第5話 奉公

 斗南一帯は雪が降り積もり一面の銀世界が広がっている。

 大方旧会津藩士と家族の斗南への移住は済んだが、美しい景色とは裏腹に生活は困窮を極めていた。元藩士といえども農作業や行商、傘張りや機織りなどの内職に取り組むしかなかった。職にありつけない者は山菜や野草など口にできるものを集めたり、政府から支給される米を金に換えるしかなかった。はるばる移住してきたのに、生活費を稼ぐために奉公に出るものもいた。

 雪がちらつく夕方、倉沢の家にやそが訪ねてきた。

「ごめんください。」

 外からか細い女性の声がして、土間にいた時尾が扉を開けて中に入れてやった。家の者たちはいろりの周りで針仕事をしたり書物に目を通していたが、やそに向かって会釈した。やそは武家の娘らしく、礼儀正しい。

「やそさん!」

 やその姿を見て真純が真っ先に玄関に向かっていく。

「真純さんのおかげですっかりよくなりました。これ、いただいたお薬と治療代の代わりです。お代には全然足りませんが・・・。」

 と言って、やそが山菜を真純に差し出した。この寒さの中、細くて風に飛ばされてしまいそうなやそが、自分のために山菜を採りに行ったかと思うと胸が詰まる。

「おいしそう!やそさん、ありがとう。お元気になられて、何よりです。」

 やそは斎藤の方を一瞥するが、斎藤はひたすら刀の手入れをしている。奥の部屋から倉沢が顔を出した。

「おぉ、やそ殿。だいぶ顔色がよくなられた。どうですか、ここでの暮らしは。」

「思っていた以上に大変で・・・奉公に行くことにしました。」

 黙って聞いていた時尾や民、盛之輔は思わずやその顔を見る。

「奉公って、まだ五戸に来たばかりだというのに。いったいどちらへ?」

 真純が声を大きくして尋ねた。

「・・・三戸です。」

 やそがか細い声で答える。

「奉公というのはどういうことをするのですか?」

 家の中に一瞬気まずい空気が流れるが、真純は気づかない。やそはうつむいている。

「あら、この山菜、いい色ですこと。どちらで採れたのですか?」

 時尾がわざと話題を変えた。やそが時尾に説明していると、

「外が暗くなってきたな。五郎、やそ殿を送ってくれるか。」

「わかりました。」

 黙って話を聞いていた斎藤が立ち上がり、やそを外へ促した。

 やそが帰ってから、真純は時尾に聞いた。

「私、何かまずいこと言ってしまいましたか。」

「やそさんが奉公へ行くと言うことは、その・・・身売りするかもしれないってことなんです。私たちはそれぞれ人には言えない苦労を抱えていますから、お互い立ち入ったことは聞かないことにしているのです。」

 かまどに薪をくべながら、真純はやそに申し訳ない気持ちになった。


「今は藤田五郎様と名乗っておいでなのですね。」

 雪道を歩きながらやそが尋ねた。

「はい。」

 斎藤は口数が少なく、会話がすぐ途切れてしまう。

「せっかく藤田様とお会いできたので、本当は奉公になんて行きたくないのですが、弟たちの将来のことを考えるとやはりお金が必要ですし、お世話になっている上田様の所は他の家族の方々もいらして手狭なため、私がいなくなると丁度いいのです。」

 やそは気丈に話すが、不安でないはずはない。斎藤はどう言葉をかけてやればいいのかわからず、

「無理をなさるな。」

 というのが精一杯だった。

 その晩、真純は眠れずにいた。貧しい家庭の親が娘を遊郭や女郎屋に売るというのは小説やドラマでよくある話だが、それが現実となって目の前にあると聞き流すわけには行かない。だからと言って、自分にお金があるわけでもないのだが・・・。 

 次の日の朝、剣術の稽古の時に真純は斎藤に相談した。

「人にはそれぞれ事情がある。他人のことに深入りするな。あんたがやそ殿と家族の生活を保障できるのか。」

「それは・・・無理ですけど―」

「なら、何もするな。それが相手のためでもある。」

 でも・・・と言いかけてやめた。斎藤の言うとおりだとも思う。しかし――。

 真純は雪がちらつく中、家を飛び出した。しかし、真純が倉沢の親戚にあたる上田家に着いたのは、やそが出発した後だった。真純は上田七郎に、やその奉公先を聞いて三戸へ向かった。


 三戸は奥州街道を五戸から南へ五里(20キロ)ほどいったところにあり、五戸よりも活気があった。やそが奉公する商家を訪ねたが、やそは来ていなし主人も留守で行き先は知らないと言われた。

 真純は三戸の市街を歩き、旅籠や茶店を一軒一軒見て回っていると、向こうの旅籠から男の怒鳴り声が聞こえてきた。やそが玄関から飛び出してきたが、大声を出す男に帯を引っ張られ態勢を崩した。

「やそさん!」

 真純は倒れているやその元へ駆けつけた。

「あんな大金もらっておいて、易々と逃げられると思ったら大間違いだ。」

「私は、着物の仕立てはいたしますが、お酌や・・・夜伽はいたしません。」

 やそは金の入った袋を差し出し、目に涙を浮かべていた。

「あんたは何もわかっていねぇんだな。もと会津藩士の娘の奉公なんざ、それしかないさ。武家の娘を抱きたい男はたくさんいるし、金になるぞ。」

 やそは売春までさせられると知らずに奉公に出ていたのだった。

「おい、金を返すでは済まねぇぞ。ちゃんと契約を交わしてるんだ、やることはやってもらわねぇとな。」

 男はやその顎をつかんだ。

「あの・・・ちょっといいですか。」

 真純は、男を通りの端に呼び出し、内緒話をした。

「・・・ですから、このまま契約は破棄した方がご主人のためだと思います。」

 男は少し考え込んで、「とんだとばっちりだ」と言いながら金を拾って帰っていった。

「真純さん・・・。私、怖かった・・・。何も、知らなかったの…本当に。」

 やそは真純の胸に額を寄せた。

「やそ殿!」

 野次馬を掻き分けて斎藤が駆けつけた。

「藤田様…。」

「やそ殿、怪我はないか。」

 やそは顔を覆って首を横に振る。斎藤の顔を見て安心したのか、やそは斎藤の胸に飛び込んでむせび泣いた。

 ゆっくり立ち上がって歩き出そうとするとやそが転びそうになり、斎藤が支えた。

「拙者がおぶっていく。さぁ。」

 と言って斎藤が屈んだ。やそはおとなしく斎藤の肩に手をかけた。

「真純さん、ありがとう。」

「あ、あの・・・お二人は先に帰ってください。私はその・・・三戸のお医者様に用事があるので。」

 真純は斎藤とやその後姿を見送った。まただ・・と真純は思った。斎藤とやそが一緒にいると絵に描いたように美しい。二人の姿がまぶしくて、邪魔してはいけない錯覚に陥るのだった。


 真純は三戸で時間を潰してから奥州街道を五戸へ向かったが、途中の浅水宿に立ち寄ると斎藤が待っていた。

「あんたは大丈夫だったか、ずいぶんと遅かったが。」

 やそは、五戸へ行く荷車に乗せてもらえる事になり、先に帰らせたと斎藤が教えてくれた。

「やそさん・・・何か言ってましたか。」

「主人があっさりと応じたことを不思議に思っておられた。」

「それは・・・『この人は病気持ちだから、夜伽はやめた方がいい。そんなことも調べずに雇ったことが知られたら、恥をかく。ついでにやそさんの名前も忘れてしまいなさい』と。そうでも言わないと、主人は手を引いてくれないかと思ったので。」

「・・・そうか。あんたの行動は理解に苦しむ。だが…あんたが奉公に出ると言ったら…俺は止める。」

「斎藤さんは、見かけによらず優しいですね。」

「どういう意味だ。」

 真純は、2人で歩ける喜びをかみしめながら、夕暮れの奥州街道を戻って行った。

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