第17話 五稜郭
三日後の夕刻、真純は五稜郭の裏門の前に立っていた。榎本武揚率いる旧幕軍や箱館奉行所があった頃の活気とは大違いで、ひと気もなく静まり返っている。
「遅くなったな。」
提灯を手に突然現れた阿部に真純はびくっとした。阿部は周囲に誰も居ないことを確認し、門を解錠した。阿部に促され、門の中を入っていくと、広い敷地の五稜郭には奉行所だけでなく、長屋の役宅もあったがすべて取り壊されている。
二人は無言で薄暗い闇の更地を歩いた。真純は以前、五稜郭で見かけた松の木を探した。そこに土方のお守りが落ちていたと聞いたからである。松の木はそのままで残っており、その近くに土饅頭を見つけた。
(土方さんはこの下に眠っている?)
「ここか。土方の遺体を掘り起こすか。」
「え?」
阿部は突然真純を押し倒す。表情が憎しみに変わっている。
「土方の首をさらすって言ってんだ、元新選組の小姓さんよ。」
「阿部さん、どうしてそのことを―」
「俺も元新選組だからよ。」
真純は京に居た頃、「阿部隆明」という隊士がいたかどうか思い出せない。
「俺は脱退を繰り返し大坂に居ることが多かった上、御陵衛士になったからな。」
孝明天皇の墓守をする御陵衛士は、新選組を分離し敵対関係にあった。交流があった藤堂平助も御陵衛士として新撰組を離脱し、油小路で新選組の隊士に殺されてしまった。いつ思い出しても胸が痛む事件だった。油小路での斬りあいの時、阿部は留守にしており御陵衛士の屯所に戻ってきて事件を知り、後に近藤勇を襲撃した。
「近藤さんを撃ったのはあなたたち―。」
真純は起き上がろうとするが阿部に押さえつけられて身動きが取れない。
「近藤も京で晒し首にされた。やつらのしてきたことを考えれば当然さ。あんたのことは水に流そうとも思ったが、裏切り者の斎藤とつるんでいるとなりゃ、放っておく訳にはいかねぇよ。」
阿部は真純に馬乗りし、真純の懐から小刀を抜き取る。
「お前も土方と一緒に埋めてやろうか。」
「あんたと札幌なんかに行くより、その方がずっとましよ!」
阿部は真純の首もとに小刀の刃を向ける。
「暴れたらお前も殺す。」
阿部は無理やり真純の唇を吸う。真純が首を振って拒むが阿部は放さない。唇を封じながら阿部は真純の着物の裾を開く。
「斎藤の剣には太刀打ちできんからな。お前を凌辱することが斎藤に対する最高の仇討ちだ。」
真純は、抵抗しようとしたがあきらめた。こんな形ではあるが、土方さんの傍で命果てるならそれも本望だと。
「やめろ!!」
男の叫び声が響き渡る。阿部が声の主に目をやると
「ほぉ・・・まさかあんたとこんな所で会うとはな、斎藤。」
「綾部から離れろ。」
「賊軍のてめぇが俺に命令する気か。高台寺党(※御陵衛士の別名。高台寺に屯所の月真院に屯所をおいた)を裏切り、上に言われりゃどんなやつも斬りやがって、近藤や土方よりもたちが悪い。土方の首とあんたの新選組時代の悪名を晒してやるか。」
「いいから離れろ。」
斎藤は刀を抜いて阿部に向けた。
「これがお前に対する仇討ちだ。」
阿部が吐き捨てるように言う。髪が乱れ顔が汚れ、肌蹴た真純が横たわっていた。斎藤は自分の羽織を真純にかけてやった。
「あんたの手口も最低だ。」
斎藤は居合いの構えをする。阿部も警戒し、刀を抜いた。
「斎藤さん、ここで斬り合うのはまずいです。」
「いや、この男をただで帰すわけにはいかん。」
斎藤は目にも留まらぬ速さで阿部の胴に一打を撃ち込む。阿部も構えの姿勢を取ったが斎藤の方が格段に速かった。阿部は撃たれた箇所を押さえるが傷が浅いのに気づく。
「開拓使での立場を失いたくなければ、行け。」
「くそっ!」
阿部はいまいましい表情を向けて、去っていった。
「けがはないか。」
真純は斎藤の華麗な剣裁きに見とれ、自分の体のことなど忘れていた。
「大丈夫です。」
「あんたは知らぬかもしれんが、阿部は新選組にいた頃阿部十郎と名乗っていた。入隊当初も、脱退して復帰してからも何度と名を変えている。伊東が殺されたと後は薩軍に加わり、鳥羽伏見の戦いから生き延び、時代が変わっていく中、己の生き方を模索しここにたどりついた。俺も阿部と変わらない。あんたに惚れたところもな。」
「お二人は全然、似てなんか…いませんよ…。斎藤さんの方が…素敵です。」
斎藤は真純が起き上がるのに手を貸してやった。
「しかし、あんたは相変わらず身の程知らずだ。阿部と2人で五稜郭に乗り込むとは。」
「すみません。まさか阿部さんが新選組の人だったなんて。」
真純は、阿部のことを誤解されたくなかったので、斎藤に今晩のことは話していなかった。
「阿部は東京で、新選組の生き残りに刺客を送っていると噂があった。病院にあんたを訪ねた時阿部の名を聞いて、あんたか俺を狙っているのはないかと察した。佐野専左衛門殿にあんたが行きそうな場所を尋ねたら、病院か五稜郭だろうと言っていた。あんたが土方さんの遺体のことを気にかけていたことも。…土方さんの墓はこの場所なのか。」
ふと、斎藤は足元の土に触れる。
「遺体はこの辺りに戻ってきたのは確かなようですが…本当にここで土方さんが眠っているのかはわかりません。」
「あの人の居場所など、わからぬほうがいい。」
「そう・・・ですね。でも、私はこの場所だと信じます。」
二人は松の木に向かって手を合わせた。越後高田の謹慎場所を脱走して土方のもとへ向かったが叶わなかった悔しさをぶつけるように、斎藤はいつまでも手を合わせていた。
小雨が降る中、斎藤は真純を下宿先まで送った。
「斎藤さん、今日は助けていただいてありがとうございました。今日も、ですね。」
「俺の刀はそのためにある。」
斎藤のまっすぐな言葉は真純を戸惑わせた。
「…斎藤さん、私は―」
「俺は斗南から出るつもりだ。会津藩、いや斗南藩はもうない※。会津藩士でいる必要はなくなった。これからは、誰のためでもなく自分のために戦い、生きていく。」
(※斗南県となった後、弘前、黒石、七戸、八戸、斗南の5県を合わせて弘前県となった。後、青森県となる)
「でも、私は斎藤さんとやそさんの未来のために、身を引いたんです。」
「言ったはずだ。俺はやそ殿と夫婦になるつもりはない。」
真純はどう言葉を返したらいいかわからなかった。やそや時尾たち、斗南で世話になった人々の顔が浮かんだ。
小雨が徐々に大降りに変わった。
真純は斎藤への思いを断ち切るため、そして斎藤一と言う人物の歴史を変えないよう、身を引いたのだが、また斎藤と出会ってしまった。心が揺れないわけがない。雨などおかまいなしに真純が思いをめぐらせていると、
「真純、あんたの家まで走るぞ、いいか。」
斎藤の髪も濡れている。真純はうなずいた。
斎藤は真純の手をとってひと気のない函館の市街地を走る。斎藤は走るのも軽やかで、真純は雨で濡れる斎藤の手を離さないでいるのに必死だった。雨で体や足先までが冷えようと、斎藤とつないでいる手だけ暖かかった。真純は、このままどこまでも斎藤と駆け抜けて行きたかった。
佐野専左衛門宅の下宿先まで来ると、二人は息が切れ、服はずぶぬれだった。
「雨がやむまで休んで行ってください。」
「いや、俺は帰る。ゆっくり休め。」
斎藤は和傘を借り、来た道を戻っていく。
斎藤の華奢な背中を見送る真純は、追いかけたい気持ちを抑えられず駆け出した。足音に気づいた斎藤は、立ち止まって傘に真純を入れてやる。
「斎藤さん、あの・・・。」
真純は間近にある斎藤の顔を見ることができず、斎藤の胸に額を押し付けた。斎藤の腕が真純を抱き寄せ、二人は傘に当たる雨音を聞いていた。
「今宵、同志であることは忘れろ。」
斎藤が耳元でささやいた。
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