【I-022】北から砂漠へ

 イメルダの乗ってきたという船を見て、一同は目を丸くせざるを得なかった。……南の大陸からの長旅なのでそれなりに丈夫で大きな船であろうとは想像していたものの、それは豪華客船さながらの、海に浮かぶ豪邸と呼べるような代物だったからだ。

 「え、イメルダおめえ……何者なワケ?」

 エクラヴワの王子であるレオナールだが、自らの立場を棚に置いて思わずそのように尋ねてしまった。

 「ん、アタシ?アタシのお父さんはね、アロナーダ城下町の市長なんだよ~」

 何を勿体ぶる様子もなく、この大柄で豪快な女性はそのように立場を明かした。世界的にも最上級の豊かさを誇るアロナーダ王国の、その城下町の市長のひとり娘。彼女の言っていることが真実であれば……この船を所有している理由にも納得がいく。イメルダはこの船に何十人もの使用人を乗せて、このミリエランスにただ観光のためだけに来ていたというのだ。

 「彼のリカルドを誘ったんだけどさあ、仕事が忙しいって言うから~。一人で来たんだよ、つまんなくってさあ」

 彼女はそう言いながらも、ここに来て新しい友達ができて嬉しいらしくはしゃいでいる。レオナールたちよりもかなり年上のようなので、その様子がやや滑稽ではあるが……ともかく、ミリエランスの港で大目立ちしながら停泊しているこの船に、一同を気軽に招き入れてくれた。その中には豪華な食堂や遊技場、広々とした宴会場などがいくつもあり、エマとリュックなどはまたも幻を見せられているのではないかと、自分の目を疑い始めていた。

 イメルダは一通り彼らを案内して甲板に戻ってくると、楽しい時間が終わってしまって残念というように黒く太めの眉を下げながら、こう言った。

 「せっかく来たんだけど、つまんないから、そろそろ帰ろうと思っててさあ~。でもすーっごい長いんだよね、帰り道。ニヶ月くらいかかるわけよ~」

 そこでイメルダは目の前にいる、まだ船体を感心しながら眺めているレオナールと、全く興味がないといったように斜に構えているシーマとを、にやにやしながら交互に眺めた。そして……何を思ったか、その間にずかずかと入っていって両者の腕を強引に捕まえたので、二人はぎょっとして彼女の顔を見た。

 「お兄さんたち、すっごくハンサムじゃ~ん。……一緒に旅したら、とっても楽しいと思うんだよねえ」

 「え、俺は…?」

 ジャンは彼らの後ろで、呆気に取られたように呟く。エマとリュックも彼と同じようにしていたが、アナがつかつかとイメルダの前に歩み寄ってきて、黒い瞳をこれでもかというほど三角形にして、彼女からレオナールの腕を振りほどいた。

 「レオ、この人情報を持ってると思って付いてきたんでしょ?この様子じゃ役に立たないんだから、帰ろ」

 「でも、おめえアロナーダの市長の娘なんだろ?」レオナールはイメルダを指差しながら、嬉しそうに言う。「すっげえ縁だと思わねえか?こいつと仲良くなりゃ、一気に色々進みそうだぜ」

 シーマもイメルダの腕を自ら振りほどき、また腕を組んでから頷く。

 「確かにな。ミリエランスは期待外れだったが、代わりになる程の価値がある」

 「でもよ、レオ……」

 今度はジャンが、やや困惑したように、髪とは違い地毛の茶色の太い眉を複雑に曲げる。そして懐からくしゃくしゃになった地図を取り出して、レオナールとシーマの前で広げてみせた。

 「ここがアロナーダだろ。すっげえ遠いぜ?前回も前々回も、帝国が狙ったのはウチの大陸だ。それじゃ、次も……ってなった時、戻って来れねえんじゃねえか?」

  それを受けてレオナールは、うーんと言って考え込んでしまう。イメルダはきょとんとして何の話か分からないというようにしていたが、そこへ船の使用人の一人が慌ててやってきた。

 「お嬢様……」

 彼は切迫した様子でイメルダに何か報告している。内容はよく聞こえなかったが……ただ一つ、レオナールの耳に『グランフェルテ』という単語が飛び込んできた。

 「えっ!?な、何だって!?」

 彼がよく聞こうと踏み出すと、機密事項を余所者に聞かれてはまずいと思ったのか、使用人は逃げるように行ってしまった。……対してイメルダは全く緊張感もない様子で、困ったように唇に指を当てた。

 「ごめ〜ん。やっぱ、なんか急いで帰んなきゃなんないみたい。よく分かんないけど、グランなんとかっていうのが来るんだって」

 聞いている一同の顔には、驚きと緊迫が浮かぶ。

 「ま、マジで!?ちょ、ちょっと詳しく聞かせてくれ!」

 「えー、一度聞いただけだし分かんないよ〜。せっかくだから、乗ってけば?」

 イメルダはどさくさに紛れて再び乗船を勧めて来るが、レオナールは躊躇した。……海路でアロナーダを目指すとなると、先ほどイメルダが言ったようにかなり長旅となる。帝国は最新型の飛翔船を使っているのだから、どう考えても間に合わないだろう。……そうやってレオナールがたまにしかしない真剣な表情でいると、イメルダは両手を組んで頬の隣へ持ってきて、その顔を嬉しそうに覗き込んできた。

 「やっだ〜、お兄さんやっぱりカッコいい!イメルダ、どうしても一緒に行きたいのぉ〜」

 「レオ……」アナがまた隣にやってきて、その腕を掴んで彼女からレオナールを遠ざける。「飛翔船で行こうよ。今の話が分かったら、もうこの人に関わる意味ないでしょ」

 「そうだな」シーマもアナに賛同する。「空路で、北回りなら三週間程度あれば着く。既に帝国が出発したというのでなければ、十分に間に合う筈だ」

 「うーん……」

 レオナールはまた暫し考えたが、やがて決意し、イメルダの顔を見た。

 「よし、そうしよう。やっぱオレたち、この船には乗らねえ」

 「えーっ……」

 イメルダは明らかに肩を落として落ち込んだ。

 「……けどイメルダ、おめえも一緒に来てくんねえか。アロナーダのことオレたち何も分かんねえし、さっき言ったようにオレ達にとって、アロナーダに縁ができるってのはすげえことなんだ」

 「えっ!」

 一変して瞳をきらきら輝かせるイメルダを、アナがまた睨み付ける。でも本当に快適なこの船に乗らなくていいのかと尋ねるイメルダに、レオナールは頭を掻いた。

 「……実はさあ、オレ……ちょっと海の船ってニガテなんだよ。今こうやって止まってる船に乗ってるだけでも、ちょっと怖ええし。そこに二ヶ月も乗るなんて地獄だからよ……」

 え、そうだったのか……と言ってアナとジャンが彼の顔を意外そうに見ると、ずっと後ろの方で事態を見守っていたエマとリュックも、ようやく笑いどころを見つけたというように、遠慮気味にははっと声を出した。



 イメルダだけを同行しても、彼女自身が言っているように、アロナーダの情勢はよく分からないだろう。彼女の周りのしっかりとした使用人と護衛兵を数人一緒に乗せ、アクティリオンの緑色の飛翔船は北の方向からそこを目指すべく、飛び立った。

 「わー!わー!こっちの方来るの初めて!もうミリエランス出たのかな!?」

 イメルダは船窓から下を眺めて大変にはしゃぎながら、両隣にエマとリュックを従えて、その肩をぽんぽんと叩いている。それが少し痛いと感じながら、姉弟もその風景を飽きることなく眺めていた。

 「もうミリエランスを出発して三日が経ったから、ずいぶん北に行ったと思うのに……ずっと人が住んでいるのね」

 エマが言うと、リュックはまた得意げになって地図を取り出し、姉とイメルダに見せてきた。

 「ここから北はしばらく、大きな国が続いているんですよ。特にもうすぐ見えてくるコネサンスっていう国は伝統があって、ものすごく大きな図書館があるらしいんです。行ってみたいなあ……」

 ……まだまだ観光気分の三人とは対照的に、レオナールやシーマは少し落ち着かずにそわそわとしていた。グランフェルテがアロナーダに来る、そんな情報を得てから三日が経つというのに、新しい話は何一つ入ってこない。

 「……アイツ、今回は大々的に宣告しねえつもりなのかな……それとも……」

 その情報自体、確かなものでなかった恐れもある。早とちりをしてしまったかもしれないという焦りもあり、レオナールは苛々としていた。彼はちょうどそこへ通りかかったイメルダの使用人……あの時、グランフェルテが来るという情報を持ってきた初老の執事風の男性に食ってかかった。

 「おい、てめえん家がもうすぐ帝国に攻められっかもしんねえんだぜ!?もう少し積極的に情報聞けねえのかよ?」

 ひいいとか細い悲鳴を上げる執事に対し、やり場のない憤慨をぶつける組織の指導者を眺めながら、シーマは呆れのため息をついたが……そこで、ひとつ違和を感じた。

 (……アロナーダほどの大国を、グランフェルテのような小国が攻め落とす……?)

 いくら強さに自信があろうと、そんな無謀をするほど、あのグランフェルテ七世は馬鹿ではないだろう。……シーマはレオナールを執事から引き離すと、それを伝えた。レオナールは意外そうな表情をして、それを会議にかけようと言い、しかし念の為また三日ほど置いてから仲間たちを広間に招集した。

 「この話、今までのように単純なものではなさそうだ。それにあれだけ派手に事前宣告していたはずのグランフェルテが、今回に関してはやはり……まるで秘密裏に動いているかのように音沙汰なしだ」

 シーマがそう言うと、ジャンは不気味そうに眉間にしわを寄せ、隣のレオナールに寄った。

 「……じゃあ、俺たちもあんまり派手に動かねえ方がいいんじゃねえか?……余計なことしてまたシーマ達みてえにとっ捕まっちまったら、しょうがねえし」

 「だからって、指咥えて見てるワケにいかねえ……」レオナールは机上に広げられた地図のアロナーダの名前を睨みつけながら、考える。「とにかく向かうしかねえ。……でも、目立たねえようにする必要はあんな。このまま向こうがこっそり動いてる様子だったら、オレたちも今回は少人数で行く」

 レオナールはジャンに、おめえの髪の毛はグランフェルテ七世に匹敵するくらい目立つからと言って同行を却下した。そしてがっくりと項垂れる彼の反対に座るシーマに、一緒に動いてくれと頼んだ。



 船は北国の白い空を翔け抜け、船の内部へも伝わる極寒の空気に一同は暫し耐えた。そして海を越えると、今度はそこに照りつける容赦のない日差しにうだるようになっていた。

 何とか体調を整えて気を引き締めたレオナールは、改めて窓外を覗き込んだ。火山だろうか……遠目からもごつごつとした岩が転がって、灼熱の恐ろしい雰囲気を醸し出しているのが分かる。そして、それが終わると黄金色の砂漠が見えるのを確認した。

 「……やっぱ、帝国からは何の宣告もねえ……世界のみんなが不気味だって怯えてやがる。親父は何か考えてんのかな……」

 背後にシーマがいると思って振り向くと、そこには焦茶の髪をさっぱりとまとめた、爽やかな青年が立っていた。

 「……誰だ、おめえは」

 「からかうんじゃねえよ。……似合うだろ?」

 少しはにかんだ様子で、慣れない髪を弄りながらそう言うのは、紛れもないジャンである。桃色と黄色を逆立てた、よく見慣れた髪型から一気に変身した彼の様子に……思わず、レオナールは吹き出してしまう。

 「はっはっは!似合う、似合う。やっぱおめえ、ホントはお坊っちゃんだな」

 「うるせえ。……だってよ、レオがあんな事言うから……」

 ジャンは帝国に接触するとなれば、ようやくレオナールに本腰で協力できると張り切っていたのに……頭髪のせいで断られる羽目になったのだ。桃と黄の特徴的な髪型は、仲間内ではまるで彼の商標のような認識だったので、ジャン自身も随分と悩んだが……思い切って、アナに染め直してもらったのだという。

 「だってよ、俺も帝国軍っての見てみてえんだよ。特にそのグランフェルテ七世って奴、レオはずっと追っかけてたろ。あんまりそいつの事ばっか話すから、レオはよっぽどそいつが好きなんだって思って、気になっちまってよ……」

 ジャンはどうやら嫉妬のようなものを覚えていたようである。レオナールはまた可笑しそうに笑うと、彼を安心させるように親指を立てて見せた。

 「分かったよ。じゃあ今回はオレとシーマ、それからジャン、おめえと……あとはイメルダで行こう。後のヤツは、今回は待機しててもらう」

 そう言うとレオナールは再び、窓の外を確認した。そして……突如、栗色の瞳に緊張感を漂わせる。

 「……ジャン、シーマを呼んできてくれ。あと……船のスピード緩めるように、技師に伝えてくれねえか」

 結局シーマかよ、と言いながらも、ジャンはそこを離れる。暫くして船の機動音が少し低くなり、その風景もややゆっくりと動くようになると……レオナールは急いで甲板へ出る階段へ向かい、駆け上る。そこへ設置されている望遠鏡を覗いていると、ジャンがシーマを連れて、戻ってきた。

 「あれを見てくれ」

 レオナールはシーマに望遠鏡を譲る。……既にアロナーダの領土には入っているだろうが、中心部からはかなり離れた小さなオアシスが見える。そこはどうやらアロナーダ軍の防衛詰所か何かのようだが……そこにアロナーダの何隻かの飛翔船に紛れて、一隻だけ様子の違う茶色の船がある。

 「……あの船が怪しいと?」

 「おう。……当てずっぽうで言ってんじゃねえんだ。あの船の周りをウロチョロしてる技師みてえな奴ら……オレ、見たことある」

 それは……確かに、かねてからグランフェルテ皇帝がエクラヴワ城を訪問する際に、彼の乗っていた飛翔船の操縦や整備を行っていた者達が着ていたものに違いない。

 「それならばやはり、帝国は今回、秘密裏で動いているということだ。あの存在を誇示するような白い船ではなく、あんな地味なものを使っているんだからな」

 「くそ……アイツ、一体何するつもりでいやがる」

 レオナールは下唇を噛んだが、そうして気を揉んでばかりいても仕方がない。

 「……こっちも作戦を立てようぜ。イメルダを呼んできてくれ」

 彼はそう言ってその場で胡座をかくと、既に懐に入れていたアロナーダ城下町の地図をそこに広げ、石で固定した。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る