理、無理、絶対無理だから」と必死に訴えた。「それに竿も忘れてきちゃったのよね、ごめんね、しっかりと応援するから。誰か他の人とペアを組んでくれないかな?」悠子は持っていない竿の事をタケルに話した。タケルは「竿、忘れたの?今日の為に練習を重ねてきたのに・・・」と意味の分からない言葉を吐き捨てた。「練習を重ねた?」悠子は買ったこともない竿について再び首をかしげた。まもなく、受付が締め切られる。周囲のみんなは開始間近の緊張感を楽しんでいるように見えた。それぞれのカラフルな大きな竿を自慢げに持ち何やら作戦を練っている。
「もうすぐ締め切りますよ」と声が聞こえたとき、咲という女性は、悠子に躊躇することなく、当然かのようにタケルの手をひっぱった。「早くいかないと間に合わないわ」、そういうと重たそうな黄色の竿を軽々と片手にもってタケルの手を引き、駆けて行った。タケルも驚きの表情というよりも、競技ペアが確保できたことに安堵感をもっているように見えた。悠子の方を振り向き「いってくる」とでもいうように片手をあげ、相方の竿と去って行った。
悠子は2人の後ろ姿と、仲よさそうに寄り添う緑色とコーラル色の男女のような竿をみながら、なんだか無性に寂しくなった。同時に参加しなかった自分を少し恨んだ。
「どうして・・・・」とタケルにいうように自分に声をかけた。そして俯いた。
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陸地にいるマンタには10センチくらいの茶色い毛が全身に生えている。なんとも不気味な生き物にみえる。のそり、のそりと地上を這いつくばっている。みんな丸々と太っている。音こそ聞こえないものの、ウニョウニョ動いている。その動きがなんとも日常にみえる。オスマンタには黒い斑点模様が頭部分についている。メスマンタは這いつくばっている時は見えないが、お腹部分にオレンジ色の細い縦線が2本入っている。受付を終えた全参加者は15ペア(合計30人)、5ペアづつがチームになり対決する。Aグループ・Bグループ・Cグループにわかれ、それぞれがぶつかる。最初はAグループ対Bグループの対決だ。事務所前に張り出された紙を見るとタケルと咲の名前がAグループにあった。悠子はAグループが入場してくる門の一番近くの見学席をとった。見学といっても試合にでない人達が見ているだけなので、東京ドーム3つ分くらいはある会場には寂しく見える。参加者はそんな事にはお構いなしで、優勝することばかりを考えているようだった。年に1回開かれるこの「マンタ釣り大会」はグループ表彰をする大会だ。そして、それぞれのグループの5ペアには普段では手に入らないマンタの肉片を加工した優勝賞品がもらえるらしい。この肉片はものすごい高値で売れると近くのペアが話しているのを悠子は聞いていた。
まず、第1試合はAチーム対Bチームだ。参加する5ペアがAチーム専用の門から次々と入場してきた。それも歩いてではなく、2人乗りの小型の空中ブランコのようなそれでいてまるで宇宙船みたいな乗り物に乗って登場する。そして全グループの登場が終わると、ペアの紹介が行われる。Aチーム「タケル・咲ペア」と紹介された時、2人の乗るシルバー色のブランコは高く上昇し、急下降した。そして、窓からにこやかに手を振っている。悠子は何だか遠くにタケルが行ってしまった感覚に襲われた。全員の紹介が終わると早速競技に入る。男性の「ピー」という開始の合図が鳴り響く。ここは屋外。ドームに屋根はついているらしいが、天候が良いとのことで今日は開けられていた。ここは小高い山の中間地点。地面にはマンタが30匹ほど這っている。小さいものでも3メートルほど。大きいものに至っては6メートルもある地上マンタ。
それぞれのチームがこの日のために練習してきたとばかりに意気揚々としている。竿を何回ともなく上下に振るペア、的を絞って集中して竿を振り下ろすペア、ブランコの操縦に苦戦しているペア、それぞれが本気で競技に取り組んでいるのだけは悠子にも伝わってきた。
各席には丸くて小さい操縦ハンドルがあり、それを前後左右に操作しながら、長い竿の先から延びる白い太い糸を垂らして、マンタを捕る。2人で協力しながら多くとれたチームの合計点数がきそわれる。
その乗り物はなんとも非日常感を醸し出していた。透明のグレーの屋根が光の加減で光る。席は大人が2人座るのに、妙に狭い。なのに、きっちりと腕置きが装備されている。タケルと咲の腕が心なしかくっついて離れないように見える。そんな小型の飛行船の馬力はすごい。200キロはゆうに超えそうなマンタを軽々と釣り上げる。竿の針がマンタの口にひっかけて釣るペアもいれば、長い糸をマンタの大きな体にグルグル巻きつけて釣るペアもいる。それぞれが釣りあげたマンタは、サッカーゴールのような大きな網の中にいれる。その網にはグループで色分けがされている。Aチームは茶色い網、Bチームは蛍光の黄色の網だった。一人が竿で釣りをする間、もう一人は操縦士の役目をする。時折交代しながら制限時間40分を奮闘するのだ。マンタも心なしか、緊迫感を感じているように見える。のそりのそりした動きの中にも命の危機を感じるように必死にうごめいている。
向かう方向が同じで重なり合ってしまったマンタも見える。飛行船は2匹獲得のチャンスとばかりにそのマンタの頭上に集まる。飛行船が衝突するとマイナスの原点算定になる為、みんな慎重な操作で竿をしならせている。「右・右!」「いや、もう少し左!」こんな声がいろんなペアから聞こえてくる。
☆☆☆
タケルと咲は初めてペアをくむどころか、初めて会ったとは思えないほど息がぴったりあっていた。「もっと、右に操作して!」「了解」、「さあ、糸をたらすわよ、」「了解」、などと息のあう言葉をかわしながら、糸をしならせていた。悠子はAグループの門の近くから少しはなれた事務室に移動しようとしていた。なんだか、これ以上見ていたくなかった。「マンタ・・・釣りか・・・早く終わればいいのに・・・」と、もうこれが現実なんだと疑いもしないような口調で呟いた。タケルはそんな悠子の気持ちを知る由もなく、ニコニコと、時には真剣な表情でマンタと咲を目で追っていた。
タケルは必死な運転で、茶色の網の前をグラグラと飛行しながら、網でグルグルまきにしたマンタを入れようとしている。小さなハンドルを前後左右に力いっぱい操作する。風が吹く度に飛行船はゆれる。「もう少しよ、タケル!」咲の声が響く。
隣には派手なピンクの竿を持ったペアが見える。大きなマンタを2匹も網で巻いていた。狭そうにマンタがウニョウニョ動いているのが見える。
「ジョン、よく見て!」「イエス」、と声が聞こえる。どうやら、外人のペアである。実力はタケルペアと同じくらいに見える。「どっちが先に網に入れるのだろう・・・」悠子は初めてマンタ釣りの世界に足を踏み入れていた。「あ~」、悠子のため息と同時にジョンの運転する飛行船から、マンタが落ちていった。網にうまく入らなかったのだ。どうやらジョンのペアはマンタに巻き付けた糸が甘かったようだった。悠子はおもわず声をもらした。
☆☆☆
「ピー、終了」、この声がかかったと同時に、空中ブランコはゆっくりと動きを止めた。家に帰るように各飛行船は自分の元の位置にゆっくりと帰っていった。
「私たち、2匹もゲットしたじゃない!やったわね」咲はタケルに声をかけた。タケルもうれしそうに咲の言葉にうなづいた。タケルは、試合の結果に喜んでいるのか、咲とのペアによろこんでいるのか分からなかった。悠子は歩みを進める中で、初めて、もやもやした熱い、そして痛い気持ちを抱いた。
会場を見ると、網に入ったウニョウニョしたマンタがいくつも見える。優勝できるかどうかは、マンタの数と、捕獲するときに出す技の点数化の合計だ。
悠子は早く負けて帰りたかった。次はどこにいけるのかも、悠子にはもうどうでもよかった。とにかく咲という女性と離れたかった。「どこか」、にいきたかった。
マンタの口に糸を付けて捕獲する点数はマンタの数×10、それに対し、体に巻きつける捕獲はマンタの数×20で計算する。今回のマンタは動きが活発だったせいもあり、例年よりも成績がすぐれないようだった。Aチームのマンタ捕獲は9匹。Bチームのマンタ捕獲数は7匹だった。数が読み上げられると、Aチームの歓声の声が入場門付近から響いた。「良かったわね。これで、次はCチームとの戦いね」咲は体を寄せるようにタケルに近づいた。
「活躍賞ペアの発表を行いますので、事務所の掲示板まで各ペア、一人づつ、集合してください」というアナウンスが終わるか終わらないかの間に、ザーとみんなが一斉に事務所めがけて駆けていった。タケルもその中にいた。タケルは最近買ったばかりのブルーのTシャツに汗をなじませながら、颯爽と走っていた。
「こんなにかっこよかったかな、タケル・・」なんて、また初めていだく温かな、新鮮な気持ちに悠子は浸っていた。タケルは「ヤッター」と声をあげながら、もどってきた。悠子のもとにではなく、咲のもとに・・・。悠子は、気づかないふりをせずにはいられなかった。自分を保つのに精いっぱいだった。「どうして、うれしい報告を一番に私じゃなく・・・」、というところで思考を一生懸命に振り払った。そして、再び笑顔と視線をタケルにむけた。でも、もうそこにはタケルはいなかった。タケルは咲と笑いながら、何やらはなしをしていた。これからの作戦であってほしい、悠子はそう思った。
悠子は早くバスの運転手の声がほしかった。17・・・18・・・19・・20、で他の素敵な場所につれていってほしかった。
そんな悠子の願いは叶わなかった。もう少しで、事務室に着くと言う時、悠子の視界に競技参加を断られた大学生が入ってきた。男子学生は競技ではなく、捕獲が目的の可能性が高く、出場を断られていたのだ。大学生の男は、どうしてもマンタの肉片を研究材料として欲しかったのだ。眼鏡をかけ、いかにも真面目そうな青年。でもどこか一直線すぎる感じが、怖い感を醸し出していた。そして、その雰囲気の中に、何かを狙う不気味な強い感情が見え隠れするようにも見えた。大学生の男は何かの合図を受け取ったかのようにタイミングをはかり、力いっぱいそれを引いた。
「バーン」と銃の発砲のような音が悠子の体の中で鳴り響いた。「えっ」とおもうと同時に悠子の体から大量の流血が溢れていた。大学生が誤って撃ってしまったのだ。一番小さいマンタを狙って発砲したつもりが、悠子の歩みと重なってしまったのだ。学生はもう動くこともできず、固まっていた。なのに、感情は脈脈と動いているようにみえた。そんな正反対の空気が会場内には充満していた。
タケルは音と同時に悠子を探した。そして、悠子の倒れている姿をみつけて、叫んだ。
「悠子!」
その声に抱きしめてほしくて、悠子はタケルをみた。その視界には、咲がタケルを見つめる姿が入ってきた。
「いやー!タケル」と力一杯叫んだ。
☆☆☆
「悠子は遠い世界に旅立ってしまった・・・なのに僕は・・・」タケルは自分の心を疑っていた。
☆☆☆
☆☆☆
最愛だと思っていた人間が死んだ日に、交差するように別の人間と恋に落ちられるものなのか・・。
「人という生き物はそんなに愚かで、儚いものなのか・・・。」
タケルは自問自答するように小さくつぶやいた。となりには、悠子がすやすやと寝息をたてている。シングルベッドの狭い空間に2人は飛行船に乗るかのように寄り添い、時間を共にしていた。
「どうかした?すごい汗・・」と悠子が心配そうに話しかけてきた。
タケルは自分の心臓の大きな鼓動に一瞬びっくりしながら、愛想笑いを返事のかわりにした。
「僕は、一体、誰に恋をしてしまっていたのだろう・・・。」
「僕は、悲しみの底の中で、だれを求めていたのだろう・・・。」
タケルは息を一息つくかのように、「ふ~」と、深呼吸し、天井をみあげ、ものおもいにふけった。
そして、「あの後は・・・・」、とつぶやき、再び深い眠りについた。
☆☆☆
大学生の男は、そのまま警察に連行されていった。でも、どこか満足げな不気味さをかもしだしていた。
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☆☆☆
☆☆☆
その頃、南下警察署ではバス爆発事故の名簿が押収されていた。名簿には、8月17日早朝バスツアー、乗車客:坪井タケル・高橋咲(ペア参加)とかかれていた。そして、ずっと下のほうには中井悠子(個人参加)・・・柴田実(個人参加)と。そして、実の名前の下には赤いペンで被疑者と殴り書きがのこされていた。
☆☆☆
葬儀がはじまり、「本日は 高橋咲、の為にこんなにもお集まりいただいて・・」と喪主の挨拶がきこえる。咲の母は、誰かをさがすように会場を見渡した。彼にもここに出席してほしかった。咲のあらたな旅立ちに・・。とタケルの名をつぶやいた。
突然のバスの事故。数人が命をうばわれた。「でも、タケルくんにはこれからの人生、精一杯いきていってほしいと願う・・・」とでもいうように咲の母は空を見上げた。
参列者名簿には、連絡済とかかれたクラス名簿がならんでいる。幼稚園、花組とかかれた用紙には、坪井タケル、高橋咲、・・・・・そして中井悠子・・・柴田実・・・と名前がならんでいる。大学名簿にも目をうつす。経営学科クラス名簿とかかれた薄茶色の紙には、中井悠子・・高橋咲・・・坪井タケル・・・柴田実・・・と。実の名前の上には大きく×印がつけられている。
☆☆☆
「18・・・19・・・20、つきましたよ。」と、どこかで無人のバスが今日も出発する☆☆☆
タケルは病室に来た看護師の声で再びゆっくりと目をさました。そして、そばにいる女性をじっと見た。そして、何かを確認するように話しかけた。
「僕は助かってしまったのかい?」「君が僕たちと同じバスに乗っていたとは・・・。咲は、咲は、死んでしまったのかい?・・・。」と。そして、涙し、嗚咽した。
悠子は予測していたかのように静かにうなづき、まるで「これからは私があなたのそばにいるから・・・・。ずっとずっと前からこうしていたかったの・・・・。」とでもいうような視線をあびせた。タケルはそんな悠子に寄り添って泣いた。
タケルはふと幼少期の昔話をした。
「なつかしいね。悠子は積極的で活発でいつも僕に一緒にあそぼう、と手をつなぎにきたね。そんな悠子とは対照的に、咲は目立たない大人しい女の子で・・・。懐かしいよ。そんな僕たちが同じ大学の学生になって、まさか僕が咲とお互い魅かれあい、恋人同士になるとは思ってもみなかったよ。そうそう、実、ってそんな男の子同級生にいたっけかな。僕には記憶はないよ。でも幼稚園の卒業アルバムには確かに写っていたね。どこか一直線に前を見る雰囲気の男の子。まさか、彼も同じ大学に進学していたとは・・・。いつも悠子の後ろに隠れるようにいたあの子かな・・。「悠子が僕を追いかけるのと同じように、彼もまた悠子を追いかけていたね。」「彼と君は偶然一緒のバスだったの?」と、タケルはまるで聞いてはいけないことを聞くかのように話かけてきた。悠子はタケルを見ることなく、「大学生限定の旅行格安バスツアーだったし、地元も同じなんだからこんな偶然もあるんじゃない」、とあっさり答えた。
「でも、まさか、実がバス事故の犯人だったとは・・・。しかも、爆破物をリュックに入れてバスに乗り込んでいたとは・・・」とタケルは理由が分からない現実に頭を抱えた。悠子は「まだ疲れているんだから、もうすこし休んだら?」と優しく女性らしい声をかけた。悠子の手には軽いやけどの治療跡がある。白い包帯が事故後間もないことを示している。タケルは、事故直後で思考回路が回らないのか、それとも、これ以上は聞けなかったのか自分でも分からなかったが、それ以上何も触れず、静かに目を閉じた。
最後にタケルは目を閉じたまま、何かを確認するかのように、悠子に小さな声でつぶやいた。
「あのさ・・・マンタ、マンタ釣り、って知ってる?・・・」、とさっきまで見ていただろう自分の夢の話を切り出した。
悠子は、表情を少しも変えることなくタケルをしっかり見つめ、静かに、不気味でそして満足げな笑みとともにこう放った。
「もちろん、しってる・・・わよ」と。右頬にえくぼが浮かび上がる。
☆☆☆
無意識の世界に触れた男。
そんな無意識をしる事無く死んでしまった女。
意識の世界だけに溺れていった男。
そんな人間の裏腹な内で泳ぎ続けている女。
「人間の意識世界と無意識世界は我々が思っている以上に裏腹なものなのか・・・」
そして、
「人間は大切な人の為に自分の人生を犠牲にすることが、無意識の世界でも本当に幸せなのか・・・」
そしてまた、
「人間は事実をしらないままでいる事が幸せな意識世界なのか・・・」。
☆☆☆
今もまた、どこからか、耳をすませば聞こえてくる声がある。
「1・・・2・・・3・・・・」そして「18・・・19・・・20到着」と。
了
意識世界と無意識世界の恋 ~マンタ釣り~ SOUSOU @yukiko
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