曼殊沙華に囲まれて
藤原ピエロ
冷たい自然の風
電車を降りたとたん、風がさぁっと吹き抜けていき、手に持った花束を揺らす。冷たくて、自然の香りのする風だ。その空気を胸いっぱいに吸い込むと、懐かしい思いがこみ上げてきた。電車がガタゴト音を立てて走り去っていくのを見届けて、さてどうしようかと考える。
埼玉県日高市の西南にある高麗川に来るのは、何年ぶりだろうか。ここには、十二歳まで住んでいた父方の実家がある。
「ふるさと」と呼ぶにふさわしいのかわからないこの地に、私はなぜか吸い寄せられるように来た。
まずはお墓に行こうか。一人でそう呟いて、歩き出した。
秋分の日は、あの世とこの世が最も通じやすい日だという。墓には、私の会いたい人が眠っている。強くて、優しくて、いつも私と一緒に泣いてくれた人。その人に会えるのではないかと、私は密かに期待していた。
お墓は、駅から徒歩十分程のところにある、とても小さな墓地だ。水道でバケツに水を汲んで、柄杓と共に持っていく。霊園の端にある「古賀家」と書かれた墓に行き、墓誌に彫られた文字を撫でながら言う。
「真梨衣だよ。会いに来たよ」
それから、墓石に水をかけ、花を花立に挿していると、後ろから声をかけられた。
「おやまあ、珍しいねぇ。真梨衣ちゃんじゃないかい」
振り返るとそこには祖母がいた。
「今日は秋分の日だもんなぁ」
驚きで目を丸くする私をそっちのけに、祖母は私と同じように一連の作業をこなしたのち、手提げ袋から線香とライターを取り出した。それを見て、私は、あ、と声を上げた。そういえば線香を忘れていた。祖母は線香皿を見て、「二人でお線香分けようか」と言った。
「真梨衣ちゃんにお参りしてもらえて、ロジーナさんも喜んでるだろ」
線香に火をつけて、合掌し終えると、祖母は言った。
私の母、古賀ロジーナは、ドイツ人で、私が七歳の時に病気で亡くなった。父は日本人なので、私はハーフだ。「真梨衣」という名前は、日本でもドイツでも通じるようにと付けられた。
父は母の死後、しばらくは実家にいたが、その後望月家に婿養子に行ったため、今の私の名前は古賀真梨衣ではなく望月真梨衣だ。
「真梨衣ちゃん、巾着田に行かないかい?」
バケツと柄杓を戻し、寺を出ると、祖母がそう提案してきた。私はちょっと迷ったのち、うん、と頷いた。
巾着田とは、高麗川に囲まれた巾着のような形をした平地のことだ。日本一の曼殊沙華の群生地としても知られていて、寺からは徒歩数分で行くことができる。母とも毎年のように行っていた。
久しぶりの巾着田は、曼殊沙華の最盛期を迎えていた。
「真梨衣ちゃん、いくつになったんだい?」
真っ赤なじゅうたんの中の道を歩きながら、祖母と言葉を交わす。
「十五歳だよ」
「あれまあそうかい。ずいぶんロジーナさんに似てべっぴんさんになったねぇ。髪も栗毛色で綺麗だ」
そう言われて、私は自分の容姿を思い浮かべる。顔立ちはほりが深くて身長もすらりと高い。まさに、外人さん。
「私は黒髪がよかったなぁ」
ぽつりと呟くと、祖母は、どうしてだい? と私が言い出すのを待つかのように聞いてきた。
「私ね、いじめられてるの」
ひとこと言いだすと、溢れ出すように言葉が出てきて止まらなくなった。
「望月の家の人は皆私のことが嫌いで、『これだから外人の娘は』とか、『あんたを見てるとイライラする』って言ってくるの。学校でも『ちょっと美人だからってお高くとまって』って言われたり、物を隠されたりするんだ。ママもおばあちゃんもいつも私を慰めてくれたけど、今は誰もいないの」
ねえ、辛いよ。ずっと誰にも言えなかった言葉が、すんなりと出た。そうだ。私は助けて欲しかったんだ。涙が出てきて俯くと、おばあちゃんは私を抱きしめて「ごめんね、ごめんね」と言った。
「もし、辛くなって、もう耐えられないってなった時は、うちにおいで。じいさんもおばあちゃんも真梨衣ちゃんのことが大好きで大切だからね」
その言葉に、わたしはまた泣いてしまった。泣きながら見た曼殊沙華の中には、一輪だけ白いものがあった。
ああ、仲間だね。白い曼殊沙華に、私は心の中で語りかけた。
「ねえ真梨衣ちゃん、曼殊沙華の花言葉って知っているかい?」
祖母の問いに、私はううんと首を横に振った。
「曼珠沙華の花言葉は色々あってね、おばあちゃんが教わったのは『思うはあなた一人』。おばあちゃんはここでおじいちゃんにプロポーズされたんだよ。曼珠沙華は『おめでたいことが起こる兆しに天から降ってくる』って仏教の経典からつけられた名前だから、それにあやかったんだろうねぇ」
でね、と祖母は話を続けた。
「その話をロジーナさんにしたら、白い曼珠沙華には違う花言葉もありますねって、教えてくれたんだよ」
何だと思う? 茶目っ気たっぷりに聞かれて、私は悩む。その様子を見て、祖母は微笑みながら答えを教えてくれた。
答えを聞いて目を見開く私をちらりと見て、祖母は「さてそろそろ行かなくちゃねぇ」と言った。辺りに人はいなくて、私と祖母、そして曼殊沙華だけがあった。
「真梨衣ちゃん、いつでもいいから、またおばあちゃんのところに来ておくれよ」
ロジーナさんと一緒に待っているからねぇ。祖母はそう言い残して、すうっと消えていった。
私の祖母は、私が十歳の時に亡くなった。仕事で忙しい父の代わりに、また亡くなった母の代わりに私の世話をしてくれた、母と同じくらい、大切な存在。
「また来るに、決まっているじゃん」と私は涙をぬぐって言った。
「だって今日は、ママとおばあちゃんに会いに来たんだもの」
それに、と私は白い曼殊沙華を撫でながら言った。
「白い曼殊沙華の花言葉は、『また逢う日を楽しみに』なんでしょう?」
秋分の日は、あの世とこの世が最も通じやすい日。だから祖母は来てくれたのだろうか。
「来年は、ママにも会いたいな」
私は、天に向かって語り掛けた。爽やかな風がさあっと吹き抜け、曼殊沙華を揺らした。
曼殊沙華に囲まれて 藤原ピエロ @piero_fujiwara
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