ヒナビヒナ

@mojamoja

ヒナビヒナ

 山奥にある長閑な村。

 何もない村ではあったが、子供達は野山を駆け回り、大人達は田畑を拓く。そんな自然と共に生きている村であった。


「ふふ~ん! 私の勝ちぃ!」

「つえーよ! なんで女なのにそんなに足はえーんだよ!」

「私が早いんじゃなくて、みんなが遅いのよ!」

「お前が早すぎるんだよ!」


 村の広場では、子供達が鬼ごっこに興じている姿があった。


「お前に勝てるのって……一人しかいないじゃんか!」

「あいつよりも私は早いもん!」

「お、言ったな! よし! 競争だ!」

「良いよ!」


 少年と少女が鼻息荒く、闘争心を燃やしていると。


「そろそろご飯だよー!」

「「「はーい!」」」


 そこに近くの家の子供の親が声を掛けてきた。それがいつもの解散の合図でもあった。


「よし! じゃぁ家まで競争な!」

「良いよ!」

「よーい……どん!」

「あ、ずるい! 待てぇ!」


 フライング気味にスタートした少年を追う少女。2人は隣同士であるため、いつも帰りは一緒であった。いわゆる幼馴染である。

 こうして、いつもどおりの日常を送り、各々の家へと帰る子供達。

 これがいつもの村の日常であった。




「『ヒナビヒナ』様に感謝を込めて」

「「「いただきます」」」


 この挨拶は食べる前に毎回行われる儀式のようなものであった。

 小高い山の上にある神社。そこに祀られている『ヒナビヒナ』。村を守る神様として昔から村人達に崇められていた。


「ごちそうさまでしたー!」

「こら! 食べた食器くらい片付けなさい!」

「えー」

「じゃないと明日一日食事抜きよ」

「は、はい!」


 悪ガキで知られるその少年も、母親には頭が上がらないようであった。

 片付けながらもブツブツと文句を言う少年。


「こんな時、兄弟がいたら、押し付けるのになぁ……」

「バカなこと言ってないで早く片付けなさい!」

「はーい」


「兄弟……か……」

「もう! あなたも馬鹿なこと言ってないで早く食べてください!」

「はいはい」

「おとん、おかん……なんだかキモいぞ」

「片付けたなら早く自分の部屋に戻りなさい!」

「ひゃい!」


 父親の呟きに若干顔を赤らめる母親。黙々と食べ続ける父親。

 その様子を怪訝な様子で見つめながら、つい口にした言葉が母親の逆鱗に触れる少年であった。




 その夜、少年は夢を見た。


「う、うーん……」


 決壊した堤防から流れる濁流に村が飲み込まれ、村人ごと押し流される夢。悪夢以外の何物でもなかった。


「はっ!」


 目が覚める少年。上半身を起こし息を整える。両手を見ると汗でびっしょりと濡れていた。


「嫌な夢だな……」


(でも……凄く怖かった……)


 その夜は、夢の恐怖が拭いきれず、久々に両親の布団に潜り込む少年であった。




 悪夢から数日。

 その日は朝から大雨であった。


「これじゃぁ、仕事もままならねぇ」

「こういう日もありますよ」


 そんな両親のやり取りを聞き流しながら少年はあの日の悪夢を思い出していた。


(まさか……)


「こら! どこ行くの! こんな日に外に出るなんて危ないでしょ!」

「すぐ戻るから!」


 思わず少年は村の近くにある堤防へと駆け出す。


「あれは……?」


 その様子を隣の家の少女が見ていた。少女は男勝りな性格をしていた。


(きっと、何か良いこと思いついたんだ!)


 そっと後を追う少女。2人は堤防へと駆け出した。




 少年が着いた先には土で造られた堤防があった。


「あれ? やっぱり気のせいだったのかな?」


 雨で確かに川の嵩は上がっているものの、決壊するような感じはまったく無い。その場で雨に打たれながら考え込む少年。その時ふと視界の端にある物が映った。

 それは治水と農業用水の確保のために造られた石造りの水門であった。


「まさか……」


 少年はその水門へと駆け出した。

 水門の扉自体は無事なようであったが、それを支える石造りの部分にヒビが入っていた。


(み、みんなに知らせないと!)


「こんなところで何してんの!」


 その時、少年の背後から声が聞こえた。慌てて振り返る少年。そこにいたのは隣の家に住む少女であった。


「お前! なんでここにいるんだよ!」

「こんな雨の中、走ってたから、きっと秘密基地にでも行くのかと思ったんだ!」

「ばかっ! 早く戻れ!」

「なんだよ! 水門の先にでも作ったのか?」

「そんなんじゃない! 危ないから早く戻れよ!」

「やだよ! 私も行く!」


 少女は昔から思い込みが激しいところがあった。今回はその性格が最悪の方向へと向かってしまう。少年の下に駆け出す少女。少女が少年の下に辿り着いたその時……


「うわっ!」

「きゃっ!」


 石造りの水門部分が大きな音を立て崩壊し、同時に盛られていた土の部分も水の勢いに負け崩れていった。

 当然その部分に立っていた二人もその崩壊に巻き込まれ……




「うわぁあああ!」

「朝からうるさいっ!」

「痛っ!」


 少年はそこで目が覚めた。と、同時に頭に走る衝撃。どうやら起こそうと部屋に来た母親に頭を叩かれたようであった。

 頭を撫でながら涙目で先程のことを考える少年。


(夢……だったのかな……)


 実際に自分は部屋で寝ている。だが、夢だと断じるにはあまりにもリアル過ぎた。


「『ヒナビヒナ』様に感謝を込めて」

「「「いただきます」」」


 日課の挨拶を終え、朝食を食べる少年であったが、夢のことが頭から離れず、母親に早く食べろと何回も叱られる羽目となった。もちろん、味なんてまったく分からなかった。




 数日後。

 その日は朝から大雨であった。

 あの日以降、夢のことが頭から離れない少年は、隣の少女に気づかれないように気をつけながら、以前の夢のタイミングよりも早く堤防へと足を運ぶ。そこには……


(やっぱり! 夢だけど夢じゃなかったんだ!)


 以前見た夢のような酷い状況ではないものの、このままでは決壊することは少年の目からみても明らかであった。


(みんなに伝えないと!)


 急いで村に戻る少年。


「堤防が壊れそうなんだ!」

「はいはい、それは大変だね」

「本当なんだって!」


 近くの村人から順に声を掛けていくが、村人はまったく取り合わない。

 それもそのはずで、以前からいらずらっ子で有名であった少年は、こういった嘘をよくついていたのだ。


「信じてよ! 今回は本当に本当なんだ!」

「そんなことより、雨の中走り回ってると風邪引くわよ」


(ダメだ。俺じゃ誰も信じない!)


 ここに来て初めて自身の行いを後悔する少年。

 その後も懸命に村の家々を回るが、わざわざ雨の中を少年の嘘に付き合って避難しようする者は結局現れず。


「何だこの音は?」

「水だ! 川の水がこっちに流れてくるぞ!」

「早く山に逃げるんだ!」

「だめだ! 間に合わない!」


 少年の健闘むなしく、村は濁流に飲み込まれて……




「うわぁあああ!」

「朝からうるさいっ!」

「痛っ!」


 少年は再度目が覚めるのであった。


「『ヒナビヒナ』様に感謝を込めて」

「「「いただきます」」」


(あれは夢じゃないんだ。どうにかしないと……)


 少年は必死に考えるが、行き着く先は『どうにもならない』という結論ばかりであった。生まれてまだ十年と少しの少年には良い考えが思いつかないのも仕方のないことであった。思うことはただ、自分がもっと普段から嘘をついていなければ、いたずらをしなければ、という思いばかり。

 結局、なんの解決策も思い浮かばないまま数日が過ぎ……


「今日は朝からよく降るわね」

「これじゃぁ仕事もままならんよ」

「きっと『ヒナビヒナ』様がたまには休んだらと言っているんですよ」

「そうかもな」


 大雨の日を迎えるのであった。


(どうにかしなきゃ……どうにかしなきゃ……どうにかしなきゃ……)


 少年は朝からそのことばかりを考えていた。


「おとん!」

「なんだ?」

「ちょっと堤防見に行かない?」

「は? こんな雨の日に行くわけがないだろう」

「ちょっとだけ! ほんのちょっとだけだから!」

「こらっ! 引っ張るな! 行くなら勝手に行けばいいだろうが! というかそもそもこんな雨の日に堤防なんて危ないところに行くわけがないだろうが!」

「痛っ!」


(やっぱりダメか……)


 一か八かで父親に懇願してみたが、やはり普段の行いのせいか。まったく取り合ってくれなかった。代わりにげんこつをもらい涙目で頭を擦る少年。


 以前来た時より早く堤防へと足を運ぶ。

 夢であってほしい。その願いは堤防を確認すると同時に打ち砕かれた。

 以前見た光景とほぼ一緒。崩壊しかけている堤防を背に少年は駆け出した。


「おとん!」

「急に出ていったと思ったら今度はなんだ!」

「堤防が壊れかけてるんだ!」

「お前っ! まさか堤防に行っていたのか! 危ないからあれほど行くなと行っただろうが!」

「だって!」

「だってもへったくれもあるか! 心配を掛けるんじゃない!」

「でも、本当なんだ!」

「まだそんなことを言うのか!」

「おとん! 信じてくれよ! 本当なんだよ!」


 拳を振り上げ激昂する父親に向かって、少年は必死に訴えた。喉がはち切れるのではないかと思うほど、声を振り絞った。目からは涙を流し、鼻からは鼻水を垂らしながら、それでも必死に父親へと訴えた。そのあまりの様子に父親は振り上げた拳をゆっくりと下ろす。


「……本当なのか?」

「絶対に絶対に本当! みんな避難しないとこのままじゃ飲み込まれるんだ!」

「……分かった」


 顎に手を当てしばらく考えていた父親であったが、何かを決意したのか姿勢を低くし、少年に視線を合わせた。


「堤防に見に行っている時間は?」

「そんな時間ないよ! 俺が行った時はいつ壊れてもおかしくなかったから!」

「そうか。よし、村を回るぞ」

「うん!」


 そこからは母親も連れ立って家々を周り、堤防が決壊間近であることを訴えた。幸い父親は村でも信用のある人物であったため、村人達は急いで準備をし、小高い山の上にある神社へと集まる。

 そうして村人全員の避難が完了した頃……


「おい! あれは!」

「水だ! こっちに水が流れてくるぞ!」

「ああ……俺の家が流されていく……」 


 自然という脅威に無力感を味わいながら、その惨状をただただ黙って見つめる村人達。


「でも、誰も死ななかったな」

「ああ、それもこれも全部……」


 村人達が少年の父親に視線を向ける。


「お前のお陰だな」

「ああ、本当にありがとう」

「命の恩人だ!」


 口々に少年の父親に感謝をする。


「いやいや、俺じゃないよ」

「え? 違うのか? じゃあ一体誰が?」


 少年の父親は、そういうと神社に視線を向け……


「『ヒナビヒナ』様からお告げをいただいたんだ。それに従って行動したまでさ」

「なんと! そうだったのか!」

「『ヒナビヒナ』様からお告げだなんて……なんて羨ましい!」

「すごいじゃないか!」

「『ヒナビヒナ』様がまた我々を守ってくださったんだ」

「ありがたやありがたや……」


 村人は――いや、父親ですらまるで少年のことが見えていないかのように振舞っている。

 その光景を黙って見つめる少年。


「よかった……これでよかったんだ……」


 いつの間にか少年の首には細長く上下が尖っている光沢のある石のついたペンダントが掛けられていた。そのペンダントは淡い光を放っていた。

 父親を中心にした村人達の集団の中に少女の姿を発見する少年。


「ばいばい」


 少年はそう呟くと、村人達に背を向け神社の奥へと消えていった。




 森の奥へと入った少年は、そこにいる者の前で足を止めた。


「ただいま」

「おかえりなさい」


 そこには腰から下が捻れた樹木となって地面に突き刺さり、両腕も肩から樹木となって左右にある木と同化している――一見すると樹木に縛り付けられているのではないかと見間違うような者がそこにいた。

 その者の胸にも少年同様光り輝くペンダントがあった。


「俺、村人救えたよ」

「そうだね。おめでとう」

「うん……」




 あれは数日前のことであった。

 少年は自分だけの秘密基地を作ろうと神社の奥へと入り込んだ。

 そこは大人たちからは「絶対に入ってはいけない『ヒナビヒナ』様の聖地」とされている所で、逆を言えば子供が隠れるにはうってつけの場所であった。当然、少年がそんな場所を無視するわけはなく、奥へと進んでいく。


「ここらへんでいいかな?」


 そこはとても森の奥だと思えないほど不自然に開けた場所であった。少年はそんなことに違和感を覚えるはずもなく、喜々として持ってきた紙や糸、そして辺りにある木を使って秘密基地を作成していく。


「でっきたぁ!」

「おーよくできてるね」

「うわっ!」


 急に後ろから話し掛けられ驚いて振り返るとそこには、さっきまでは確かにいなかった人のような何かがいた。


「こんにちわ」

「ひぃっ!」


 理解しがたい者を目にした少年は腰が抜けその場を動けないようであった。ガクガクと震えながらその場にうずくまる。


「大丈夫。怖くないよ。私はあなた達をずっと見守っている存在なんだから」

「……え?」


 優しく語り掛けられたこともあるが、その内容が気になった少年は涙目になりながらも顔を上げる。


「『ヒナビヒナ』……聞いたことあるかな?」

「う、うん。いつも食べる前に『ヒナビヒナ』様に感謝してから食べるよ」

「それね。私なの」

「え!?」


 目の前の者から語られる衝撃の事実に驚き固まってしまう少年。ただ、不思議とその言葉は心にすっと浸透していくようで、目の前の者は『ヒナビヒナ』様なんだと信用することができた。


「私は普段、人からは見えないんだけどね。見えたあなたには少し頼み事があるんだ」

「な、なんですか?」


 『ヒナビヒナ』様だと分かってはいても、その容姿があまりにも人間離れしているため、未だ恐怖心は消えない少年。だが、普段感謝している者からの頼み事だと言われれば聞かないわけにはいかず、恐る恐る聞き返した。


「これから数日後にね。大雨が降るの。そのせいで、村の堤防が壊れちゃうんだ」

「えっ!?」

「だからね。それを君に止めて……ってわけにはいかないから。この山にある神社までみんなを案内してほしいんだ。そこなら安全だから」

「で、でも……」


 自分になんてできるわけがない。そう言おうとした少年の言葉を『ヒナビヒナ』は遮った。


「大丈夫。君にならできるよ。私には分かるんだ」

「む、無理だよ! 誰も俺の言葉なんて……」

「いつも見守っていたからね。ここ一番で頑張ってる君の姿を私はいつも見ていたよ」


 優しい口調で『ヒナビヒナ』は続ける。


「少女がいじめられた時、一番最初に助けたのは君だよね?」

「え? う、うん……」

「隣の家が火事になりかけた時、いち早く気づいた君は誰もよりも早く駆けつけて人知れず消してたよね」

「う、うん……でも……」

「そうだね。結局、火をつけたと勘違いされておとんに凄く怒られてたね」

「うっ……」


 少年が誰にも言わなかった――いや、言っても誰も信じなかった事実を、『ヒナビヒナ』は見ていてくれた。

 その事実が何よりも嬉しかった。


「だから大丈夫。君ならできるよ。私はそう信じてる」

「本当に……俺ならできるかな?」

「うん。絶対に大丈夫」


 『ヒナビヒナ』にまるで全幅の信頼を寄せられているのでは、と思ってしまうほどその言葉には説得力があった。


「俺、がんばるよ!」


 決意を新たに少年は『ヒナビヒナ』と視線を合わせて力強く言い放った。


「そう。やってくれる気になったんだ。私は嬉しいよ。ありがとね」

「うん!」

「あ、でも……」

「どうしたの?」


 直後に『ヒナビヒナ』な不安そうな顔になったため、少年も同様に不安に襲われる。


「この広場を出たら、私のことはきっと忘れちゃうんだ」

「それじゃ……俺、頑張れないよ」

「大丈夫。大事なことはきっと覚えているはずだから」

「そうなの?」

「君ならきっと大丈夫。絶対にみんなを助けられるから」

「分かった! 俺がんばるよ!」

「うん。応援してるよ」


 こうして優しい笑顔で少年はその広場を送り出されるのであった。




「元気がないね。どうしたの?」


 うつむいたまま、微動だにしない少年に『ヒナビヒナ』は優しく語り掛ける。


「だって……」


 その間も胸元にあるペンダントの光は強くなり続けていた。


「だって!」


 少年はその光と共にすべてを思い出していた。目の前にいる『ヒナビヒナ』に駆け寄りぎゅっと抱きついく少年。


「こらこら、急に抱きつかれたらびっくりするじゃないか」

「……」


 少年は『ヒナビヒナ』の言葉には反応せず、ぎゅっと抱きついたままであった。


「仕方ないなぁ……」


『ヒナビヒナ』は困ったように笑った後、ゆっくりと目を瞑る。直後、胸元のペンダントの光が増し輝き出した。目をつぶっていた少年にはその変化は気づかない。光が先程の状態にまで収まると……


「よしよし……」

「……あっ」


 『ヒナビヒナ』の樹木化していた両手は人間の手となり、少年の頭を優しく撫でる。


「よくがんばったね。えらいえらい……」

「う、う……うわぁあああん!」


 『ヒナビヒナ』の言葉を聞いた途端、号泣する少年。それも仕方のないことであった。なぜなら、それは昔の記憶とまったく一緒の感触であったのだから。そう、目の前の『ヒナビヒナ』は……


「お、お姉ちゃぁあああん!」

「よしよし……」


 少年の姉であった。




「それじゃぁそろそろ私はお役御免かな」

「え?」


 しばらく少年の頭を撫でていた姉は少年が落ち着いてきた頃を見計らって、不意にそんなことを呟いた。意味が分からず見上げる少年。


「や、やだよ! これから一緒に暮らすんだよね!」

「ごめんね。それは無理なんだ」

「なんでだよ!」


 収まっていた少年の瞳にまた涙が溜まっていく。


「それが『ヒナビヒナ』だからだよ」

「無理じゃないよ! 一緒に暮らそうよ!」

「ごめんね。本当に……ごめん」


 ぎゅっと姉に抱きつきながら必死に訴えかける少年。その少年の頭を優しく撫でながら姉はただただ謝るだけであった。


「さぁ石をこっちへ……」

「ぐすっ……ぐずっ……ひっく……」


 姉のお願いに一向を聞こうとしない少年。姉は困り顔になりながらも、再度優しく頭を撫でながら語り掛けた。


「大丈夫。私は完全にいなくなるわけじゃないよ」

「……そうなの?」

「うん。分かるんだ。きっと私はこの石の中で生き続ける」

「石の……中……」


 姉が指さすのは少年の胸に掛けられた光り輝くペンダントであった。


「そうやって、『ヒナビヒナ』は連綿と受け継がれてきたんだから」

「お姉ちゃん……」

「だから大丈夫。私はいつもそばに居るよ」


 姉は少年に優しく微笑み、そっと少年の涙を指で掬った。


「さぁ、石をこっちへ」

「……うん」


 少年は手に持ったペンダントを姉に向ける。そして、姉も胸のペンダントを少年に向けた。そのペンダント同士が触れ合った瞬間……


「うわっ!」

「くっ!」


 ペンダントから膨大な光の奔流が溢れ二人を包み込む。


「お姉ちゃんお姉ちゃんお姉ちゃぁああああん!」

「……ありがとうね」


 そしてその光が収まった頃、そこには少年の姿しかなかった。いや、少年だった姿しかなかった。

 少年の下半身は捻れた樹木となり、両腕は左右の木と同化している。先程みた姉と同様の姿であった。

 そう、新たなる『ヒナビヒナ』の誕生であった。


「今まで村を守ってくれて……ありがとう」


 『ヒナビヒナ』は空を見つめそっと呟いた。




 数年後。

 『ヒナビヒナ』となった少年の下に一人の少女が訪れていた。


「ほんと、村の男共は見る目が無いんだから!」

「そうなんだ?」

「だってこの私に誰も告白してこないのよ! それこそが何よりの証拠よ!」

「そっか。そうだね」

「はぁ~……村の男達も『ヒナビヒナ』様みたいに優しかったらなぁ……」


 そう、それはあの日別れを告げた少女であった。


「俺は優しくなんてないよ。ただただ、村のみんなを見守り続けることしかできないからね」

「それが十分優しいのよっ! もうっ! 『ヒナビヒナ』様こそ全然自分のことが分かってないんだから!」

「そうかなぁ?」

「絶対そうよ!」


 連日この広場に押しかける少女。広場を出れば『ヒナビヒナ』のことは忘れるはずなのだが、なぜか少女は毎日ここにくることができているのであった。そして、ここに来れば連日の記憶が蘇り、一方的に『ヒナビヒナ』に話し掛けてまた、村へと帰っていく。

 『ヒナビヒナ』になった元少年にとっては、初めて騒々しい日々を送っていた。だがそれは逆に心地が良いものでもあった。

 あれから数年が経ち、女性らしさがでてきた少女ではあるが、男勝りな性格までは変わっていなかったようで、その相変わらずの明るい姿を見れただけでも『ヒナビヒナ』は嬉しかった。


(でも……俺の姿が見えたってことは……)


 そして、それと同時に複雑な感情が『ヒナビヒナ』を襲っていた。


(次の『ヒナビヒナ』は彼女ってことになるのか……)


 『ヒナビヒナ』は少女の言葉に耳を傾け笑顔で応えていながらも、どこかその笑顔には影が見え隠れしていた。


「どうしたの? なんだか元気がないようだけど……それとも、私の顔になんかついてる?」

「ううん。なんでもないよ」

「『ヒナビヒナ』様、なんか変なの」


 『ヒナビヒナ』はそれには答えず、ただただ笑顔を少女へと向けていた。




(来た……そうか……今度は地震か……)


 それから数日後。とうとうその日を迎える。『ヒナビヒナ』には予知能力があるのか、感覚的にそれが分かるようになっていた。


「君にお願いしたいことがあるんだ」

「きゅ、急に改まって一体どうしたのよ?」

「実は……」


 『ヒナビヒナ』は数日後、この近くで大きな地震が起きること、このままでは村人達はその地震で発生した土砂崩れに巻き込まれて大量の死者がでてしまうこと、それを少女が救ってほしいことを伝えた。


「む、無理よ! 私なんかにそんなこと……」

「大丈夫。君ならできるよ」


 男勝りな少女は、小さい頃から少年の側にいたためか、少年同様正義感の強い人間へと成長していた。いや、この場合は少年の行動に感化されたというべきか。現に少年と積極的に出会う前の少女は気弱であったのだから。

 そんな少女は、少年が消えてからもその正義感は消えることはなく、困っている村人や子供達に救いの手を差し伸べていた。

 その様子を『ヒナビヒナ』も当然見守っており。


「君にしかできないんだ。だからお願い」

「『ヒナビヒナ』様にそこまで頼まれたら……断れるわけないじゃない!」


 ふくれっ面の少女ではあるが、そこまで気分を害しているわけではなかった。むしろ照れ隠しなのがバレバレで思わず笑ってしまう『ヒナビヒナ』。


「ふふっ……それじゃぁお願いするね」

「わ、分かったわよ!」




 それから数日。

 『ヒナビヒナ』との記憶は無かったが、予知夢として本人は処理していたようで、連日連夜見るその夢をきっかけに、少女は村人を救うために奔走していた。

 普段の行動が幸いして、あの頃の少年とは違い、少女の言に疑いながらも信用はしてくれている村人達。


(さすがだな。俺の時とは全然違うや……)


 その様子を遠くから見守りながら、苦笑いを浮かべる『ヒナビヒナ』。順調ではあったが、『ヒナビヒナ』は一つだけ大きな不安を抱えていた。


(姉さんはペンダントの力でおそらく時を戻していた……でも、自分にはそれはできない。つまりやり直しはできないんだ……)


 そう、『時を戻す能力』が今の『ヒナビヒナ』には備わっていなかった。代わりの能力はあるのだが、姉の能力ほど強力なものではなかった。


(でも、やるしかない。絶対にみんなを救ってみせる……)


 『ヒナビヒナ』は決意を新たにその日を待った。




 そして、地震当日。

 村人達は安全な場所――つまりは神社の境内に続々と集合していた。

 そしてついにその時を迎える……


「お、おい。地面が揺れだしたぞ」

「本当だ! やっぱり彼女の言葉は正しかったんだ」

「みんな地面に伏せるんだ!」


 地震は大きく揺れてはいたが、しばらく後に止まった。


「よかった……これでみんな助かっ……あれ?」


 その時、少女は周りを見回して違和感に気づいた。


「お母さんがいない……」

「おい、あれ!」

「お、お母さん!」


 神社から見下ろすと、そこには地面でうずくまる少女の母親の姿があった。


「なんで……どうして……」


 少女は涙目でパニックになり右往左往するばかりで、解決策が見つけられなかった。


「向こうの山が……」


 誰かが言ったその言葉に我に返った少女は向かいの山を見た。そこには木がところどころ倒れ、同時に地面からもゴゴゴといった重低音が聞こえてくる。『ヒナビヒナ』の予言通り、土砂崩れの前兆であった。

 その様子をみた少女はますます追い詰められる。そして……


「た、助けてもらわないと!」

「おい! どこにいくんだ!」


 そう叫ぶや否や、彼女は神社の奥へと走り出した。自分の母親がいる場所とは真逆に進む彼女を見て戸惑う村人達。


「俺たちだけでも……」

「ダメだ! 今行けば巻き添えを食らうだけだぞ!」

「でも……」


 結局村人達に結論は出せず、ただただ、見守り続けるしかなかった。




(なんで私こっちに走ってるんだろう……)


 少女は自分が母親とは逆向きに走っていることに違和感を覚えながらも、その足を止めることができない自分自身に戸惑いを隠せないでいた。


(でも……なんだか分からないけど……こっちに行けば大丈夫なような気がするんだ!)


 そうして、とうとう例の広場に入る。


「『ヒナビヒナ』様、お母さんを助けて!」


 『ヒナビヒナ』のことを思い出した彼女は大声で訴えた。


「大丈夫。任せて」


 『ヒナビヒナ』は胸元のペンダントに手を添えると、ペンダントは急激に光り輝いた。


「きゃっ!」


 思わず、目を瞑り光から顔を背ける少女。しばらく後、収まった光に視線を戻すと。


「早く背中に乗って!」


 そこには、下半身の樹木の捻れが解け、両腕も木から離され翼のように広がった『ヒナビヒナ』の姿があった。これが今の『ヒナビヒナ』に授けられた能力、『飛行能力』であった。


「え? の、乗るんですか?」

「うん! 飛んでる最中、俺は手が使えないからね。君がお母さんを助けるんだ」

「わ、分かりました!」


 とは言ったものの普段、感謝している『ヒナビヒナ』に跨ることに躊躇していた少女であったが、これも母親のためだと覚悟を決め『ヒナビヒナ』の背中に跨った。

 少女が跨ったことを確認した途端、大空へと飛び立つ『ヒナビヒナ』。


「しっかり捕まってろよ!」

「ひゃ、ひゃい!」


 大空へと飛び立った二人は、森を飛び出し、早速眼下に見える母親を補足する。

 それと同時に土砂崩れが起きていることも。

 急いで少女の母親の下へと飛んでいく『ヒナビヒナ』。


(お母さん……お願い、間に合って!)


「あと少し!」

「お母さん! 捕まって!」


 空から声を掛けられて見上げる少女の母親。そして迫りくる巨大な何かに再度頭を両手で抑えてその場に伏せる。


「お母さん! 私だよ! お母さん!」


 少女は必死に呼びかける。だが、母親は顔を上げない。気づけば土砂崩れもすぐそこまで迫っていた。

 地面に着地している余裕などとてもではないが無かった。


(こうなったら、できるかどうか分からないけど……)


 『ヒナビヒナ』は胸元のペンダントに意識を集中させる。突如光を増すペンダント。そうして……


「今のは?」

「君は振り落とされないようにしっかり捕まってるんだ! お母さんは俺が助ける!」

「え? は、はい! 分かりました!」


 『ヒナビヒナ』の下半身からは大きな鉤爪が生えてきており、それを使って少女の母親を捕まえる。


「よし!」


 そしてそのまま神社まで二人を運ぶ『ヒナビヒナ』。


「ひ、人が空を飛んでいるぞ!」

「なんだこれ……」

「奇跡だ……」


 村人達には『ヒナビヒナ』は目視できていないようで、ただただ、少女の母親が空を飛んでいるように見えているのであった。


「これもきっと『ヒナビヒナ』様のお陰だ!」

「そうだな! そうに違い無い!」

「ありがたやありがたや……」


 その様子を優しく見守る『ヒナビヒナ』と少女。気づけば少女の胸元にも少年と同様のペンダントが光り輝いているのであった。




「それじゃぁ……俺の役目はそろそろ終わりかな」

「やだよ! せっかく思い出すことができたのに! いきなりお別れなんて! そんなのひどすぎるよ!」


 森の奥に二人で帰るや否や、『ヒナビヒナ』はそう呟いた。当然すべてを思い出した少女は猛烈に反対する。『ヒナビヒナ』の胸元で泣きわめく少女。その姿に以前の自分を重ね合わせる。そして……


「大丈夫。俺はずっと少女と一緒だよ」

「……え?」


 以前、自分が言われたことを同じように繰り返すのであった。

 実は自身が少年から『ヒナビヒナ』になって以降、姉の存在を感じたことはなかった。おそらく、姉はこのことを分かっていたのだろう、ただ少年を納得させるためについた『優しい嘘』であったのだ。

 そして同じことを自分も行おうとしていた。


(仕方ないことなんだ……だから……ごめんな)


「石の中で俺は生き続ける。それが……『ヒナビヒナ』なんだから」


 そう、優しく少女に語りかけた。昔自分がしてもらった時と同じように『優しい嘘』をついて。

 その様子をじっと見つめる少女。しばらくその状態が続いていたのであるが……


「……嘘」

「え?」


 彼女の一言でその静寂は破られた。


「嘘つく時、右頬が上がるの。気づいてなかったでしょ?」

「え、ええ!?」


 彼女はすべてを思い出していた。そう、『ヒナビヒナ』が少年であった頃の記憶もすべて。その中には癖などももちろん含まれれていた。そうして『優しい嘘』はまんまと見破られるのであった。

 いつの間にか二人のペンダントの光はなりを潜めていた。


「探そ!」

「え? 探すって何を?」


 急な言葉に『ヒナビヒナ』の思考が追いつかない。キョトンとした顔で聞き返す。


「だから探すの! 2人で一緒に暮らす方法を!」

「そんなの無理だよ。こうやって受け継ぐのが『ヒナビヒナ』として……」

「そんなの関係ない!」


 少女をなんとかして説得しようとする『ヒナビヒナ』であったが、言い終わる前に断ち切られた。


「今までの風習や伝統なんて関係ないよ! 絶対に私達で探し出すの!」


 少女の満面の笑みに、思わず視線を外してしまう『ヒナビヒナ』。


「それに……」

「それに?」


(君もいるし……)


「な、なんでもない! とにかく良いから早く行こう! 早く変身して!」


 少女は赤くなった顔をごまかすように大声を張り上げ催促した。


「あれ……凄く疲れるんだよ?」

「い・い・か・ら・は・や・く・!」

「はいはい、1度言ったら聞かないところは、ほんと昔のまんまなんだな……」

「なんか言った?」

「いいえ、なんにも」


 『ヒナビヒナ』は変身し、少女を背に乗せ大空へと飛び立った。


「絶対に探し出すんだからね!」

「そうだね」

「本当に思ってる? もしかして面倒臭いなんて思ってるんじゃないでしょうね!」

「全然」

「ならいいのよ!」

「記憶が戻った途端、『ヒナビヒナ』使いが荒くなるんだから……」

「いいのよこれで!」


 少女は『ヒナビヒナ』の上で笑顔で胸を張る。


「君がなんであろうと君は君なんだから!」

「俺は俺……」

「そう! 君は君!」

「そっか……俺は俺……か……」


 『ヒナビヒナ』になって考えもしなかったことを突きつけられ、驚きながらも妙に納得してしまう元少年。


(強いな……自分とは大違いだ……)


 『ヒナビヒナ』という運命をただただ受け入れた自分とは違い、あくまでも自身の望む形を追い求める少女。

 それに感化されたのか、元少年も憑き物が落ちたようににこやかに笑うことができていた。


「それじゃぁ! さらにとばすよ! 振り落とされないようにね!」

「了解!」


 気合を入れ直した元少年は速度を上げ、少女を乗せ大空へと消えていく。

 雲一つ無い青空は2人を優しく迎え入れているかのようであった。


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ヒナビヒナ @mojamoja

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