息もできない夏祭り 5

 3人がはぐれないように人の波をかき分け、名を大声で呼びながら周囲を見回す。見知った姿はどこにもない。

「まず、勇人さんと由紀さんとはどのような関係ですか」

 少し人気のないエリアまで出てくると、杏奈さんは僕たちに聞いた。

「僕たちの弟妹です」

「勇人さんと由紀さんはいくらお金を持っているか分かりますか」

「僕は1人に100円ずつしか渡していません」

「お金を渡す前に2人ともいなくなってしまって……財布は持っていなかったと思います」

 杏奈さんの質問に2人でテンポよく答えていく。所持金を聞いているのは、立ち寄りそうな店に目星をつけるためだろう。しかし、2人とも財布を持っていないのなら屋台にはいまい。

「ところで、どうして他に連れがいるって分かったんですか」

 瑞貴が杏奈さんの方を見て聞く。そういえば僕たちは他に兄弟姉妹がいるとは言わなかった。さっきの会話だけでは2人兄妹と考える人が多いだろう。

「直志君と涼香ちゃんの発言に違和感があったんですよ。お昼ご飯を食べてからみんなでポンジャンをやったけれど、大人も瑞貴さんもがすぐに抜けたにも関わらず4人でポンジャンをやっていたというところが。久仁さんは12時過ぎには私たちと一緒にいたというのもありますが、久仁さんが後でスイカを食べたことから分かるように、おやつの時間には久仁さんはいなかった。つまり他に子どもが2人はいたということです。その後にみんなでご飯を食べてみんなで夏祭りに来たということは、その子どもたちは夏祭りに来ていると考えられます。あくまで憶測の域を出ないものでしたが」

 杏奈さんは妹にそう言うと、またキョロキョロと周りを見回した。

「あ、杏奈さん」

「何でしょうか」

 杏奈さんは体だけを僕に向ける。僕は杏奈さんを少し瑞貴から遠ざけた。

「瑞貴が僕のことをお兄ちゃんと呼ぶのは、佑斗兄さん――僕の兄さんは子どもの頃やんちゃで、瑞貴をいじめるから母さんがあまり2人を近づけなかったそうです。だからどっちかというと僕の方になついて、幼いころは僕だけがお兄ちゃんだったんです。でも、一応血のつながった兄弟だと分かってはいるから、佑斗兄さんのことは僕に倣って兄さんって呼んでいるようなんです」

 杏奈さんの推理力は並外れている。

 でも、それは裏を返せば背後にあるものを何でも読み取ることができるということでもある。

 もしかしたら杏奈さんは、2人の兄がいるのに瑞貴が僕に向かってお兄ちゃんと呼ぶのは、複雑な家庭だからと考えるかもしれない。でも、決して口には出さないだろう。特別妹思いというわけでもないけれど、杏奈さんには誤解してほしくなかった。

「そうでしたか」

 杏奈さんは短い言葉を僕に返すと、「実の兄弟姉妹にもいろいろあるんですね」とつぶやいた。

「もうお兄ちゃん、サボってないで! ほら! あそこにニャンコがいる!」

「え! どこどこ!」

 瑞貴の指さした方向へ突っ走る。どこだ、あのふわふわしたかわいいかわいい生き物は! 僕は兄も妹も弟も杏奈さんも忘れていた。

 少し奥に行くと神社があった。

「猫だ!」

 僕は賽銭箱に寄りかかっている3匹の猫を発見した。2匹はまだ小さいから子猫、もう1匹は母親の猫だろう。近づいていくと、急に母猫に「ミャアオ!」と威嚇された。僕は伸ばした手をひっこめた。そうだね。ごめんね、子どもがいるのに。

「ちょっとお兄ちゃん! 本当に猫を探さないで!」

 ゼイゼイと息を切らして瑞貴がこっちへ来る。後に杏奈さんが続いた。

「そうだった、ゴメン!」

 まずは瑞貴に謝ると、すぐに杏奈さんの元へ駆け寄った。

「すみません、本当に」

「……それだけ体力があれば十分ですね」

 杏奈さんはくるりと後ろを向いた。

 ああ、やってしまった。僕は弟と妹を探さなければならないのに、妹につられてしまった。うなだれていると足元しか見えない。杏奈さんは浴衣に合わせて草履を履いていた。こんな歩きづらい恰好をしているのに付き合ってくれている杏奈さんに申し訳なくなった。

「よう、こんなところで何してんだよ」

 聞いたことのある声。僕は顔をあげた。

 無精ひげにぼさぼさの髪、下着に間違われそうな白いTシャツにだらしなく穿いたチノパン、そしてサンダルを履いた男。

 迷う間もなく杏奈さんの前に出た。

「兄さん!」

「何怒ってるんだよ」

 突如現れた佑斗兄さんはケラケラ笑う。

「ほんとおもしろかったぜ、お前の全力ダッシュ」

「そんなことより勇人と由紀は?」

 そう聞いた瞬間、佑斗の後ろから手がぬっと現れた。

「ひーちゃん、射的でラムネ当たった」

 勇人はどこでも売っているようなラムネ菓子を差し出した。

「ひーちゃん、みーちゃん、食べる?」

 由紀は申し訳程度に残ったたこ焼きを差し出した。

 僕と杏奈さんは無言で見ていた。

「こら! 勇人、由紀、どこ行ってたのよ!」

 瑞貴が僕たちよりも前に出てくる。

「射的やりたいって言ったら」

「買ってもらっちゃった★」

 勇人と由紀がウインクをしてそう言った。

「あんたたちどんだけ心配したと思っているの!もうずっと探したんだからね!叔父さんも叔母さんも直志と涼香も心配してるし、お兄ちゃんの彼女にも探してもらっちゃったし、本当に2人ともまだ中学生なんだからふらふらどこかへ行っちゃだめって言われているでしょ!全く――」

 瑞貴はまくしたてるように2人に説教を始めているが、由紀は「てへへ」と笑ってたこ焼きを頬張っているし、勇人に至っては「彼女?」と首をかしげている。

「よく久仁さんのことを見つけましたね」

 杏奈さんが兄さんの方に向かう。

「へえ」

 兄さんが邪な目で杏奈さんを見る。僕は兄さんをキッと睨んだ。

「本当はトイレに行こうとして神社の方へ来たら偶然見つけただけなんだけどよお」

 僕はむくれたまま兄さんを見つめる。

「確かに神社はトイレを貸していますね」と杏奈さんは答えた。

「おーい、早くトイレに行ってこいよ」

 兄さんが妹たちに声をかける。

「つーことで頑張れよ。あいつらに見られないように」

 兄さんにポンと肩を叩かれる。

「どういうことだよ」

 僕が言い返すと兄さんはケラケラ笑っていた。ダメだ、完全に酔っぱらっている。

「あ、ちょっとトイレに行ってくる」

 そう言うと由紀は瑞貴とともに提灯のついた方へ向かっていった。その先にはゴミ箱が置いてあり、由紀はそこにたこ焼きのゴミを投げ入れた。どうやら提灯の終点にある小さな小屋がトイレらしいが、提灯には虫がわらわら群がり、誘導灯としては逆効果となっている。勇人もそのままトイレに向かってしまった。結果的に僕と杏奈さんだけが残った。

 僕は杏奈さんの方を見る。どうやって切り出していけばいいか分からないが、とりあえず謝らなくてはならない。

「あ、あの――」

 僕の言葉を待たずに杏奈さんがトイレの方に走り出した。

「待ってください」

 僕も追いかける。杏奈さんはトイレの裏の方に回った。僕は鼻を押さえた。トイレの臭いなのかごみの臭いなのか強烈な異臭がした。

「杏奈さん?」

「近づかないでください。ご兄弟の安否を確認しすぐに事務所へ連絡してください」

 嫌われてしまった――いや違う。

「どうしました?」

「見ない方がいいです!」

 僕が身を乗り出して前にあるものを見ようとするも、杏奈さんは浴衣の袖で覆い隠す。だが、僕には見えてしまった。

 男性が泡を吹いて倒れている。僕は後ずさった。

「お前は確か……」

 僕は後ろを振り返った。あの人は確か――。

「翼さん!」

 杏奈さんが悲鳴に似た声をあげて駆け寄る。

「どうしたんだ?」

「そんなことよりどうしてここにいるんですか? あれほど来てはいけないと言ったのに!」

 杏奈さんは楠原の両腕をつかむ。楠原は「ご、ごめん」と言って目を逸らした。楠原は本当に悪いと思っているのか、大量の汗を流して体を震わせている。

「杏奈、あれは一体――」

「見ないで!」

 杏奈さんは金切り声をあげる。だがそれは遅かったようで、楠原は膝を打って地面に座り込んでしまった。流石に騒ぎに気付いたのか大勢の人たちが覗いてくる。

「久仁さん! いつまでいるんですか!」

 今度はこちらを振り向いて叫ぶ。そうだ、知らせないと。

「お兄ちゃん?」

「ダメだ、瑞貴! みんなと叔母さんのところに戻れ!」

「は? 意味が分かんないよ」

 そう言って瑞貴は由紀を連れてこっちへ来る。

「人が倒れている! すぐに責任者を呼んでくるんだ!」

 僕はありったけの声で叫んだ。それを聞いた周囲の人たちが一斉に野次馬と化して押し寄せてくる。瑞貴、由紀、と言おうとしてもかき消される。

「久仁さん! 現場保存に協力してください!」

 そう言って杏奈さんが自分の体でバリケードを作る。僕もそれに倣った。

 救急と警察が来て役目を解放されたときには、僕は熱気と混乱で地面に倒れこんでしまった。

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